第一幕 Carry out a sortie,“P.A.”! 2

 数分後、ヴィルは疲れのあまりぐったりと壁に寄りかかっていた。

 足元に転がるのは、古い鉄パイプと、男三人。全員が気絶しており、しばらく目を覚ますことはなさそうだった。

 そして向かいには目を瞠ったまま動こうとしないエドワードがいる。ぽかんと口を開け広げたまま、ただただヴィルのことを仰いでいた。


 まさか、あののヴィルがこのような行動に出るだなんて思ってもみなかったのだろう。彼の心情が手に取るように分かる。ヴィルは思わず苦笑してしまった。


「驚かせてごめん。立てる? エドワード」


 息切れをもよおしながらヴィルが尋ねると、エドワードはひとつ頷いて見せた。


「君は、いつもああされていたの?」


 エドワードは無表情のままだった。代わりに、ヴィルの左手をじっと見ている。その目線に気が付いたヴィルは、「ああ」と声を上げた。


「気にしないで。おれは両利きだから、片方痛めていても全然平気だ」


 刹那、エドワードはぐいとヴィルの右腕を引いた。

 そのまま引っ張るような形で立ち上がらされ、エドワードに導かれるままヴィルは歩き出す。思いのほか強い力に圧倒されつつ、ヴィルは背を向けたままのエドワードへ目を向けた。


 ――普通、逆だと思うのだが。何故助けられた人が助けた人をひきずっているのだ。


 そんなしばらく歩き、最終的にたどり着いたのは、なぜか軍務省ではなく右院の医務室だった。

 これにはさすがのヴィルも驚いた。思わず悲鳴に似た声を上げてしまい、エドワードに怪訝な顔をされる。


「エドワード! ここ、右院だよ。おれたちと所属が違――」

「おや? 君は?」


 背後からの声に驚いて、ヴィルは思わず飛びのいた。

 振り返った先にいたのは、白衣をまとった女性だった。黄色の長い髪を後ろでひとつに束ねており、快活そうな表情でこちらを見ていた。左腕に右院を表す腕章を下げていることから、彼女は右院所属の医務官なのだろう。

 彼女はエドワードへ目を向けると、なんとなく事情を把握したらしい。苦笑しつつも、未だ挙動不審でいるヴィルへと話しかけた。


「エド君に連れられて来たということは、そういうことね。どこを怪我したの」

「あ、ええと――」

「ん、見たところ、左腕の状態が良くなさそうだ。中においで。手当してあげる」

 彼女はヴィルの右肩を叩きながら言う。「エド君はどうする?」


 彼女の問いに、エドワードは静かに首を横に振った。そして、ひとり静かにその場を去っていった。


「あらら、フラれちゃった。まあいいか、彼が元気ならそれで」


 さて、とため息混じりの彼女はヴィルを医務室の中へ通し、背のない椅子に座らせた。

 まさか右院の医務室に来る日が来るだなんて考えてもみなかった。見慣れぬ光景に戸惑いつつ、ヴィルはしきりに周囲を見渡している。よくよく見て見ると、正院の医務室よりも設備の状態が良い。

 へえ、と呟いたヴィルに、彼女は呆れた口調で声をかけた。その手には救急箱があった。


「それで、君は? 名前を教えて」


 そう言われて初めて、自分が名乗っていないということに気が付いた。ヴィルは声を詰まらせながら答える。


「あ、ええと。ヴィル。ヴィル・ブランクーシです」

「ヴィル? ……」


 彼女は神妙な面持ちのまま逡巡し、それから、急に思い出したように声を上げた。


「ああ! 造府の。エドワードからよく。だから作業着を着ているのね。じゃあ、さっそくだけど脱いでくれる? テーピングするから」


 さっと、血の気が引く感覚がした。

 ヴィルは血相を変え、ちぎれんばかりの勢いで首を横に振る。


「結構です! 湿布だけ下さればそれで問題ありません!」


 その様子に彼女は機嫌を損ねたのか、眉間にしわを寄せ、声色を低くして言った。


「その態度、気に食わない。まるで私が痴女みたいじゃない」

「う……」

「それとも、脱げない事情でも?」


 そこまで言われてしまっては仕方がない。

 仕方なしにヴィルは作業着のファスナーに手をかけ、上だけ脱いだ。その下に着ていた白いシャツもボタンを外し、左肩が見えるように袖から腕を抜いた。はだけかけのシャツの隙間から、晒しが巻いてあるのが見える。おや、と彼女は思ったが、それについては何も言わなかった。

