第30話 救出、そして対決

「おかえりなさい、せんせー!」


 映魅が明るく迎えてくれた。

 抱きついて来る勢いなので、肩を押さえて止める。


「ふにゃーっ!」


 すると映魅は、両手を前に出してぐいぐいと和人を押して何とかして抱きつこうとしていた。

 これが日本の緊迫する外交問題を担う大臣の娘か。

 確かに、行動が自由という以外の躾はきちんと出来ているし、挨拶や礼儀はきちんとはしているのだが。


「あれ? そう言えば理深は来てないのか?」

「それは知らない人ですね? 知らない人は来てません! 私は人見知りなので知らない人が来たら、もごもごしますっ!」


 お前が人見知りとか、絶対違うだろう、と突っ込みたかったが、今はそう言っている時ではない。

 では、理深はどこに行った?


「理深はさっき彼女にした奴だ」

「では、私の後輩ですねっ!」


「いや、三年だから先輩だぞ?」

「せんせーの彼女として後輩ですっ!」


 堂々と言われると、返す言葉もない。


「とにかく、来てないんだな?」

「はいっ! 来たら、せんせーの彼女先輩として、パンを買いに行かせますっ!」


「そんな奴とは別れる」

「嘘です! 捨てないでくださいっ!」


 映魅が和人の隙をついて飛びついてくる。

 軽量級の映魅は重くはないが、全身女の子の身体が飛びかかってきて、和人はとても困る。

 ただ、映魅がこうして躊躇なく和人に触れ合って来るおかげで、和人の女性不信が和らいでいるのも事実だ。


「捨てないさ、お前こそ俺の股間を一度見たら捨てるんじゃないか?」

「捨てません! 見られたら一日中見ています」


「見るなっ! やっぱりお前には一生見せない!」

「そんな! 見せてくださいー!」


 そうやって恋人同士の二人がイチャイチャしていると、ばん、とまだ施錠をしていないドアが勢いよく開く。


「うひゃっ!」

「いてっ!」


 いきなりの事に驚いた映魅が、文字通り飛び上がり、和人にヘッドバットを食らわせる。


「せんせー、誰か来ましたっ!」

「その前に言うことはないか?」


「キスしてくださいっ!」

「いきなり何言い出す!?」


「だってせんせーが言いたいこと言えって」

「言ってないっ!」


「井尾先生!」

「そんなこと一度も……陽佳?」


 そこには、一度デートしてから逃げるようになった、木庭椰陽佳が、切羽詰まったような面持ちで立っていた。


「どうした? 何かあったか?」


 焦っているような雰囲気に、和人は尋ねる。


「助けて……先輩が、夜恋先輩が……」


 今にも泣きそうな表情。

 いつも生意気だった陽佳とは思えないほど焦燥していた。


「理深がどうした?」

「今から、髪を剃られてスキンヘッドに……」


「どこだ?」

「あの、文化部棟の白百合を愛でる会の部室は……あのこれ、鍵」

「ああ」


 和人は鍵を受けとると全力で走った。

 あの綺麗な髪を剃ってスキンヘッドにするなんて、あまりにも度が超えすぎている。

 そこまでいけば、もう沙也は犯罪者だ。

 それすらも分からない奴なのだろうか?


