第一幕 Carry out a sortie,“P.A.”!
第一幕 Carry out a sortie,“P.A.”! 1
ヴィル・ブランクーシは自他ともに認めるお人よしである。
頼まれごとを決して断れないその性格故に、入省直後より上司からは面倒な仕事を押し付けられ続け、ふと気が付けば数年が経過。いつの間にか担当部署の事実上のトップに君臨してしまい、不覚にも己の地位を自分で確立してしまっていた。
そんなヴィルが所属しているのは、ロンドバルディア連合国
「ああ、ひどくやられたね、これは」
ヴィルはぽつりと呟きながら、目の前に無数に転がる傷ついた戦闘機に触れた。
この戦闘機はロンドバルディア連合軍が所有する『エル・システム』である。コックピットに操縦士が一人だけ入り、脳神経回路を繋ぐことで操縦士の思うがままに四肢を動かすことのできる、人類の英知の結晶だった。
それがこれほどまでに傷だらけになっているのには、それなりの理由がある。
「昨日のグラン軍の襲撃で、これか……」
横にいた同部署の男がぼやいた。
昨日夜間、隣国のグラン国が攻め込んできたのである。
元々ロンドバルディア連合国とグラン国は一つの国だったのだが、先代の総帥が亡き後、後継者争いが勃発。先代の総帥には幼い双子の兄弟がおり、当時の有権者がこぞって彼らを次代の王へ仕立て上げようとした。
その結果国は分断され、十数年経った今でも争いが絶えないのだった。
はっきり言ってしまえば昨日の戦いもその延長線にあたる訳だが、この規模が妙に大きい兄弟喧嘩にはほとほと嫌気が差す。
報告によれば、向こうの兵力五〇〇機に対し、こちらはたったの三〇機で突入したと聞く。一見無謀に見える行為だが、こちらには戦いを勝利へ導く切り札があった。
戦闘機『パンツァー・エイド』の参戦。
たった一台の戦闘機により、昨夜の戦いは圧勝だったと聞く。
「そうは言ってもねぇ」
ヴィルは思わず嘆息を洩らした。
「『パンツァー・エイド』といったら、
そう言うと、彼らは自虐と皮肉を込めて静かに笑いあった。
***
ロンドバルディア連合国の内政はおよそ三つに大別される。
一つ目は、ヴィルが所属する軍務省も含まれる「
二つ目は、それら正院の長というポストにある「
三つ目は、先ほどヴィルらの話題にも上った「
謎といえば、とヴィルは密かに回想する。
この国において一番の謎といえば、この国の元首にして総帥である通称『黒の王』だろう。きっとロンドバルディア連合国の住民に尋ねれば、誰もがそう答えるに違いない。
その理由は、まず、彼は公に姿を現さない。一応この国の組織にも朝礼と名のつくものは存在するのだが、総帥は週に一度、しかも厚いカーテンの向こうに姿を隠した状態でなければ現れない。月に一度、左院・右院・正院各長官が集う定例会の時は姿を現すようなので、長官らはどうやらその素顔を知っているようなのだが、どんなに尋ねても頑として口を割らないので結局のところ正体不明のままなのである。
ヴィルは、正直この『黒の王』にはあまり良い印象を持っていない。それというのも、グラン軍との戦いの後、毎回と言っていいほどエル・システムを大破させ、挙句三日で直しておけなどと無理を言うからである。
今回も例外でなく、二日で修理を終わらせるよう通達が来ている。ヴィルは思わず長いため息をついてしまった。
「とにかく、ここは君に任せていいかな。頑張ろう」
「ああ。こっちは任せろ、ヴィル」
男と別れると、ヴィルは点検表を片手に格納庫内を歩き始めた。
そろそろ自分の担当分についても修理を始めなければ。なんとしても本日中に半分は終わらせてしまいたいが、十五時頃から全機の修理状況を点検することを考えると就業時間内の完了は難しいだろう。
「……今日も、残業だな」
そんな悲しい呟きは誰の耳にも届かず、グラインダーを回す音によって掻き消えた。
***
ヴィルの担当はパンツァー・エイド二号機である。
以前は一号機を担当していたのだが、半年前の戦いで
この二号機も例外でなく、昨日の戦いでひどく傷ついていた。向こうに大量に積まれているエル・システムよりは破損個所が少ないので、それほど手間はかからないと見た。
ヴィルがパンツァー・エイドの格納庫に向かうと、そこには既に一人の男がおり、黙々と作業を行っていた。