 そっとヴィルの左腕に触れると、途端に筋が張ったような痛みが襲う。


「痛っ……」

「うん、思ったより大したことないみたいね。君、利き手は?」

「左ですが、両利きなので特に問題はないです」

「そう、じゃあガッチリ巻いてもいいわね」


 ひときわ痛む個所に湿布を当てられ、手際よく包帯を巻いていく。

 その間、ヴィルはじっと床の木目を見つめていた。

 少し教えてほしいことがあるのだけれど、と彼女がおもむろに口を開く。


「もしかして、あの子、やられていたの?」


 その一言に、ヴィルははっとして顔を上げた。その言い方では、まるで先ほどの『あれ』が日常茶飯事と言っているようなものではないか。先ほど本人に尋ねたときの、何とも言えない反応を思い出す。


「やはり、これが初めてではないのですか」

「初めてじゃないわよ」

 彼女はその問いにきっぱりと答えた。「誰かに助けてもらったのは今回が初めてのようだけど。君、確かパンツァー・エイドの責任者よね? 大事になるとまずいから、わざわざここに連れてきたのでしょう」

「それはどういう――」

「はい、終わり」


 ヴィルの言葉を遮るように彼女は明るい声色で言い、ヴィルの右肩を叩いた。そして先ほどまでの険しい表情から一転、実に穏やかな微笑みを浮かべ、薄い唇の前に人差し指を立てて見せる。


「ここで私の世話になったことは秘密よ。分かった?」


 色々と言いたいことはあったが、今は大人しく言うことを聞いておいた方がよいのかもしれない。ヴィルは喉まで出かけた言葉を再び胸の内に押し込むと、ひとつだけ頷いて見せた。


「よし」


 彼女もまるで幼い子供に対してそうするように、確信を持って大きく頷く。


「ま、困ったことがあったらまたここにいらっしゃい。君のこと、結構気に入ったから」

「そりゃあ、どうも」


 別に気に入られるようなことはした覚えがないのだが。

 何とも言えない微妙な表情を浮かべつつ、再びシャツに袖を通した。作業着を羽織りファスナーを締めると、のろのろと椅子から立ち上がる。


「エド君をよろしくね」

「はい」


 ヴィルはええと、と声を濁らせ、彼女の瞳を仰いだ。


「お世話になりました。お名前は――」

「リスカよ」

 彼女はヴィルの前に右手を差し出し、小首を傾げて見せる。「リスカ・ハートネット。また会いましょう、ヴィル君」


***


 ふと時計へ目をやると、時刻は深夜を回っていた。


 その頃ヴィルはエル・システムの上――ちょうど右肩にあたる部分に腰掛けていた。あの後他の作業員から点検表を回収し、内容を確認したところ、いくつか記載内容に不備が見つかったのである。

