第25話 理事会の攻防②

「それよりも、私もいくつか疑問があったので、確認のために発言したいと思いますがよろしいでしょうか? 内容は、場合によっては生徒──彼女を責めたり傷つけることになりますが」


 ちらり、と和人は理深を見てから、専務理事に言う。


「そうですか。それでは一旦、彼女には退場していただきましょうか」

「い、いえ、だ、大丈夫です……!」


 声も震え、足も立っているのがやっとというくらい震えているにもかかわらず、理深は退場を拒んだ。

 何が彼女をそうさせるのか。


「そうですか? 大丈夫ですの?」

「は、はい、大丈夫です……!」


 気丈に、理深が答える。

 和人は、おそらく沙也に絶対和人を加害者に仕立てて来い、と命令されているのだろう、と推測した。

 可哀想な子だ、だが同情はしない。


「分かりました、では、井尾先生、発言をお願いします」

「はい、私が踏み込んだ時、確かに彼女は全裸でした。これはたとえ故意ではなかったとしても、年頃の女性の裸を見てしまったという事実は彼女を深く傷つけたかも知れず、申し訳ないと思います。ですが、ふと、疑問に思ったことがあります」


 ここで一旦言葉を止める。

 アメリカで習得したディベートのタイミングだ。


「彼女が全裸だった理由は、先ほど専務理事よりあったように、濡れた服を着替えていたのでしょう。ですが、私は入ってから出るまで、色々な人が踏み込んで来て、出るに出られなかったので、五分ほどそこにおりました。もちろん彼女からは目を背けてはおりましたが、どうしても目端に彼女が入って来ておりました。その五分間、彼女はずっと服を着ようとしたり、タオルや服で身体を隠すようなことは一切せず、ただ、ずっと手で身体を隠しておりました」


 ここでまた一旦話を止める。

 状況を理事たちに想像させるためだ。

 そして、さっきまでずっとうつむいていた理深が、睨むような目で和人を見つめていた。


「私はその五分間、彼女の服やタオル、鞄に至るまで、何一つ目には映りませんでした。その時は慌てていたため、何も思わなかったのですが、後になって考えると非常に不自然です。私の知る限りの女性観で申し訳ないですが、一般的な若い女性は、年齢の近い男性に裸を見られたくない、それどころか身に付けている下着すら見られたくはない、と思うものだと思います」


 理事たちはみんな、黙って聞いている。

 そして、理深だけが、すぐにでも飛びかかってきそうな表情で、和人を睨んでいる。


「ここから先は想像になりますが、おそらく彼女、夜恋理深さんは、自分の衣服を持たされていなかったのではないか? だから、隠したくても手で隠すしかなかったのではないか、そう思ったのです。そう考えるとすべてのつじつまが合います」


 和人の想像はこうだ。

 陽佳が和人を攻撃しなくなってから、璃々院沙也は次の手を考えた。

 そして、それを理深は半ば強制的に参加させられたのだろう。

 だが、彼女には二年前に沙也に反抗したという経緯があるため、全面的な信頼をされず、裏切る可能性もあると思われた。

 だから、全ての服を持ち去られ、更衣室に取り残された。

 そうすれば逃げようにも逃げられないし、更衣室には隠れられるところもない。

 そう考えると、彼女が一切の服も出さず、ずっと何も身に付けずにいたことも理解出来る。


「つまり、今回の件で、私が出した結論として二つ。まずは、この学校に私を追いだそうとする勢力がある。そして、彼女、夜恋理深さんはいじめに遭っている」


 その結論は、理事や校長、教頭も驚く。

 教育管理者にとって、校内でのいじめという事実は何よりも忌避したい事項だろう。


「もちろんこれはただの推測です。それに、夜恋さんに聞いたところで、いじめはないと言うことでしょう。彼女にとってみれば、教師や理事会よりも、いじめている生徒の方がよほど怖いでしょうから」


 推測、といいながら、かなりの信憑性を想像させ、更に理深の言葉を無力化して彼女がいくらいじめがないと言い張っても、いじめている生徒が怖いのだ、と思わせるようにした。


「前者に関しては大した問題ではないでしょう。私は人事権も把握している理事会の承認で就任したのですから、理事会で否認されない限りは解雇されることはありません。更に、私は契約上労働法に守られるため、過度の過失がない限り労働契約を雇用者の都合で解除は出来ません。私の立場上、全員に善しとされることはないと考えます。ですからそのような勢力はいても問題ないですし、学院のバランスを保つためにも必要な勢力とも言えるでしょう」


 和人の言葉に、そこにいる誰もが多少の違和感を覚えた。

 今まさに理事会による「過度の過失」の疑惑が審議がされている中、「そんな問題は一切ないから問題はない」ことを前提に話しているからだ。

 つまり、和人自身、自分に何の過失もないと絶対的な自信を持っていることを自身で表現したのだ。


「ですが、後者は大きな問題です。これが事実なら、学校全体を巻きこんだ問題となります。これは絶対に避けなければならない」


 そして「そんなことよりこっちの方が大問題だ」と別の問題をクローズアップさせる。

 推測、と言った事柄を、最早事実のように語り、その上に新たな論を展開し、視線をそらす。


「彼女は報復を恐れている、それは誰かが守らなければならない」


 理深は睨みを通り越して、今にも泣きそうな目で、ただ、和人を睨んでいる。


「だから、私が守ります。私が夜恋理深を守ります。その、一番の手は、私が彼女の恋人になることです。そうすればその事実だけで、彼女は守られます。教師の彼女をいじめる奴はいないでしょう。これが出来るのは、生徒を付き合ってもいいと許可されている私だけです」


