9(エピソード完)

愛海あみから聞いてる。その子たちを殺さなければ、猟犬ハウンドとして認められないと」

 廊下を渡りながら深雪みゆきが言う――うずくま菅原すがわらなえを抱え上げ、聖二せいじのもとへと歩み寄った。


「私は、聖二に賛同する。生き残るためなら汚れ仕事だってやるつもり」

 うなじから糸を伸ばす――抱えたままの菅原苗と、いまだ聖二が前島まえじま瑞希みずきの首筋に突き刺した。瑞希が「うっ」と声をあげて震えた。

「これで、いつでも殺せる」


「……愛海、お前は?」

 瑞希の身体から退がりながら、聖二が尋ねた。


 意外だった――自分を土壇場どたんばで踏み止まらせたのが、彼女であったことが。

 このチームは三年ほどの付き合いになるが、その中で確信していることがある。

 愛海は、自分たち四人のこと以外に驚くほど興味がない。

 だから安心しきっていた。他の二人は分からないが、彼女だけは躊躇ためらいも呵責かしゃくもなく同族ワイルドハントを殺せると。


「僕はお前に、望まない役割をさせていたのか?」

「いえ? その二人がどうなろうと構わないですし。むしろ最近血がご無沙汰ぶさたなので、わたしにやらせてほしいぐらいですよー」

「……じゃあ、何故深雪たちを呼んだ?」

「さっき言った通りです。聖二くんも含めて、みんなの本音を聞かなきゃダメなんですっ」

 いまいち輪郭りんかくのはっきりしない答え。だが少なくとも、同族殺しに反発しているわけではないと分かる。

 ならば話をつけなければならないのは、たった一人。

 金色の瞳で、じっと陽彦はるひこを見つめた。


「お前が悪い奴じゃないのは知ってる。多分これが、お前の考える最善ベストなんだろ」

 陽彦が切り出す。いかり、かなしみ、困惑こんわく、そのいずれでもあり――あるいは自分自身すらどの感情にゆだねれば良いか分からない、そういう想いが声ににじんでいた。


「それでもよ、こんなのってあんまりだ」

「ああ」

 短くうなずいた。

 

「おれたちはただ、運が良かっただけだ。そいつら二人は、あり得たかもしれないおれたちだ」

「その通りだ」

 素直に肯定こうていした。


「時間が掛かってもいい。危ない橋を渡るんでもいい。なんか他に、みんなが生き延びられるやり方ってねえのか?」

「無い」

 即答そくとうした。その問いかけは聖二自身が幾度いくどとなく重ね、捨てたものと同じだった。


「僕らはうばわなければならない。殺さなければ生きていられない。僕らは全てを掴めるほど強くないし、全て諦めるべきほどに弱くもない」

「……けど、やっぱ納得いかねえよ」

「今はそうでも、時間が解決してくれることもある。決心がつく時まで、そういう汚さからお前を遠ざけていてやりたかった」

 口にしてみてから、随分ずいぶんと卑怯な言い訳だと思った。なんだっていい。思いとどまらせるためなら、情にだって訴えてやるつもりだった。


 陽彦はひととき目を閉じて、大きく息を吸い込み、吐き出した。

 そして再び目を開けた時、もう迷いの色はなかった。

「おれたち、ここでお別れだ」

 社員寮廊下の空気ごと凍り付いた。陽彦は三人に背を向けた。


「待て、陽彦――」

 判断を早まるな、一時の迷いに身を任せてはならないと言いたかった。陽彦はぶんぶんとかぶりを振った。

「これがおれの決心だよ。おれはそっち側では生きらんねえ。でも、感謝してる」

 陽彦の声が、いやにはっきりと廊下に響いた。


「おれにはずっと、。聖二、おれはお前のおかげで、んだ」

 選ぶ――何を? 生きるよりも、死ぬことを?

 思考が置いてきぼりにされる――何か言わなければ。つなめなければ。


「陽彦くんがやらなくても、きっと他の誰かが同じお仕事をするんですよっ?」

 愛海がそう、口を挟んだ。

「ああ。そうまでして生きたいって気持ちも良く分かる。そんで実際、それはおばさんたちみたいな人の助けになるんだろうな」

「じゃ~、陽彦くんも一緒に?」

「やらねえ。もう決めた」

 振り返って、陽彦は笑ってみせた。


「死ぬのが怖くないのか!?」

 叫ぶように、聖二が口にした。

「怖えよ。でも、ここでそっち側に付いたら、きっとおれはおれじゃなくなる。そっちの方が怖い」

 陽彦は、少し悲しげな顔をした。


「陽彦は前に言った。生き残りたい、死にたくないって」

 深雪が、静かに呟いた。

「……嘘つき」

「悪ぃ。そんなつもりはなかった」

 陽彦は、寂しそうに目を細めた。


「おれは北海道に戻る。荷物をまとめてくるよ。じゃあな」

 陽彦は静かに去っていった。年老としおいたけものが、れから離れて死に場所を求めるように。


 ※※※


「行ってしまった……」

 沈黙が広がる廊下で、聖二はただうつむいていた。

 きっと陽彦の心は、聖二よりもずっと繊細だった。子どもの自分が腐っていくのに耐えられなかった。それを葬るだけのがなかった。

 久々に思い出した――自分が当たり前にできることを、他人もできるわけではないということを。

 自分はまた、同じ過ちを犯したのだと思った。

「僕がやってきたことは、無駄だった」


 唐突にポン、と肩を叩かれた。振り向くと、愛海がにっこりと笑っていた。

「ねえ聖二くん、諦めるのをやめませんかっ?」

「何……?」

「本当は、みんな幸せになってほしいんですよね? 陽彦くんはもちろん、この二人も、他のワイルドハントさんたちも」

 言うまでもない――聖二だって、望んで同族を苦しめたいわけがない。

 だが、今の自分にはその願いを口にする権利すらないと思えた。


「すまないが、なぐさめなら今はして――」

?」

 耳元でささやき――ぞくりと肌があわった。


 毒の抜けたなえと両腕の生えそろった瑞希みずきが、ゆっくりと立ち上がった。深雪が神経線維しんけいせんいで動かしていた。

 そしてそのまま、陽彦が出ていった出入り口へと、三人で連れ立って歩き始めた。


「愛海? 深雪? お前たち、何を……」

「ごめんなさい、聖二。私たちは最初から、あなたと陽彦の意見が割れたらこうするつもりだった」

「わたしたち、この子たちをかくまって逃げますから。聖二くんは陽彦くんを連れてきてください」

 何もかも理解が追い付かない。追いかけるための脚も、小銃ライフルを構えるための手も動かない。

「北海道の、U市で待ってますからっ♪」

 言葉とともにあたりを照らしていた光源が消え、聖二だけがその場に残された。


 闇の中で、聖二はしばらく立ち尽くした――最後に見た愛海の顔が、誘惑する悪魔のように焼きついていた。

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