ヴィルの金髪金眼とは対照的に、夜空の色を連想させる黒髪と瞳。ただし彼の右目は眼帯によって隠されており、顔もやや長めの髪で覆われている。
「早いね、エドワード」
ヴィルがそう声をかけると、エドワードと呼ばれたその男は静かに振り返った。左目がヴィルの姿を捕らえると、軽く目配せし、再び作業に戻る。
この男――名をエドワード・ルランといった――はとにかく話さない。過去に発症した心因的な障害の影響で声が出ないのだと、ヴィルは上司から聞いていた。とはいえ、簡単な意思疎通はできるし、なにより彼が持つ修理技術はヴィルよりも優れている。戦闘機がどんなにひどい状態になっていたとしても、彼はその手で完璧に、短期間で修理してしまうのだ。ヴィルがその姿を初めて目の当たりにしたとき、感動のあまり言葉が出なかったのを覚えている。
まるで魔法でも使っているかのような作業の的確さ。簡単なように見えて、これが意外と難しいのである。そんな彼をヴィルは一目置いていた。
「ねえ、エドワード。先に破損箇所を調べておいてくれたんだろ。報告するから、教えてくれないか」
ヴィルの問いに、エドワードはぴたりと手を止めた。無表情のままヴィルからパンツァー・エイド用の点検表を受け取った。点検表にはパンツァー・エイドを模した簡単な図が書いてある。彼は破損箇所を鉛筆で塗りつぶすと、突き返すように渡した。
「ありがとう。助かる」
それを受け取ったヴィルが点検表に目を向け、そして真横のパンツァー・エイドと見比べた。
おや、とヴィルは思う。
「……変だな」
その呟きに、エドワードが思わず手を止めた。
「あ、ごめん、エドワード。独り言だ」
じっと向けられていたその視線に気がつき、慌ててヴィルが促すと、ようやくエドワードは作業に戻ってくれた。
一見不愛想に見えるが、なんだかんだでこの男は周りをよく見ている。必要であれば誰にでも手を貸そうとするし、こうしてヴィルが呟いた声にもちゃんと耳を傾けようとする。
ヴィルは嬉しそうに口元を緩ませると、改めて点検表に視線を戻した。
――それにしても。
ヴィルは思う。
――なんだか、嫌な予感がする。
***
エドワードの働きもあり、この日の作業は比較的早く終わらせることができた。
ヴィルは他の作業担当者のもとへ向かい、点検表を回収することにした。作業が完了したものから順次報告するようにしておかなくては。これをおろそかにしてしまうと、巡り巡って自分の仕事が増えるだけなのだ。
「ブランクーシ君」
格納庫内をのろのろと歩いていると、突然背後から自分の名を呼ぶ声が聞こえた。
「あ、ユイスマンス副官」
ヴィルは踵を返し、敬礼して彼を仰いだ。
彼は軍務省造府の副官で、ヴィルの直属の上司にあたる。ヴィルの入省当初から良くしてもらっており、実はヴィルの昇進も彼の働きかけがあったからこそうまくいったのだと聞く。そういう訳で、ヴィルは彼に対しては足を向けて寝られない立場にある。
ユイスマンスはにこやかに微笑むと、ヴィルに尋ねる。
「今日の進捗はいかがだろう」
「はい。今から点検表を回収しますので、正確な数は把握出来ていないのですが……いつもの調子ですと、多くても一〇機がやっとだと思われます」
「そうか、ご苦労様」
「あ、あの。副官、ちょっと相談したいことがあるのですが」
ためらいがちに言うと、ユイスマンスは不思議そうな面持ちでヴィルの顔を覗き込んだ。
「どうした?」
「たいしたことではないのです。おれの思い過ごしならいいのですが」
「どれ、話してみなさい」
「……昨日の戦い、どう考えてもおかしいんです」
その言葉を耳にしたユイスマンスの表情が思わずひきつった。
こういうときのヴィルの勘はおおよそ当たるのである。それをとてもよく理解しているユイスマンスは、詳細を聞こうと声のトーンを落としながらその真意を尋ねた。
ヴィルは「上手く言えないのですが」と前置きしながら答える。
「破損個所がどうにも……」
「君の部署は――パンツァー・エイドだったか」
「はい」
ヴィルはユイスマンスにパンツァー・エイド二号機の点検表を渡した。さきほどエドワードに記入してもらったものを、報告用に加筆修正を施したものである。
