第26話 理事会の攻防~理深サイド~

 夜恋理深にとって、この理事会は自分の命そのものがかかっていると言ってもいい。

 いや、それでもまだ足りない。

 理深にとって、この髪は、命よりも大事なものだ。

 これを切られるなら死ぬ。

 切った奴、それを命じた奴、その関係者全員を殺した上で死ぬ。

 もちろんそれは最悪のシナリオだ。

 そうする覚悟はある、だがそうなりたくはない。

 だから、理事会に呼ばれ、事情を聞かれた時には、先生に言った時よりも更に感情的に述べた。

 男の人に全裸を見られ、どれだけ恥ずかしかったか、もう死ぬしかないとまで思ったとか、とにかくあの事件で自分が大きく傷ついたことを伝えると、理事会の人たちの表情はとても同情的になった。


 これは、行ける。

 理事会に招集されるなど、思った以上に大事になって少し怖くはなって来ているが、これは大丈夫だろう。

 井尾先生には何の恨みもないが、ここはクビになってもらおう。

 何よりも自分の髪がかかっているのだ。


「失礼します」


 ゆっくりと、井尾先生が入ってくる。

 こんな状況にもかかわらず落ちついているようだ。

 何だろうこの余裕は?

 理深は少しだけ不安になる。

 自分より歳下にしてアメリカの大学院を卒業したという天才先生だ、もしかすると、状況打破の武器でも持っているのかもしれない。

 普通の先生ならまだしも、この先生は違う。

 二年生の白百合メンバーの中でも最も沙也に愛され、忠誠心もそれなりにあった陽佳が何故かデートするまでになっていたのだ。

 彼に本気になられては、覆されるかもしれない。

 理深は緊張が更に高まる。

 息をするのも辛い程に。


「さて、井尾和人先生、このような場に御足労いただきありがとうございます。本日は、あなたに疑惑がかけられている事項の確認のために御足労いただきました」


 先ほどから理深に質問をしていた、白髪の上品な女性が口を開く。

 あの物腰や顔には見覚えがある。

 そうだ、あれは璃々院沙也と似ているのだ。

 おそらくあれが彼女がよく言っている「お婆さま」なのだろう。

 彼女と井尾先生の話が続いている。

 話の流れは、徐々に先ほどまで決まりかけていた流れが止まりつつあるのを感じる。

 いや、今になって思えば、最初からそんな流れになんて、なってなかったのかもしれない。


「では、あなたを呼びに来た生徒はどなたですか?」

「三年生の涼姫綺夏という生徒です」

「っ!」


 その名前を口にされ、理深は自分が尋常でないくらい動揺していることに気付く。

 まずい、その名前はまずい。

 彼女を巻きこんでは駄目だ。

 汚名を被るなら自分だけが被らなければ、彼女は沙也よりも遥かに恐ろしい。

 もちろん心の中では、彼女は一度ひどい目に遭って泣くべきだとは思っている。

 一回は泣かされないとあの性格は治らないだろう。

 だが、それをしたのが自分だと分かれば、何をされるか分かったものではない。

 何しろこの前も、昼休みに入った直後、つまりは食事前に来て更衣室に連れて行かれ、服を脱がされた上すべての荷物を持ち去られた。

 そして、衣服が一切ないまま、理深はそこで三十分以上待たされた。

 その間に綺夏は沙也たちと昼食を取っていたようだ。

 人を全裸で待機させたまま、平然と待たせるその神経は絶対に理解出来ないが、それゆえに心底恐ろしい。

 あの外道なら、自分が命より大事な髪を失っても、号泣する自分を見て、心から爆笑するだろう。

 もし自殺すれば、おそらく沙也は悲しんで後悔くらいはしてくれるかもしれないが、綺夏はそんなこともしないだろう。

 おそらく、玩具が一つ壊れた、程度にしか思わないだろう。

 あれを人間と思って接しては駄目だ。

 だから、なるべく関わりたくはない。


「それでは一旦、彼女には退場していただきましょうか」

「え?」


 何の話があったのか、聞いていなかった。

 気が付くと沙也の祖母に退場を促されている。

