第31話 手のひらを返される
話を聞く限り、綺夏が沙也のブレインなのだろう。
沙也自体、元々わがままで人の心など分かる子ではなかったと思うが、あのころを分析するに、ただ単に好きなものを大切に思い、独占したいと言う気持ちがそうさせていたはずなのだ。
それにしてもやっていることが全て外道だと思ったが、外道なのはこの子なのかも知れない。
「まずは言っておこう、お前は人の心が理解出来ていない。だからそんなことを平然と出来るんだ」
「人の心など、理解する必要などありまして? わたくし、これまで生きてきて、人の心の理解など必要だと思ったことはありませんわ」
「それは周りに何でも自分のわがままを通してくれる奴がずっといたからだろう。社会に出ればそんな人間はいなくなるんだぞ? その時お前は人の心が理解出来ないことで苦しむことだろう」
「まあ、わたくしの心配をしていただきまして? ありがとうございます。ですが、それは必要ありませんわ、何しろわたくしは……こほん。あらあら、うっかり喋ってしまうところでしたわ」
くすくす、と和人が既に知っていることをまだ隠そうとしている。
「あのな、この世のどんな人間でも、人の心を知らずに生きていける奴なんて、孤独に生きている奴だけだぞ? それ以外は人と関わる以上、何らかの理解を求められるんだ。お前みたいなわがまま放題の精神年齢が著しく低い奴でもな」
そろそろ面倒になってきた和人は、少し煽るように言って、早く事を進めようと思った。
その言葉に、沙也は何を言われたのか一瞬分かっていないようだ。
おそらくこれまでの人生、彼女に厳しい言葉をぶつけた者はいただろうが、それは彼女を叱る立場にある者であり、そこに愛があり、少なくとも侮辱されることはなかったのだろう。
「部長ぉ、そろそろこんな奴、泣かせてあげましょうよぉ、もうこれ以上ぉ、部長が傷つくのぉ、見たくないですぅ」
「そうですわね。そろそろ泣いて土下座をしていただきましょうか」
「あぁぁっ、いい事思いつきましたぁ、この子もぉ、夜恋さんみたいにぃ、裸になってもらうのはぁ、どうでしょうかぁ? ここにいるみんなもぉ、男の子のぉ、裸をぉ、見てみたいでしょうしぃ」
綺夏の提案に、和人はやはり、こいつが沙也に悪行を積ませていると理解した。
「……わたくしは殿方には興味がありませんし、皆さんもそうでしょう。そんなものを見せられても困りますわ」
ああ、これだ。
自分の思っていることはみんなも思っているだろうという自己中心さ。
これは彼女の元からの性格だ。
「そんなわけないだろ、お前みたいな奴は、大抵気に入った男を自分ちに連れ込んで、帰さないってのが普通だ。お前だって、そんな経験あるんだろ? 男連れ込んで拉致監禁とかな?」
和人が言うと、沙也の表情が明らかに険しくなる。
「……ですからわたくしは、殿方に興味はないと言っているでしょう。何を聞いていますの?」
先ほどまでの余裕がある上方からの目線とは異なり、確実に敵を威嚇するような、余裕のない表情。
「そうじゃないんだろ? お前は一度、男を監禁してひどい目に遭ったから、女に逃げた負け犬なんだろ?」
「っ!」
殴るのではないかというくらいの勢いで、和人に一歩詰め寄る沙也。
和人はそれを平然と見つめ返す。
ああ、なんだ、自分の怖がっていた「女の子」ってのは、こんなに小さくて可愛いんだな。
周囲がどうすればいいか戸惑っている。
ただ一人、綺夏を除いては。
「部長ぉ、もういいんじゃないですかぁ? やっちゃいましょうよぉ」
沙也を正気にさせる意味でそう言って後ろから抱きつく綺夏。
「そうですわね、わたくしとしたことが、このような粗野な殿方の口車に乗ってしまうところでしたわ」
沙也は和人一歩離れて、自嘲気味に微笑む。