ユイスマンスがそれを覗き込むも、彼の目には特におかしいところは見受けられない。むしろいつも通りに見えた。
これのどこがおかしいのか、とユイスマンスは問う。
「攻撃を受けた箇所のいずれも微妙に急所を外してあるんです」
ヴィルは続けた。「戦闘機の構造はロンドバルディア産とグラン産で大差ありません。それは技術提供を行っているローズ社が同じ設計図を渡しているからですが……。となると、戦闘機を墜とすのにどの場所を狙えばいいか、互いに熟知しているということになります。その証拠に、普段グラン国の兵士は戦闘機の急所にあたる部分を集中して狙ってきますからね。だからこそ妙なんです。今回は明らかにいつもと違う。……もしかしたら、昨日の襲撃は囮かもしれません」
「ほう?」
「おれが
ユイスマンスはしばしの逡巡ののち、それからぽすっとヴィルの頭に手を乗せた。
「分かった。上には報告を入れておく。そろそろ君も仕事に戻りなさい。引き止めて悪かったね」
「いいえ、そんなことは。それでは失礼します」
そう言い、ヴィルはユイスマンスと別れた。
ユイスマンスはあのように言ってくれているが、今更報告してもどうしようもない。事実、パンツァー・エイドはおろかエル・システムの修理すら手が回っていないのだ。
せめて嫌な予感が現実のものとならぬよう切に願うばかりである。
さて、運が悪い日というのはとことん不運が続くものである。
自分で言うのもなんだが、ヴィルはあまり運のいい人物ではない。だからこの光景を目撃してしまったとき、思わずくらりと眩暈がしてしまった。
格納庫の影――――ほとんど人が通らず、最悪この場所の存在を知らない者がいてもおかしくないくらい陰湿な場所で、それは行われていた。
三人の男が一人を囲い殴ったり蹴ったりを繰り返している。その男たちのことはヴィルもよく知っていた。だが、彼らにはあまりいい噂がないので、なるべく関わらないようにしていたのだ。
だが、今度ばかりは――。
「何とか言えよ、ドブネズミ」
派手な音がして、彼の顔の真横に強烈な蹴りが入った。
「ははは、無理だったな。お前、話せねェもん」
その言葉を耳にした刹那、ヴィルは思わずはっと身体を震わせる。ヴィルの中で言葉を話せない人物はひとりしかいない。
――まさか。
ヴィルは改めて彼へ目を向ける。
独特の黒髪に隻顔。薄汚れた造府の作業着。エドワードだ。
――なんでこういう予想だけ当たるんだ。
ヴィルはさっと血の気が引くのを覚えた。そうしている間にも暴行は繰り返されている。ひゅ、とエドワードの唇から空気が漏れる嫌な音がした。
はっきり言って、ヴィルは体術はあまり得意でない。そして相手は複数だ。この状況は明らかにふりでしかない。
しかし。だがしかし。
――ここで見て見ぬふりなんか、できない。
「お前たち、」
気がつくとヴィルは声を上げていた。
視線が一気にヴィルに注がれ、途端にどっと冷や汗が湧き出る。まるで氷にでも触れているかのように、指先が冷たくなった。
「ここで何をしている。まだ就業時間だが」
そしてヴィルはエドワードへ目を落とす。「……ああ、そういうこと」
「こりゃーまあ。誰かと思えばブランクーシかよ」
嘲笑を含みつつ、一人がヴィルに近づいた。「こんなところ、よく知っていたな」
「ここはおれの管轄だ。知っていて当然だろう」
震える身体を押さえつつ、ヴィルは敢えて強気に出ることにした。下手に出る必要は全くない。そう言い聞かせながら、手探りで何か武器になりそうなものを探す。指先になにか冷たいものが触れた。古い鉄パイプである。長さも太さも、振り回すには申し分ない。
「調子こいてんじゃねえよ、もやしのくせに」
――もやし言うな。
確かにヴィルの体躯は同年代のそれとは比べ物にならないくらい細く、筋肉も薄い。密かに気にしていることではあった。
「なあ、コイツの代わりにお前が相手してくれんの?」
ぞろぞろと、三人がヴィルを囲っていく。
ここまできたら、祈るしかできないだろう。ヴィルはゆっくりと深呼吸し、胸の内でこのように囁いた。
――おれのご先祖様。おれは今から約束を破ります。
ごめんなさい。
「なあ? ブランクーシ」
瞬間、ヴィルの眼前に拳が飛んできた。
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