第33話 みんな、俺の彼女

「なっ!?」


 和人の宣言に全員が驚く。

 だが、もっとも驚いたのは、彼女と言われた沙也本人だ。


「い、いつからあなたはわたくしと交際したことになってますの? たかが一度無理やりキスしただけで彼氏面するのはやめてくださいっ!」


 それは、いつも穏やかな彼女からは考えられないほど、取り乱した口調だった。

 男からのいきなりのキス、勘当、信頼していた者の裏切り、その中で、明らかにキスは軽いものと考えられるが、だが、彼女の中ではほぼ同等だった。


「だから、さっきも言っただろ? お前は俺からファーストキスを奪ってるんだよ」

「ですから! わたくしが殿方を相手に口づけをすることなどありえませんわ!」


 真っ赤な顔のまま、そして、和人に抱かれた肩はそのままに、沙也は抗議をする。


「それはないだろう、さやちゃん。俺を監禁までしておいてさ」

「何を言……あ、れ……?」


 沙也はじっと和人を見上げる。


「和、ちゃん……?」

「ああ、井尾和人十五歳。子供の頃、お前の近所に住んでいた和ちゃんだ」

「…………っ!」


 沙也が、驚いたように一歩、また一歩下がり、和人の腕から抜け出す。


「わ、わたくしがあの後、どれだけ叱られたと思っていますのっ!」

「いや、それは自業自得だろ」


「それどころではありません! お父様にもお婆さまにも何時間も叱られてっ! 真っ赤になるまでおしりを叩かれて! お小遣いが三か月もなかったのですよ!?」

「微笑ましいな。ていうか、それで済んだのかよ」


 この子の今の性格を考えれば、おそらく沙也の親は溺愛していて甘やかせていたのだろう。


「笑い事ではありませんっ! わたくしはあれで、殿方は懲りたのですっ! ですからもう、貴方など──」

「まあ、それはさ」


 和人は逃げだした沙也の肩を更に抱き、引き寄せる。


「俺も子供だったから、お前のわがままをどうすることも出来なかったから逃げただけだ。だが、今ならわがままを許せる。許せないものはきちんと叱ることも出来る。そんな男にはなったつもりだ」


 まだ少し睨んだまま、和人を見上げる沙也。

 この強引な力強さ、そして、その明晰な頭脳に裏付けされる態度の余裕。

 確かにあの頃の彼にはなかったものだ。


「お前は俺と付き合え。わがままは可愛くて見逃してしまうかも知れないが、度を超えたのは叱ってやる。今よりマシな人間にして、婆さんにいつか許してもらえる人間にしてやる」


 目の前、というのは正にこの事だろう、沙也は目の前でそう告げられ、顔が、身体が熱くなるのを感じる。


「よくもそんなことを言えたものですね、何様ですか。和ちゃんのくせに」


 それでも、まだつんとした態度の沙也の唇を、和人は更に奪う。


「俺は教師だ。お前がそうなったのが俺のせいだって言うなら、俺が責任を持って真人間にしてやる。お前が謝るのも付き合ってやる。仕返しからは守ってやる。だから、俺と付き合え。」

「…………」


 キスをされて頬も赤く、目も潤ませて和人を見上げる沙也。


「……分かりました。和ちゃんに全てをお任せいたしますわ」


 やがて、諦めたようにそう言った。


「そうか、じゃあ全て任せろ」

「ですが、その前に、わたくしはわたくしだけの責任を果たしましょう」


 そう言って、沙也は、その場で床に膝をつく。

 それはいわゆる土下座だ。


「みなさん、これまでご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした。そして、これまでわたくしのわがままに付き合っていただき、ありがとうございました。わたくしはこれから、これまでの事を反省し、こちらの殿方とお付き合いをするとともに、彼の指導の下、もう一度精神の修行をいたします。これからは殿方を愛していこうと思っております」


 そこで言葉を止める。


「おい、何も土下座までする必要は──」

「ですが!」


 沙也は先ほどにも増して強い口調になる。


「わたくしはあなたがたを、本気で、心から愛しておりました。その愛は思えば歪んでいたと、心のどこかでは分かっていたのだと思います……ですが、わたくしは誰かに指摘されるまでは、それに気付かないふりをしておりました。申し訳ありませんでした。わたくしは、どんな罵声でも受けるつもりです」