 名案を披露している、という口調で、和人が話す。

 が、和人は緊張していた。

 この演説そのものが、ではない。

 そんなものは、アンチ派も多い学会での発表に比べれば大したことではない。

 それよりもこれから、この女の子に告白する流れになっていることに、緊張しているのだ。


「夜恋、今聞いた通りだ。俺がお前を守ってやる。いや、そうじゃない、俺はお前のその綺麗な髪に惚れた。つ、つ、つ、ちゅきあって……こほん」


 緊張のせいで噛んでしまった。

 さっきまで流れるように論を運んでいた和人がいきなり告白というタイミングで噛んだことで、理事からは微笑みが漏れる。

 さっきまで和人を睨んでいた、理深さえもくすりと笑い、慌てて口を隠したくらいだ。


「夜恋理深、俺と付き合ってくれ。俺がお前を守る」


 落ちついてからもう一度仕切り直した和人だが、大人たちの微笑ましいという表情はそのままだ。

 だが、理深だけは違った。

 真正面からの告白に、多少心を動かされている。

 そして、心の底から迷っているような表情。

 心の中で葛藤しているのが分かる。

 しばらくの沈黙。

 和人の告白の行方を、全員が見守っていた。


「……ませんから」

「え?」


 聞こえないような小さな震える声で、理深が口を開く。


「いじめられてなんて、いませんから……」

「そうか……」

「だから、守ってもらう必要なんて、ありません」


 泣きそうな表情で、うつむいて、苦しそうに言葉を吐く理深。

 だから、まず、和人は専務理事を見る。

 そして、ただ、頷くと、専務理事は頷き返す。

 それは「彼女は強情にいじめはないと言っているが、明らかにある表情だから、俺が守って見せます」という意味の投げかけで、それに専務理事が答えた格好になる。


「夜恋、いや、理深、それでもいい。守るとか守らないとかじゃなく、俺はお前に惚れたんだ。俺と付き合ってくれ」


 今度は噛まずに言えた。

 理深はじっと和人が差し出した手を見る。


「今はなくても、今後、何かお前に危機が訪れたら、絶対に俺が守る! それは約束する! その代わり、お前はいつもその綺麗な髪を、俺に見せてくれ」


 理深の表情が少し変わる。

 彼女にとって髪は最後の自慢、それを褒められるのは満更ではない。

 そして、その髪が今、危機に瀕している。

 それを「守ってくれる」と言ってくれている。

 誰を信じるか?

 何を信じるか?

 自分は、どうしたいのか?

 理深は全身で迷っているのが分かる。

 だが、やがて、おずおずと手をゆっくりと上げ、その差し出された和人の手を掴もうとしては躊躇していた。


 それを和人が強引に掴む。

 そして、抗議も拒否も言わせないように、その手を引き寄せて、抱きしめる。


「ありがとう、理深。今日から君は俺の彼女だ」


 そして、有無を言わせず、そう宣言する。

 心の中では物凄く緊張しているし、跳ね返されたらどうしよう、などと考えているし、抱きしめて触れあう身体から、この前見た裸を思いだしてしまうしで混乱していた。


「理事会の方々、私と夜恋理深さんは、恋人同士になりました。私たちの出会うきっかけはまさにあの事件です。ですから、私はもう、あの事件を起こしたのは誰か、などと考えようとは思いません。どちらにしても感謝しかありませんから」


 理事会も何となく祝福ムードになっている。


「そうですか、おめでとうございます。それではこの件は、最終的に恋人同士の早すぎた触れあい、と言っても話が通じますね。そのように処理いたしましょう」


 和人が理深の着替えている更衣室に踏み込んだ件は、その専務理事の一言で不問となった。

 元々が和人が思っていた以上に和人に好意的であったため、ここまで綿密に話を構成する必要があったかといえば、そうでもなかっただろう。

 だが、和人自身は、自分から女の子に告白出来たという事実が、自身の成長のバロメータとして残った。


「さて、これが最後の議題でしたね? ではこれにて、定期理事会を終了いたします。ところで、井尾先生、少しお話がありますのでお時間があるようでしたら、少し残ってください」

「あ、はい」


 ぞろぞろと、理事や校長たちが出ていく中、不安げに和人を見上げる、胸の中の理深。


「ちょっと待っててくれ。長くなりそうなら、俺の事務部屋に行っててくれ。そこに誰かいるはずだから」

「うん……」


 そう言うと、理深は和人から離れ、出て行った。

 和人はそれを見送ると、専務理事の方へ向かう。


「お待たせしました、では、じっくりお話しましょう」


 和人はあくまで、紳士として淑女に相対するようにそう答えた。

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