第一幕 Carry out a sortie,“P.A.”! 3

 見間違えるはずもない。

 それは――出で立ちこそ異なるものの――特徴的な黒髪といい、顔つきといい、間違いなく、ヴィルの部下であるエドワードだった。


 しかし、思わぬその変貌ぶりに、ヴィルの口からはそれ以上何も出てこない。あまりの出来事に目の前で起こった惨劇すら薄れていくようだった。


『彼』――エドワードはゆっくりとかがみ、以前はにそっと触れる。


「ああ、ケインズが……。惜しい男を亡くしたものだ」


 ヴィルの金眼には、エドワードの指が赤黒く染まっていく様子がありありと映し出されていた。

 恐怖という二文字が頭をよぎり、震えが途端に全身を襲う。

 たった数分。たった数分だ。ほんの少しの間に突拍子もない出来事が起こりすぎた。ヴィルの混乱は頂点に達し、いよいよ現実とそうでないものの区別が曖昧になってきたところである。

 ――そうだ、これは悪い夢なのではないか。

 そう思ったところで、エドワードは「む」と小さく声を洩らす。


「そろそろギアが来るか」


 エドワードは遠くに飛ばされた男の頭に触れると、開いたままになっていた瞼を閉じてやる。


「ヴィル。……ヴィル? 意識はあるか」


 血に染まっていない方の手で、エドワードはヴィルの頬を叩いた。


「あ……エ、ド、おれっ、おれは――」

「本当にお前は運の悪い奴だ。ここまで不運な男を俺は見たことがない」


 ヴィルはエドワードの両の目を見つめる。まだ全身の震えが収まらず、このまま自分もエドワードによって殺されるのではないかと妙な妄想に囚われていた。

 その様子を目の当たりにしたエドワードは、歯切れの悪い口調でこのように言って聞かせた。


「ああ、別に取って食ったりはしない。だが、大事な側近を失った責任は、しっかり取ってもらうからな」

「せき、にん……? ひっ、」


 突然エドワードの手がヴィルの両肩を捉え、そのまま床に押し倒す。今までの動揺が影響して、身体が思うように動かない。ヴィルはからからに乾いた喉から絞り出すようにして、必死に声を上げた。


「やめっ、殺さな――」

「誰が殺すかアホ」


 互いの額をまるでぶつけるかのようにあわせ、エドワードは瞳を閉じた。


「『コンフェッション・システム、再登録開始』」


 刹那、ヴィルの頭に刺すような痛みが襲う。

 例えるならば、後頭部を何か硬いもので殴られたかのような。あるいは脳細胞の一つ一つに糸を括りつけた縫い針を通していくかのような。ずるずると気味の悪い感触が走ってゆく。


「――『完了』」


 エドワードの声が聞こえるまで、その痛みは続いた。

 額を離すと、エドワードはヴィルへの拘束を解き、ゆっくりと立ち上がった。

 未だ痛みに苛まれているヴィルは、床に手をつき荒い息を吐き出している。喘鳴と高鳴る鼓動がひどくうるさい。これほどまでに自分の鼓動が大きく聞こえたことなど、未だかつてあったろうか。


「……は、は……」


 刹那、ピィン、と耳鳴りがした。


『おい、聞こえるか』


 それと同時に、ノイズ交じりにの声が聞こえた。相変わらず心臓の音がうるさい。しかし、この声は何だろう。まるで、拍動よりも鮮明に聞こえてくる。


「はっ……?」


 喘ぎながら、ヴィルはエドワードの姿を仰いだ。彼は長い上着の裾を翻し、背を向けて立っている。


『聞こえるなら、返事をしろ。ヴィル・ブランクーシ』


 今度は耳鳴りもノイズも聞こえず、彼の声が鮮明に声が聞こえた。


「へん、じ……?」

「ああ、上出来だ」


 背を向けてはいるはずなのに、ヴィルは何故か今のが愉しそうに笑っているように感じた。


 その時だ。


「総帥!」


 突然、さらに別の人物が彼らの前に現れた。

 長官用の白い軍服で、青のネクタイを結んだ男である。茶色の髪は短く、銀の縁が付いた眼鏡をかけていた。見るからに神経質そうな印象を受ける。


「げ、ギア」


 彼の姿を見るや否や、エドワードの表情があからさまに曇った。


「――これは一体」


 ギアと呼ばれた男は足元の惨劇を一通り眺め、動揺した様子で短く呟いた。そしてふと、血だまりの中不自然に呆けているヴィルの姿に目を留める。


「まさか貴様が? 部署はどこだ」


 それは違う。

 そう言おうとして口を開くと、ヴィルの口はがぼっ、と変な音を立てた。――背後からエドワードが口を塞いだのだ。


「こいつは新『左院特吏さいんとくり』のヴィルだ。ギア、口を慎め。こいつはお前よりずっと上の立場になるのだから」


 それまでずっともごもごと何か言っていたヴィルだったが、それを聞いて思わずぴたりと動きを止めてしまった。


 ――今、このひとは何て言った?