 そう言って、更に頭を下げ、額を床に付ける沙也。

 しん、とした部室内からは、何の反応もない。


「もういいだろ?」


 だから、和人は沙也の胴に手を入れて起き上がらせた。


「何をするのです、和ちゃん。わたくしはこれから彼女たちに──」

「反省して謝罪した。それでいい。お前はそれでいいんだよ。その後は守ってやると言った俺の出番だ」


「彼女たちを威嚇するつもりですか? そのようなこと、わたくしが許しませんわ!」

「違う違う、この子たちがそれでも怒りが収まらないなら、俺が代わりに謝るし殴られるし、弁償してやる。お前が反省してないならお前に押し付けるが、心から反省してるんだから後は任せろってことだ」


 沙也は最初、何を言われたのか分からず、何かを言い返そうとする態度だったが、すぐに表情が変わり、頬を染めて、うつむいた。


「です、が……それでは……」

「いいから任せておけ」


 そう言って、和人はそのまま沙也の肩を抱く。


「でさ、この子のせいで、みんなやりたくもない他の奴への攻撃や嫌がらせの加担とかさせられたんだろ? 仕返しが怖いなら、俺の彼女になれ。俺が守ってやる」


 和人が言い放つと、彼女たちはお互いに目くばせをして、うなずき合い、そして、和人の元に駆け寄った。


「よろしくお願いします!」

「ああ、任せておけ」


 女性不信だった和人は気が付くと数十人の彼女に囲まれていた。


「わたくしが二年以上かけて集めた校内有数の美少女を一気に自分のものにするとは……和ちゃんは豪胆になりましたわね?」

「これはただの成り行きだがな。あ、陽佳、お前はどうする?」

「き、決まってるじゃない……その、付き合ってもいいわよ……」


 少し恥ずかしげに答える陽佳が、可愛かった。


「いや~、一時はぁどうなるかと思いましたけどぉ、ちゃんとまとまりましたねぇ」


 にこにこと、微笑みながら、和人に全力で媚を売るのは綺夏だ。


「私ぃ、涼姫綺夏ってぇ、言いますぅ。これからぁ、よろしくお願いしますぅ」


 そう言って、和人の肩にぴたり、とくっ付く綺夏。


「いや、お前は彼女にしないぞ?」

「……え? ど、どうしてですかぁ? 私、結構ヤバいんですけど」


「いや、お前、反省してないだろ?」

「反省してますよぉ? 本当に心から!」


 彼女にしないと言われて焦り気味の綺夏。

 和人は、沙也の凶行の元凶は彼女だと悟っていた。


「じゃあ、お前は何が悪かったんだ?」

「えっとぉ……部長の言うことに従っていたとことか?」

「全然分かってないみたいだな」


 沙也ももちろん悪いのだが、具体的な犯行は全て綺夏が考えたのだろう。

 こいつをこのまま彼女にして教育しても無駄だ。

 一旦突き離す必要はあるだろう。


「よし、じゃあ、みんなに聞いてみようか。この中で沙也に仕返しをしたいと考えている子はいるか?」


 和人が言っても誰も手を上げない。


「じゃあ、綺夏はどうだ?」


 今度は沙也や理深を除き、ほぼ全員が手を挙げる。


「ええええっ!? どうして?」

「どうしても何も、俺がちょっと見てただけで、お前、沙也が世間知らずでわがままなのをいいことに、自分の嫌いな奴全員沙也の力で叩いてただろ。しかも信じられないくらい残酷な方法で」

「え? どうして分かったん……こほん」


「俺がちょっと見て分かるくらいだ、いつも一緒にいたこの子ら分かってるだろうよ。裸で土下座や、髪をスキンヘッドってのは極端にしても、そのくらいのことは結構やってるんだろ?」

「いえ、ははは……どうでしょうね……」


 追いつめられ、もう笑うしかない綺夏。


「俺の彼女じゃないお前は、助けてやらないぞ? どうする? 髪を剃って全裸で土下座するか?」

「はははは、みんな、ごめんね? え? 許さない? はははは……」


 綺夏の震えた声の笑いが、教室を包み、いつの間にか、綺夏の周りを俺の彼女たちが囲んでいた。

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