沙也の方もそろそろ印籠を出すようなので、こちらも仕掛けよう、と和人は思う。
あの時は怖くて逃げることしか出来なかった。
「お前ともあろうものが、というか、お前だからじゃないか?」
だが、今なら、この子を制御できる。
もし、専務理事が後ろだてでなくても、それは出来たと思う。
もう、自分はこの子が怖くはないのだ。
「あら、わたくしをご存知ないのですか? わたくしのお婆さまは──むぐっ!」
だから、その生意気なことを言う口を塞いでやった。
柔らかいその唇は、昔、無理やりさせられた時とは違い、妙に甘く、とろけるように柔らかかった。
驚いた沙也はとっさに離れようとするが、和人はもう少しこれを味わいたいと、沙也の頭を後ろから押さえる。
そうだ、この子はただのわがままで可愛い女の子だ。
少なくとも、和人にとっては。
数秒ののち、和人は沙也を離したが、彼女はそのまま腰を抜かして床にへたり込んだ。
こんなことをこれまでされたことがないのだろう、何を言っていいのか分からない様子だ。
「な、何をなさいますの……? 出合い頭にいきなり口づけなど、し、失礼いえ、無礼、あの……」
やっと口を開いて出た言葉は支離滅裂だ。
もはや微笑ましさすらある。
「へえ、お前がそんなこと言うんだ?」
和人は今すぐ手を差し出して立たせたうえでそのまま抱きしめたい衝動に駆られたが、何とか我慢する。
「俺から無理やりファーストキスを奪ったお前が、そんなこと言う権利、あるのか?」
和人の言葉に、沙也は一体何を言っているのか、不思議そうに彼を見上げる。
「何を……言っておりますの……?」
「まだ分からないのか? じゃあ、言ってやるよ」
『沙也、先ほどから何をしておりますの?』
「え?」
これから全てを明らかにしてやろうというタイミングで、これまで黙って見ていたスマホの向こうの専務理事が話を始めた。
どうしてこのタイミングで?
「お婆さま?」
驚く沙也。
「あー、専務理事?」
今は少し黙っていて欲しい。
このまま専務理事なしに行けるならそれが一番いいのだから。
『申し訳ありません、再生ボタンがどれか分からず、ずっと声を出せませんでした』
「いや、それはいいんですけど……」
困ったな、どうしよう、と和人がこのタイミングでの彼女の乱入に戸惑う。
『沙也、あなたはいつもそのような態度を取っておりますの? 私の力を当てにして笠に着て生徒たちを威圧してわがまま放題やっておりますのね?』
「ち、違いますっ! そうではありませんわっ!」
必死に弁解をしようとする沙也。
だが、ここまで決定的なものを見られた以上、いいわけは通用しなかった。
『先ほど、他の子の髪を切って丸坊主にすると言っていませんでしたか? あなた、その歳になってもやっていいことと悪いことの区別がついておりませんの?』
「違いますっ! 違うんです、お婆さまっ!」
弁解をしようとするが、否定しか出て来ない沙也。
『これは許しておくわけには参りませんわ。あなたのような人間に璃々院を継がせるわけにはまいりません。沙也、あなたを勘当します』
それは沙也の考える、最悪の言葉だった。
「お婆さま……」
その場にへたりこむ沙也。
だが、まだ気づいていないようだが、彼女にはそれ以上に恐ろしい事があるはずだ。
「ど、どうしましょう、綺夏さん……」
沙也は、恐らく、いつもなのだろう、後ろにいた綺夏に相談する。
だが、その綺夏の目は、とても冷たいものだった。
ぱん、とその手を払う。
「触らないでくれる? 気持ち悪いんですけど」
それは、さっきまで全力で媚を売っていた本人と同一人物とは思えないほど、嫌悪を露にした態度だった。
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