第2話 城山と明日菜と

 休日の昼間。その日は珍しく、城山の周りに人が集まっていない。ただ一名を除いて。

「こうやって正義と二人で歩くのは久しぶりだね」

「そうだっけ。言われてみればそんな気もする」

 本当は詳細に渡って覚えているが口にはしない。

「でも、急に呼び出してごめんね。従姉の結婚式があって色々必要になって」

本来なら今日もSNS会があったはずなのだが、太一から

「今日は明日菜の買い物に付き合ってくれ」

 それだけの短いメッセが届き。城山と明日菜だけは欠席になった。

「それで、俺は荷物持ちって事か」

 やれやれと思っているが、日頃の火消しをして貰っている立場からすれば、断るに断れ無い。その分、城山は金を出しているのだからそんな義理は無いが。それが城山の長所であり短所だ。荷物持ちぐらいと思ってしまう。

「違うよ。それなら他の人呼ぶし。私の周りで一番センスがあるのは正義ってだけ」

「それなら太一で良かっただろ。あいつの方がセンスがいい」

――それに、あいつなら喜んで付いてきただろ。俺と違って――

 その言葉は心の中だけにおしとどめる。

 そんな気持ちを知ってか知らずか、明日菜は大きくかぶりをふっている。

「太一のセンスも悪くは無いけど、私には正義のセンスの方がしっくりくるだけ」

「そんなもんか」

「そんなもんなの」

 一瞬真面目な表情になったかと思ったが、すぐに崩れ歯が見えるぐらい口角をあげた表情は魅力的な笑顔になる。城山もこの笑顔だけは悪くないと思っている。

「それじゃ、今日は色々回るから覚悟しといてね」

 そう言って躊躇いもなく人混みを掻き分けていく。その後ろを黙ってついていくしかない城山は、こっそりと溜め息を吐いた。

 ファッションストアを五店舗ほど回り終わった時点で、城山は両手いっぱいに各ブランドの紙袋を下げている。

「これくらいで大丈夫かな」

 明日菜が満足そうに頷いている隣で、城山はげっそりとしている。

「結局、俺は荷物持ちだったな」

「いいじゃない、それくらい。男でしょ」

「いや、モノには限度があると知れ」

「わかった。それじゃ、どこかで休憩しよっか」

 明日菜は返事も聞かずに歩き出すので、城山は肩を竦めてから、後に続いた。

 少し歩いた辺りで、どこに向かっているのか察する。今歩いている道を真っ直ぐ行けば、城山がよく行く個人経営の喫茶店があるのだ。

 一回生の時にたまたま入ってから週に一度は通っている。

 明日菜と太一、三人で一度来た事があったのを思い出す。大金を持っているのを知られていない頃の事だ。

 SNS会が出来る前から、城山達三人はつるんでいた。正確には、城山とつるんでいた太一に明日菜が付いてきていた。太一と明日菜は幼稚園の頃からの幼なじみで、共有してきた時間は親、兄弟より多い。

 あの日は城山が用事があると言ったのだが

「なんだよ、やましい事かよ」

 太一がいやらしい笑みを張り付けたまま挑発してきたので連れて行ったのだ。

 その店「プロローグ」に着いた二人は足を止める。

「よく覚えてたな」

「当たり前でしょ。私を誰だと思ってるのよ」

「いや、だから言ったんだよ」明日菜の別名゛迷子姫゛はSNS会の中で有名だ。

「地元なんだから、迷う訳ないじゃん」

「……そうだな」

 実際は地元でもしょっちゅう迷っているのだが、城山は反論する事を諦めた。

 そんな特性とは反対に、行動する事においては迷いが無い。初めて行く店や、連れて来られただけの店に入るのも率先して行く。今回も例外では無い。

 全面木造の建物は四十年近い歳月を得て、見事なまでの古臭さを演出している。長い時間だけが作り出せるくすんだ茶色の壁に、珈琲の色と匂いが染み付き店全体に更なる深みをもたらしている。それはどこか懐かしい気分になり、心を落ち着けてくれる。