「おっと、忘れるところだった」


 和人は減速してスマホを操作する。

 アプリを立ち上げ「接続」で専務理事につなげる。

 接続されたことを確認して、それを胸ポケットに入れる。

 するとカメラの部分だけがちょうどポケットからはみ出すようになる。

 後は走るだけだ。

 全力で走って、部室へ向かう。

 部室前、ドアを開けようとすると、鍵がかかっている。

 オートロックのようだ。


「助けてっ、井尾先生! 助けてぇぇっ!」


 中からの叫び声。

 和人は慌てて陽佳から預かった鍵を使う。

 中には、ほとんどの部員に身体を押さえられいる中、今まさに、頭にバリカンを入れられようとしている理深が叫んでいた。

 その光景だけで、和人はキレた。

 刈ろうとしている奴に殴りかかろうとも思ったが、それは必死に堪える。


「待てよ、何してんだよ、人の彼女に!」


 和人の怒鳴り声に、そこに人がいるとは思っていなかった全員が身体をびくりと震わせて、動きを止めてこちらを見る。


「理深、来いっ!」


 全員が隙だらけなので、和人は理深に叫ぶ。

 理深ははっとなって、こちらに走って来て、そのまま和人に抱き着いてきた。


「せんせ……う、うわぁぁぁぁっ!」


 余程怖かったのか、理深はいきなり号泣し始めた。

 女心が分からない和人でも、女の子がその髪を失うというのがどれほど恐いことなのかくらい理解出来る。

 和人はその髪を撫でてやった。

 正直、三年生の、成長した理深に抱きしめられると、一年生の映魅とは色々と違うため、和人としては困るのだが、今それを顔に出すわけにはいかない。

 何しろこれから、もっと凄いことを行う予定なのだ。

 一分もすると、理深もようやく落ち着いてくる。

 本当ならもう十分くらいこうしていたいのだが、そういうわけにも行かない。


「よし。理深、ちょっとそこで休んでてくれ。俺はまだやらなきゃならないことがあるからな?」

「うん……」


 さて、ここから和人が戦う番だ。

 いや、そもそも負けるわけがない戦いは戦いとは呼ばない、

 これからただ、相手を懲らしめるだけだ。


「あら、これは、始業式で面白いご冗談をおっしゃっておられた坊やではありませんか? 申し訳ありません、こちらは部室となりますので、教師といえど勝手に侵入は許可されておりませんのよ?」


 十数人の生徒の中から一人が歩いて来て、そう言った。

 ああ、面影がある、この子があの沙也ちゃんか。

 昔も見た目は可愛かったが、本当に綺麗で上品な女の子に成長したものだな。

 中身はあの頃のままなのだろうがな。


「そんなこと知るか。俺はただ、自分の女を助けに来ただけだ。人の女の髪を剃ってスキンヘッドにしようとする外道がいるから、怒鳴り込みに来ただけだ」

「まあ、なんて汚いお言葉」


 くすくす、と口に手を置いて笑う沙也。


「どうして汚い言葉になると思う? 汚い奴は汚い言葉でしか表現できないからだ」


 ただの口喧嘩だというなら、和人が負けるわけがない。

 だが、それで勝つことには何の意味もない。


「無礼な方ですわね。わたくし、今年で十七歳になりますのよ? あなたおいくつでして?」


 やはりムッとしたのかそう返してくる。


「今年で十五だな」


 またこのやり取りか。

 少々うんざりして、和人が答える。


「儒教の授業なら後でいいだろ。儒教を本格的に知りもしない癖に」


 和人もただ興味本位で本を二冊程度読んだだけだが、思想や宗教の講義で多くの思想についてのまとめは理解しているので、少なくとも沙也よりは知っている自信はある。

 だが、和人と陽佳のやりとりを知らない沙也は、自分が何を言われているのかもさっぱり理解していない。


「部長ぉ、この子ぉ、部長ぉに勝つつもりですよぉ?」


 沙也の後ろにいた、ショートボブの小柄な子、涼姫綺夏が少し嘲笑いながら沙也に言う。

 顔面自体はとても可愛いんだが、その、媚びるような表情が厭らしい。


「そのようですわね。時間の無駄でしかないのに。まあ、今日は少し気分がよろしいので、付き合ってあげましょうか。しばらくはあの事は黙っていて、好きに喋らせましょう」


 和人の背後に、璃々院専務理事がいて、今まさにこの映像を見ているとは知らず、自分の背後に璃々院専務理事がいると信じて余裕で微笑む沙也。


「まずは聞こうか、どうして理深の髪を切ろうとしたんだ?」

「それはあの子が、わたくしの言いつけを守れなかったからです。わたくしはあなたをこの学校から追いだせと言ったのに、それが出来ませんでした。副部長の綺夏さんと相談したところ、わたくしはあの髪が大好きですから、いただこうということになり、いただく事にしたのですわ」


 平然と言い張る沙也。


「あのな、女の子が髪を剃られたらどうなるか、お前は分からないのか? お前が剃られたらどうするんだよ?」

「別にわたくしはあの子が、スキンヘッドのまま公衆に晒すつもりはありませんでしたわ。いただいた髪でウィッグを作り、それを彼女にお貸するつもりでした。彼女がわたくしのそばにいる限り、いつでもあの髪は彼女を美しく装いますわ?」

「それはつまり、お前から離れられないようにする、ということか?」


「そうですわ。だって彼女は昔、一度わたくしを裏切ったのですから。その時も綺夏さんの提案で、裸で土下座していただきました。それでもわたくしは不安で仕方がなく、いつも彼女といたいと思い、綺夏さんに相談して、椅子になっていただきました。こう、四つん這いになって、わたくしがその上に座るのです」

「さっきから綺夏綺夏うるさいな、涼姫が死んだらお前も死ぬのかよ?」

「あらまあ、何をおっしゃっていらっしゃるのやら」


 沙也は綺夏と顔を見合わせて笑う。

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