第4話 永坂と明日菜
芦咲街にあるカフェチェーン店「ムービング」で明日菜はスマホを操作していた。特に目的はなく、毎分毎秒と更新されるメッセを眺めている。
「ごめん、遅くなった」
画面に集中していた訳では無かったが、太一が店に来ていた事に気付かなかった。
「いいよ。私が呼んだんだから」
太一は無言で頷いてから、明日菜の前に置かれたグラスを見る。
「なんか注文してくるけど、明日菜は紅茶おかわりいるか」
「さすが太一。それじゃ、お言葉に甘える」
「わかった」
太一が鞄を席に起きカウンターに向かう。その背中をぼんやりと眺めながる。
珈琲と紅茶の乗ったトレイを運んで来た永坂に明日菜は何気無い口調でいう。
「ねぇ、太一。私達付き合おっか」
トレイをテーブルに置こうとした中腰の状態で固まってしまう。数秒の沈黙の後、明日菜が堪えきれなくなって吹き出す。
「その格好すごく間抜けなんだけど」
太一はその言葉で我にかえり、今度はきちんと椅子に座る。珈琲を一口飲んでから、やっとの思いで口を開く。
「付き合おうって、お前には――」
太一が何を言うのか察しているのか、その目の前に手を広げ遮る。
「アレはもういいの、なんか疲れた。急にどうでもよくなったの」
「そんな急に……」
――どうでもよくなるわけが無いだろ。
太一は言おうとした言葉が最後まで出なかった。
「それで、どうするの」
「わかった。付き合おう、俺は明日菜の事がずっと好きなんだから」
一旦保留にしようと思っていたが、言葉に出たのは本心だった。
その言葉を聞いた明日菜は満足そうに微笑む。
「意外にあっさり返事くれるんだ。太一なら、時間くれ、とか言いそうなのに」
「考える必要なんて無いだろ。ガキの頃からなんだぜ」
心の中にあるモヤモヤしたモノは全て受け入れる。太一と明日菜にとってそれが最善だった。
今の明日菜が壊れかけているのは、長年一緒にいる太一の目から見れば明らかなのだ。
「昔っから私には太一しかいなかったのかもね。初めからこうしてれば良かった」
ストローでアイスティーをかき混ぜながら呟く姿を珈琲を飲みながら眺める。
太一は頭の中に混沌と渦巻いている色々なモノを整理しようと試みたが、すぐに中断される。
「そんなに喉乾いてたの?」
明日菜に言われてからコップに目をやると、溶けきれずに残った大きめの氷しかなかった。
「そうみたいだな」
「そうみたいって、もしかして気付いてなかったの?」
「舞い上がってたんだ。いや、過去形はおかしいな。今も継続中だ」
「そんなに喜んでくれるんなら、私もちょっと嬉しいかも」
ようやく、いつもの全快笑顔が見れて太一は安堵する。
「喉乾いてるなら、これも飲んで」
半分以上残っている紅茶を永坂に差し出す。実際、太一は喉が乾いているので素直に受け取り一気に飲み干す。
「自覚したら余計に喉乾いてきた」
笑いながら立ち上がった太一だったが、注文カウンターに向かおうとした所で手を掴まれる。
「ここでそんなに何杯も飲んでたら破産するから――場所変えよ」
明日菜はさっさと立ち上がり、トレイを返却口に突っ込む。
ようやくいつもらしさが出てきた事に表情を緩ませ、明日菜の後を追う。しばらく歩いてから、明日菜が少しずつ緊張し始めた事に太一も気付いていた。
そして、その理由も――
人の賑わう通りを少しはずれ、永坂の予感は確信に変わるが、その背中に声をかける事は出来なかった。その方向に進んでいるだけで、通り抜けるかも知れないからだ。
考えている間に、周りは独特の濃密な雰囲気に変わり始める。
そこには密集してホテルが建ち並んでいて、二人の向かいから歩いてきたカップルもその一つに吸い込まれて行く。
カップルに続く様に明日菜もその建物に向かう。
「いいのか」
声が震えるのは止められなかった。
「緊張しすぎ。私も緊張してるんだから、もっとドンと構えてよ。太一と違って初めてなんだから」
拗ねた様にまくし立ててホテルの自動ドアをくぐる。その背中を追いながら永坂は心に誓った。
明日菜が望むなら何にでもなろうと。彼女を守る盾にも、誰かを傷付ける為の刃にもなる。例えそれが明日菜自身を裂く刃だろうとも。
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