 カウンターではマスターの塩田が豆をブレンドしている。

 三十代半ばなのだが、建物の年期に負ける事なく妙に様になっている。

「いらっしゃいませ。お二人様ですか」

 塩田は明日菜を見ていうが、その後ろにいる城山を見て目を丸くした。

「城山君にお連れ様がいるとは珍しいね」

 その驚きは一瞬でひっこめ、テレビCMで使えそうな笑顔でテーブル席に案内する。

「城山君はいつものようにカプチーノでいいかな」

「ええ、新しいブレンドがあればそれで」

「ちょうど新しいのが出来た所だから、それにしとくよ。お連れ様はどうしますか」

 メニューとにらめっこしていた明日菜は困った表情で城山を見る。

「ここは紅茶も絶品だ」

「それじゃ、ミルクティーにする」

「わかりました。あの時と同じだね。もう一人は確かコーラフロートだったかな」

 塩田が呟いた言葉に明日菜は目を丸くしている。

「覚えてるんだ」

「そうみたいだな」

 記憶力のいい人間は少なくは無いが、やたらと記憶力がいい人間はなかなかいない。塩田は明らかに後者である。

「ザ・喫茶店のマスターって能力だね」

「どうだろうな。喫茶店のマスターだからなのか、あの能力だからマスターをしてるのかは俺にはわからないよ」

「どっちが先でもいいじゃん。それに人の顔覚える能力は喫茶店とかバーとかのマスターが一番向いてそうだし」

「ああ、そうだな」

 城山は生返事する。頭の中では別の事を考えるが、明日菜を不快にさせない為に折れる。無言でいると、明日菜が結婚する明日菜の親戚の話を始める。

――やっぱり女は早く結婚したい

――二人の方が何かと楽だし、安くなったりする

――正義も一人じゃ大変じゃないの

 等と捲し立てていると、塩田がトレーを運んでくる。

「お待たせ」

 テーブルに並べられたモノを見て城山は驚いた。

「塩田さん――」

 城山が言い終わるよりも先に、塩田が制する。

「これは僕からのお祝いだよ。城山君に彼女が出来たことの」

 城山は否定しようと思ったが、それより先に明日菜が口を開く。

「そんな関係じゃないですよ」

 にっこりと笑っているが、こういう笑い方をする時は結構怒っている事を城山は知っている。

 塩田も本能的に何か察知したのか、すぐに詫びる。

「城山君が珍しく一人じゃなかったからてっきりね。とにかく、それはサービスだから」

 テーブルの上はそのままにしてカウンターに戻っていく。

 空気が悪くなったが、城山は現状を打開する方法をすでに持っていた。

「明日菜、せっかくだからケーキ食べよ」

「そうだね。残すのもさすがに悪いし」

 どこかぶっきらぼうに言ってから目の前のショートケーキにフォークを入れる。それが口に入ると同時に明日菜の表情が輝くのを見逃さなかった。

「どうだ。美味いだろ」

 うつむき加減に悔しそうに頷く。

「今まで食べた中で一番美味しいかも。どこのケーキだろ」

「それは塩田さんが作ってるんだ」

 明日菜がメニューに手を伸ばしたが、城山は説明する。

「それには書いてないよ。裏メニューだから。それも頼んでも出してくれない特別な裏メニュー」

「特別?」

「塩田さんが出してあげたいと思った人にか出さない特別なメニュー。祝い事とか、常連客とかに気が向いた時に出してくれる」

「何だかもったいないね」

「何が?」