 ヴィルと同じことをギアと呼ばれた男も考えたらしく、同じく目を剥いたまま彫像のように固まってしまった。


 数秒の間ののち、

「……どういう意味でおっしゃっているんだか、さっぱり分かりません」

 ギアはごもっともなことを言ってのけた。


「言葉通りの意味だ。刺客によって前左院特吏のケインズは殺された。その屍の中にいるぞ、ケインズは。それでだ、不運なことに偶然現場に居合わせてしまったこの男に、俺はたった今『コンフェッション・システム』を移した。どのみち今回の襲撃に左官がいなければ勝ち目はないだろ」


 エドワードの言葉を耳にしたギアは、思わずぐっと息を飲んだ。そのまま足元でうずくまるヴィルへ目を向けると、思案顔で大きく息をつく。


「……仕方ないですね、『コンフェッション・システム』を移してしまったのなら。責任は総帥が取って下さい」

「そんなことは分かっている。ギア、衛府えいふに連絡してこい。ボレアリスとパンツァー・エイド二号機の計二体の出撃準備を急げ。今回はエル・システムは不要だ」


 ろくに修理が終わっていないから、とエドワードは付け足した。


「承知いたしました」


 ギアは短く返し、くるりと踵を返した。そして駆け足で衛府に向かっていく。

 それを横目で静かに見守ると、エドワードはやっとヴィルの口から手を離した。


「……と、いう訳だ」

「な……な……」


 くるりと振り向くとヴィルはとりあえずものすごい剣幕でまくしたてるしか出来なかった。その口調はというと、あまりに早口すぎて自分でも何を言っているのか分からないほどであった。


「意味が分からないよ、エドワード! おれが新左院特吏って……大体にしてコンフェッション・システムってなに? そもそも、エドワードは一体何者なの? 声を出せないんじゃなかったの? それに、ボレアリスは総帥の戦闘機だろ! 勝手に出せるはずがないじゃないか! 意味が分からない、分からないよエドワード!」


 自他ともに認めるお人よし、もとい『イエスマン』が噛みついた瞬間でもあった。エドワードは思わず瞠目し、それから低く唸り声を挙げつつ眉間に手を当てている。あーとかうーとか、喃語にも似た声を上げた後、ようやく腹積もりが決まったのだろう。ヴィルへ向き直ると、このように返した。


「時間がないから三分で説明する。俺の本名はティー・E・ルスタヴェリ。ロンドバルディア連合国総帥――お前たちで言うところの『黒の王』というやつだ」


 黒の、王。

 ヴィルはぽかんとして、彼を上から下までまじまじと見直した。失礼ながら、とてもそうには見えなかったのである。

 ヴィルとエドワードの付き合いはそこそこ長い。だからこそ、普段一切そのような素振りを見せなかった彼に妙な不信感を覚えたのだった。


「訳ありでな。俺がだと他に知られると困るから、『エドワード』としている時は声を出せなかった」

「じゃあ朝礼の時はどうしているんだ! エドワードは皆と一緒に参加しているじゃないか!」

「あれは左院特吏の――そこに転がっている、ケインズが俺の代役をしていただけだ。というか、聞きたいところはそこなのか、お前」


 ごもっともな指摘を受け、ヴィルは思わず赤面する。


「さて、今の状況がどれほどのものか、賢いお前なら分かるだろ?」


 格納庫の中に明かりが灯り、急に騒がしくなった。出撃準備が始まったようだ。


「今、グラン軍の兵およそ五百に囲まれている。機種はコクーン量産型、それとビー・カスタム型。それに対し、うちのエル・システムはどれだけ出せる?」


 ヴィルははっとした。

 ほとんどが昨日の戦いで故障しており、修復完了していないのである。


「あいつらに好きにさせてたまるか。いつもならケインズ――左院特吏に任せるが、そうもいかない。なにせお前は、造府の人間で、実践に出たことがないのだから。したがって今日は俺も出る。いいな?」

「でも、パンツァー・エイドは左官にしか動かせないだろ。おれがあれに乗るのは無理だ」

「まだ分からないか」

 彼はヴィルの手を取った。「俺はお前にその資格を与えたと言っている」

「え――」


 じっとヴィルの金眼を見下ろすエドワードの姿がそこにはあった。彼は固く口を閉ざしたまま、ただ真剣な面持ちでいる。


『お前にはこの声が聞こえるだろう?』


 唇は一切動かなかった。脳に音声を直接ぶちこまれる気味の悪い感触に、ヴィルは短く悲鳴を上げる。


「エド、ワード」

「その名前で呼ぶな」


 短く言うと、彼はそのままヴィルを文字通り引きずるようにして歩き出す。いつもの、見慣れた格納庫。見慣れたエドワードの背中。ただひとつ変わったことと言えば、自分の身を置くこの状況だけだ。


 彼らはほぼ毎日見ていると言っても過言ではないその機体の前にやって来た。

 パンツァー・エイド二号機。

 いつも己の手で修理を重ねてきた、我が子と表現しても過言ではない戦闘機。それが今は、恐ろしいほどの威圧を以てヴィルを見下ろしていた。


 ハッチを開けると、エドワードは一度だけ振り返った。


「ティー。俺のことは、ティーでいい」

「ティー……?」

「うん、上出来」


 ヴィルはそのまま背中を押され、気が付いたときには、パンツァー・エイドのハッチは閉められていた。

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