 まずい、ここに彼を一人残しては、理深が不利になることを言いだしても否定することが出来ない。

 出来ればもう、逃げ出したい。

 学校を退学して、家に引きこもりたい。

 だけど、今更逃げ出すことは出来ない。


「い、いえ、だ、大丈夫です……!」

「そうですか? 本当に大丈夫ですの?」


 理深の様子が普通でないことに気付いた彼女が、心配そうに聞く。


「は、はい、大丈夫です……!」


 大丈夫かと言えば、大丈夫ではない。

 理深は、そう答えるしかなかった。


「分かりました、では、井尾先生、発言をお願いします」


 井尾の話は続いていく。


「はい、私が踏み込んだ時、確かに彼女は全裸でした。これはたとえ故意ではなかったとしても、年頃の女性の裸を見てしまったという事実は彼女を深く傷つけたかも知れず、申し訳ないと思います」


 井尾は、理深に謝罪するような言葉を口にする。

 それは、逆に理深の方が申し訳なく思う。

 沙也や綺夏の命令とは言え、自分の方が見せた側なのに。


「ですが、ふと、疑問に思ったことがあります」


 だが、次の瞬間、それを否定する。

 この人は、自分、いや、沙也の策略などすべてお見通しなのだ。

 次々と理深が服を持っていなかったことを指摘し、彼女がいじめられているのではないか、とまで言いだした。

 それは当たっている、当たっているが、どうでもいいことだ。

 この二年間のことを、今更いじめ、などと軽々しく言って欲しくはない。

 だったら二年前に助けてくれたらよかったのだ。

 だが、いじめ、という言葉に、教育者たちは異様に反応する。

 まずい、流れが変わり始めた。

 この男は一体何を言い出すのだ。

 自分のいじめに同情するようなことを言っているが、今はそんなこと話さなくてもいい。

 ただ、もう謝罪してこの学校を去ってくれればいいのだ。

 そうでなければ、理深はその髪を失ってしまう。

 頼むからもう喋らないでくれ。

 もし、裸が見たいのであればもう一度見せてもいい。

 死ぬほど恥ずかしいが、髪を失うよりは遥かにマシだ。


「もちろんこれはただの推測です。それに、夜恋さんに聞いたところで、いじめはないと言うことでしょう。彼女にとってみれば、教師や理事会よりも、いじめている生徒の方がよほど怖いでしょうから」


 井尾先生の言葉は、完全に当たっている。

 その通りだ、だから、お前は黙って去ってくれ。

 そうすれば、私は何も困らない。

 推薦で大学に行って、そこで幸せになれるのだ。

 ほっといてくれ、構わないでくれ、私はこれでいいのだ。


「彼女は報復を恐れている、それは誰かが守らなければならない」


 出来もしないことを言うな、二年前も他の先生や友達に助けを求めても誰も助けてくれなかった。

 友達も先生も、遠くから見ているだけだった。

 だから、土下座するしかなかったのだ。

 椅子になるしかなかったのだ。

 それはいい、もう諦めている。

 ただ、ほっといてくれ。

 黙って去ってくれ。


「だから、私が守ります。私が夜恋理深を守ります」


 守……る……?

 この先生は、今そう言った。

 こんな自分より年下の、正直可愛いとすら思える男の子が、自分を守ってくれると言っている。

 それは、信じていいのか?

 ……いや、誰も彼女たちには敵わないと、この二年で嫌と言うほど分かったではないか。

 何を今更期待することなどあるのだ。


「その、一番の手は、私が彼女と恋人になることです。そうすればその事実だけで、彼女は守られます。教師の彼女をいじめる奴はいないでしょう」


 恋人になる。

 確かに井尾先生は、始業式でお前ら全員彼女にする、と言ってのけた。

 あれは、本当だったということか。

 それならばもしかして、彼なら、助けてくれるかもしれない。

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