 城山の疑問に明日菜はわざとらしく店内を見渡す。

「だって、このケーキを売り出したら絶対流行るのに」

「ああ、そういうんじゃ無いんだよこの店は」

「どういう事?」

「彼は流行るとか流行らないとかはどうでもいいんだ」

「なんで? 流行った方が良いに決まってるじゃん」

 明日菜は心底不思議そうな表情をしている。城山はそういう所が好きになれない。

「そうだね。俺も言ってみたけど、ここは塩田さんの店だから」

 実際には「出さないんですか」と聞いただけだし、理由も共感出来た。

「ふーん。私にはわかんないや」

 だろうな――城山は喉まで出ていたその言葉を飲みこむ。入り口のドアが静かに開くのを目の端にとらえていたせいだ。

 少し遅れて明日菜も城山の異変に気付き、入口に目を向ける。

「え? 嘘――どうしてあの子が」

 二人の視線の先には見知った顔があった。さらに驚かせたのは塩田の一言だった。

「いらっしゃい。いつもの席空けてるよ」

 カウンターの一番奥に座る彼女は当たり前の様にその場に溶け込んでいる。初めては呆然と見ていた明日菜が鋭い視線を城山に飛ばす。

「あれ、どういう事なの。なんであの子がここにいるのよ。やっぱり知ってたんじゃない」

 明日菜が早口に言葉を飛ばす時は本気で怒っている時なのだが、城山にそんな事を気にしている余裕はなかった。

――気づいてなかっただけか

 それとも、一度も同じ日時に来た事がないだけか。

 城山は彼女の言葉を思い出しながら前者なんだろうと予測した。

「彼女がここを利用してるのを知ったのは今だ。だけど彼女も同じだとは思えない。いや、向こうは確実に俺の事を知ってたんだろうな。ルームで話しかけてきたぐらいだ」

 明日菜は納得していない様子だが事実なのだから仕方がない。それに城山は全く別の事を考えている。

「でも、知らないふりをして接する事くらいは出来るか。俺には信じてくれ、としか言い様が無いけど」

 城山はこういう時、あえて嫌みな言い方をする。明日菜に愛想をつかされ盾が無くなろうと、このままの関係が続こうと、どちらでもいいと思っているからだ。太一との縁があるから友人でいるだけだ。

「別に信じないなんて言って無いじゃん――それに」言いにくそうに間を空けて口を開く。

「正義は一人の時は大抵小説読んでるし、知り合いが近くにいても気づかないのに気付くわけ無いか。それにあの子は――」

「わかってくれればいいんだ」

 この謝罪も形だけだとわかってはいるのだが、城山は許す。それに、この程度で明日菜が反省するとも思っていない。その証拠に

「でもさ、こんな偶然って本当にあると思う」

 先程のやり取りなんてなかったかのように、急に声を潜めて話し始める。

「どうだろうな。俺から言わせれば偶然も必然も存在しないさ。あるのは結果だけだ」

「論より結果って事? でも何だか気持ち悪いよ」

 城山はスマホを取り出して疑問を口にする。

「それじゃあ、こいつも気持ち悪いか?」

 その意図と意味に気付かないのか明日菜は首を傾げている。

「こいつだって、俺達は結果しか見えてない。どういうシステムがどう動いて便利な機能が使えているのかなんて興味すらないし、疑問にも思わない。彼女がどういう経緯でここに来るようになったかはわからないけど、彼女はここにいて珈琲を飲んでいる」