 既に退勤時間は過ぎている。状態確認をするくらいであればすぐ終わるだろうか。そう思ったヴィルの足は、自然と該当の戦闘機のもとへ向かっていた。


 ――今思えばそれが間違いだった。実際に目の当たりにした戦闘機の整備状況を見てしまったら最後、手を出さずにはいられなかったのである。


 左腕をかばいながらの作業は不便極まりなかったが、少しずつ整備が完了していく様が面白く、ついつい夢中で作業してしまった。


 さすがにそろそろ宿舎へ戻ろうか、と思ったところで、ふとヴィルの耳に何者かの話し声が聞こえてきた。

 人のことは全く言えないが、こんな時間になぜ人が格納庫にいるのだ。この作業に入る前、本日の作業者リストへ目を通し、自分以外の全員が退勤したことは確認済みである。


 ヴィルはそっと息を殺し、微かな声に耳を傾けた。


「――だろう――」

「――さか、気付――」


 聞き覚えのない男の声がふたつ、途切れ途切れに聞こえる。少なくとも、自分と関わりのある人物ではなさそうだ。

 ヴィルは音もなくエル・システムから飛び降り、物陰から様子を伺うことにした。


「――装が、こんなに上手くいくとはな」

「本当に」


 壁伝いにゆっくりと声のする方へ足を動かすと、徐々にはっきりと声が聞こえてくる。言葉に少しグラン国特有の訛りが混ざっているのが分かった。


「まさかこのあと格納庫を燃やされるだなんて、ここの連中は夢にも思わないだろう」


 その言葉にはっとして、ヴィルは思わず息を飲んだ。

 脳裏によみがえるのは、昼間自分がユイスマンスに呟いた言葉だ。


 ――昨日の戦い、どう考えてもおかしいんです。


 まさか、とヴィルは思う。


 その時だった。

 突然ヴィルの身体を誰かが拘束した。同時に口を塞がれ、完全に身動きが取れなくなる。

 気が動転したヴィルは、思わず大声を上げそうになった。


「静かに」


 耳元で別の男の声がした。微かに眼下にちらついて見えたのは、白い色をした袖口。この色の軍服を着られるのは、高位の官僚のみである。

 少なくとも敵ではなさそうだ。ヴィルは金色の瞳をきゅっと細め、苦し気に眉間に皺を寄せる。

 目の前で話していたふたりの男達は、そのまま二言三言言葉を交わしたのち、静かに城内へと侵入していった。

 彼らが遠くに行ったのを見計らい、ヴィルの拘束は開放される。


「悪かったね。君がこの場にいるのは少々都合が悪くて」


 身体が酸素を求めていた。ぜいぜいと息を切らしながら、ヴィルはその男を仰ぐ。

 背の高い男であった。髪は黒に近い灰色で、瞳は青。白い色をした丈の長い軍服を身に纏い、赤いネクタイを結んでいた。この独特の出で立ちは間違いない。部署は分からないが、彼は長官クラスの官僚だ。


「というか、君は働きすぎだ。こんな時間まで格納庫をうろつくからこんな目に遭うんだよ」

「それより、さっきの人たち……、あいつらって、」


 ヴィルの言葉はそこで静止された。先ほどリスカがそうして見せたように、彼は人差し指を一本、己の唇の前に立てて見せる。


「俺と会ったことは秘密だよ?」


 なんとなくだが、この男の声は聞いたことがあるような気がする。

 ヴィルの脳裏によみがえるは、今月頭に行われた朝礼での出来事だ。厚いカーテンの向こうから聞こえるこの国の総帥が、確かこんな感じの声ではなかったろうか。

 もしかして、この人は。ヴィルは目を大きく見開きながら、震える声で囁いた。


「『黒の王』……?」


 その言葉に、男は優しく微笑む。


 だが次の瞬間、予想外の出来事が起こった。

 ヴィルの目の前で、彼の首が文字通りのである。


「っ――!?」


 ぶしぅぅぅ、と、派手に鮮血が飛び散り、ヴィルの身体と彼の白い服を赤黒く染め上げてゆく。ほんのりと漂う湯気が視界を濁らせ、目の前に突きつけられたこの惨状をゆっくりと覆い隠していくようだった。

 ぱたぱたと、頬に何か細かいものがはじけた。そっと右手でそれに触れると、血しぶきと、何だかよく分からない柔らかなかけらが手に残る。

 何が起こったのか、よく分からなかった。

 まるで、どこかで見た活動写真のような光景で。この生臭さも立ち上る湯気さえも、到底、現実のものとは思えなかった。

 急に吐き気がこみあげてきて、ヴィルはその場に胃の中のものを全てぶちまけてしまった。肩で息をしながら、唇の端に付着した吐瀉物を拭う。


「そこで待ち伏せておいて正解だったな」


 肉塊の前に立っていたのは、先程の男達だ。

 彼らは斧に似た武器を片手に――真っ赤に染まり、ぱたぱたと液体が滴っていた――、気持ちの悪い笑みを浮かべている。


「こんなところで『黒の王』に会うとはな」

「任務が早く済んで助かった。こいつも早く口止めしておこうぜ」


 彼らは一体何を言っているのだ。

 ヴィルは奥歯ががちがちと音を立てていることに気が付き、なんとか冷静さを取り戻そうと強く歯を噛みしめる。


 ――ああ、なんてことだ。

 ヴィルは思う。

 ――どうしようもなく、おれは運が悪い。


 しかし、いまさらどうすることもできやしない。ここは腹を括るしかないのか。そう思ったヴィルは、ゆっくりと瞼を閉じ、胸の前で両手を組んで見せた。


 覚悟した、つもりだった。

 だが、その瞬間はいくら待っても訪れない。

 代わりに、空を切る音がすぐ近くに聞こえてきた。


「――このが」


 ヴィルがのろのろと瞼をこじ開けると、足元に新たな血の海が二つばかりできていた。先ほど目の前にいた男たちの姿はない。代わりに、床の上に新しい肉の塊が転がっていた。


 そんな惨劇の中、ひとり佇む人物がいる。

 少し長めの黒髪。右目には眼帯。上着は先程殺された長官と思われる男のものと色違いの黒色で――ただしタイは結んでおらず、素肌の上から直接上着を着ていた――、首には黒皮と銀で出来たチョーカーが光る。

『彼』は、ヴィルの知らない声で、まるで吐き捨てるように言った。


「借りは返した。ヴィル・ブランクーシ」


 そして同時に、右目を覆う眼帯を取り払う。

 真っ赤な色をした鋭い瞳。それが爛々と輝いて、目の前で呆けるヴィルの姿を見下ろしていた。


 ――そんなはず、ない。どうして『彼』が。


 現実を受け止めきれないヴィルは、細い声で『彼』の名を呟くことしかできなかった。


「エド、ワード……?」

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