「それこそ人と機械の差があるじゃん。比べる所間違ってるし」

「まあ、そうなんだけどな。こっちが一方的に気にしても仕方ないだろって事だ」

 早く話題を反らすためにいった言葉が逆効果になる。

「一方的じゃなさそうだから言ってるんじゃん。っていうか私はそんなに気にしてないし。気にしてるのは正義だよ」

 鋭い指摘を受け珍しく苦い表情になる。

「確かに気にはしているけど、明日菜ほどじゃない」

 否定しないのは、城山のプライドとポリシーだ。

「私は正義が気にしてるから気にしてるだけ」

「それは俺の勝手だし、明日菜の勝手だ。気にしてしてるのは自分なんだ」

 城山は口癖の様にいう

「自分は自分、他人は他人」

その意味を理解している人は城山の周りにはいない。「だから、私は正義が気にしないなら、気にならない」

 しつこく言うその言葉の意味を理解しないほど城山も鈍くは無いが、城山の中では何も動かない。冷たい声ではっきりと言い直す。

「俺は彼女の事を気にする。これは俺の問題だから明日菜には関係無い」

態度も言葉もショックだったのか、明日菜は目を見開いて硬直する。直後顔を赤く染め立ち上がる。

「帰る」

 それだけを言い残して、振り返りもせずに店を出ていく。それを大人しく見送ってから、城山は大きく溜め息を吐く。

「それだから駄目なんだよ」

 誰に言うわけでもなく。自分に言い聞かせる様に呟いた瞬間。すぐ後ろから声が飛んできた。

「女の子を泣かせた上に出ていったのを追いかけないんだ。本当に最低ね」

 いつの間にか、城山の後ろに立っていた女性はどこか楽しそうにしている。

「別に泣いてなかっただろ」

 何故か当たり前の様に返事をした事に自身で驚きを感じて苦い笑みが漏れる。

「そう。でも今頃速足で歩きながら泣いてるわ」

「君にはわかるのかい」

「さあ、私は私だから」

 気づいた時には、その声は城山の前から聞こえていた。先程まで明日菜が座っていた場所に殺人鬼の娘は座っていた。

「君こそ、さっきのやり取りをみてたんだろ。良く平気でそこに座るな」

言葉では批判しているが、顔を見ればそれが冗談だとわかる。城山自身が自分の言った事に驚いている。

「座りたい場所が空いたから座っただけ。何か問題があるの?」

 ストレートな言葉に驚くが城山は悪い気はしていない。城山も素直に答える。

「いや、問題ないよ。本当は、また君と話したかった」

「知ってるわよ。だから彼女が帰ったんじゃない。後、私の名前は゛君゛じゃなくて瞳だから」

 女性の勘に軽い恐怖を感じながら城山の心は弾んでいる。

「ずいぶんな自信だね。根拠を聞いてみたい所だ」

「さすがディートレーダーね。何でも分析してみたいんだ」

「それとは関係無い……とは言い切れないか。分析したいのは確かだからね」

「案外素直なのね。それじゃ、私も素直に言うと入学した時から貴方を見てたから」

「それが根拠?」

「こう見えても人を見る目に自信はあるの」

「泣かした女の子を追いかけず、知り合い程度の女性と話すヤツしか見つけない目だけど?」

 自虐的な皮肉だが、互いに気にする様子も無い。

「そんなの関係無いわ。怒るのはその人の勝手だから」

「そうだね。自分の感情に他人を巻き込んだら駄目だ。特にマイナス方向は」

「私を嫌って下さいって言ってる様なモノよね。貴方みたいな人には特に」

「なるほどね。君と似たような考え方の人間を探す。なら、君の目は実に良い」

「ああいう態度取られたら冷めるんでしょ」

「よくご存知で」

 城山は感心する。どこからが本当でどこまでが演技なのか。

「見た感じから合わないわよ、あなた達。合わないっていうのも可笑しいわね。完全な一方通行なんだから」

「別に合わなくてもいいだろ、大学生活を円滑に過ごす為の友達なんて」

「ひどい返事」

「口ではなんと言おうが、笑ってると台無しだな」

「ひどい返事はするけど、ひどい人ではないのよね」まるで全て見てきたかの様に言うのを不思議そうに眺めている。

「だって貴方は、この荷物は届けるんでしょ」

 そう言って指したのは大量の荷物だ。

「嫌な事を思い出させてくれたね」

「でも、これ全部貴方が買ったのよね。じゃあ、どう処分しても問題無いと思うわ」

 捨てて帰れと言っているのは明白だが、城山はそこまで残酷ではない。

「確かにそうだけど、いい方法を思いついたから大丈夫」

「そう。どうせそれも優しいんでしょ。誰かにとって――いえ、たぶん皆にとって最善なんでしょうね」

 皮肉の様に言うのを聞きながら思う。

――確かに俺のメンタル以外は最善だ

 その皮肉は口には出さないが、瞳には透けて見えているようだ。

「ああ、貴方だけは苦労してるわね」

「そうでもない」

 苦し紛れの言葉は城山自身の首を絞める。

「そう。ならいいの。私に嘘ついても損も得もしないものね」

「予想外れちゃった」

 呟きながら寂しそうな笑顔を見せる。

「でも、他は君の言うとおりだ」

 遠慮がちに両手を上げるが、瞳は首を振る。

「息苦しそうに見えたの、あの場所にいる時の貴方は。だから私と共感して欲しかったんだと思う」

「いや、それは――」

 瞳は城山の言葉を遮る。

「でも私の思い違いだったみたい。それなら私の出番は無いわ」

 立ち上がる瞳を止めようとしたが、城山はその言葉を持ち合わせていない。

「それじゃあ、帰るわね。」

 塩田に声をかけ店を出ていく姿を眺めているしかなかった。

――同じ店で女性に二回帰られるなんてな

 混乱している頭で考えながら、スマホを取り出して電話をかけると、二回コールが鳴った所で相手が出る。

「色々あった。ちょっとプロローグまで来て欲しいんだ。出来れば車で」

 それで察してくれる友がいる。城山はその事だけには感謝した。

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