第18話 新しい椅子
「部長ぉぉ。私もぉ、可愛がってくださいよー」
沙也に媚びた口調でおねだりをするのは、副部長の涼姫
彼女は在来組であり、沙也の取り巻きでもある。
あの時は気づかなかったが、裸で土下座しろと促したのも多分こいつだ。
「しょうがないですわね。ほら、来なさい?」
「はーい、んー……ほぅ……」
艶めかしい綺夏の声。
ああ、自分もこうやって最初からプライドもなく、立ち回っていればよかった。
後悔はあるが、もう仕方がない。
「それで、あの坊やのことはどうなりましたの?」
あの坊や、始業式で騒いでいた十五歳の教師のことだろう。
アイドルのように可愛い顔だったのが、遠くからでも分かった。
学院の全員を彼女にしてやる、というふざけた事を言っていたが、目的は今一つ分からない。
とにかく、学院の可愛い女の子は全て自分のそばに置きたい沙也からすれば、敵以外の何者でもないだろうというのは、理深にも分かる。
だから、早速潰そうと、彼が担任になる2年A組の生徒である木庭椰陽佳に彼を潰すよう命じていたのを、理深は椅子になりながら聞いていた。
陽佳は頭の悪い子ではないが、悪巧みが得意でもないため、策は全て沙也が与えていた。
「それがですねぇ、私、見ちゃったんです。木庭椰ちゃんがぁ、その井尾先生と、昼休みにデートしてましたっ!」
「あらあら、それは素敵ですわね。どうでした? 坊やは素敵な方でしたか?」
「違いますっ! デートなんてしていませんっ!」
陽佳は必死に弁解をする。
その意味は分かる。
四つん這いにされ、その尻を毎日乗せられている自分のようにはなりたくない。
それはここにいる全員の総意だろう。
「えー、でもぉ、先生はデートって言っていましたしぃ、木庭椰ちゃん、嬉しそうでしたよぉ?」
そんなことを言わなくてもいいのに、それであんたに一体何の得があるのか。
理深はそんな人間の事をえげつないとしか思えないので、取り巻きにはなれないだろう。
「ち、違いますっ! 本当にそんなんじゃないですっ!」
必死に反論する陽佳。
「そう、では、陽佳さん、ここに座りなさい?」
沙也が指差すのは、自分の座る手前。
もちろんそこには椅子も何もない。
「…………」
その意味を分かっている陽佳は、黙ってそこに正座する。
「わたくしは、あなたを素敵だと思っておりますからこの会にお誘いいたしました。ですから、わたくしはあなたを信頼しておりますわ。そう怯えた顔はなさらないで」
優しく、陽佳のツインテールを撫で、手のひらで髪を弄ぶ沙也。
「は、はい……」
その言葉で、陽佳は余計に緊張した。
「では、何故そうなったのか、経緯をお話しいただけるかしら?」
「はい、その……」
陽佳はそこに至るまでの経緯を話した。
沙也に託された作戦を実行中、それを上回る返しをされ、成り行きで賭けをして、負けてしまったこと。
その後、デートをして何とか情報を引きだそうとして、実は女の子が苦手であることなどが分かったことも全て話をした。
「そうでしたか。せっかくのわたくしの作戦は無駄になったのですね?」
「すみません、思った以上に井尾先生が手ごわくて……それに、もう授業を真面目に受けると約束させられました……」
申し訳なさそうに、陽佳が言う。
それは仕方がない、という様子で、次にはどのような手を打つか考えている沙也。
「でもぉ、部長のあの完璧な作戦をミスするって普通ならありえませんよねぇ?」
そこに割って入るのは、綺夏。
甘えた態度のまま、強烈に陽佳を責める。
「もしかしてぇ、井尾先生にぃ、恋しちゃったとかぁ? だってぇ。部長の作戦を捻じ曲げて、賭けに乗ったんだしぃ……その辺、どうなのかなぁってぇ」
可愛く首を曲げ、指を唇に置いて、疑問を口にする綺夏。
どうしてそこまで他人を追いつめられるのだ。
この子には人の血が流れていないのか。
聞きながら、理深はぞっとした。
「そうですわねぇ……陽佳さん、先生と仲良くしたかったのですか?」
「え、あ、いえっ! そんなことありませんっ!」
陽佳は慌てて首を振る。
怯える陽佳を、沙也は優しく撫でてやる。
理解は出来ないが、沙也の考えていることは分かるし、理不尽ではあるが筋は通っていると言えないことはない。
だが、この綺夏だけは何を考えているのか全く分からない。
沙也のため、というわけでもなさそうだし、正義感が強いというわけでもない。
ただ、人が追いつめられていく表情を見ると、いつも悦に浸っているのを知っている。
「あ、知ってるかなぁ、木庭椰ちゃぁん、これぇ、カッターナイフって言うんですってぇ」
綺夏が、鞄からカッターナイフを取り出して、陽佳に言う。
もちろん陽佳がカッターナイフを知らないわけがない。
「これぇ、その木庭椰ちゃんの、かわいぃ顔にぃ、一生消えない傷をつけることが出来るのよぉ?」
「ひっ」
刃を出し、陽佳の顔の前で、それを揺らす綺夏。
もちろん、本当に傷つけることはしない。
陽佳は沙也の可愛がっている部員であるため、その顔を傷つけるとなると、綺夏の地位は副部長から、理深以下に落ちることだろう。
「ねぇ~、木庭椰ちゃぁん。しょぉぉじきに言っちゃおうよぉ。井尾先生のこと、どう思うのぉ?」
「…………っ」
刃を突き付けられた陽佳は、何を言えば正解なのか迷う。
正直に言えば、それこそ会への、いや、沙也への裏切り行為で酷い目に遭うのは分かっている。
だが、嘘をついてそれがばれた時、そのカッターナイフで顔を切り刻まれるかもしれない。
そんなわけがない、と、理深には分かる。
だがそれはずっとこの二人のやり取りを見て来た理深だからであって。
一年足らず、遠くから見ていただけで、しかも今まさにカッターナイフを突きつけられている陽佳には冷静に分析は出来ないだろう。
事実、このやり取りを見ているこの前入ったばかりの一年生は足が震えている。
「はやくぅ、言わないとぉ、お嫁に行けなくなるよぉ?」
「やっ……! 格好いいし、可愛いなって思いましたっ!」
いきなり迫られた陽佳は、思わず正直に答えた。
井尾和人は、最初は偉そうなガキだとしか思わなかったが、ちょっと話をしているうちに自分の知らないことをあれもこれも知っていて頼れそうだと思うとともに、女の子が苦手など、可愛いと思う面もあり、あのまま百万以上の利益があって彼女になっていれば、この会にさえいなければ嬉しいと思ったことだろう。
だが、それを沙也の目の前で口にするのは、ただの裏切り行為でしかない。
「陽佳さん……」
「は、はい……んぐっ!」
いきなりその口を塞がれ、陽佳はされるがままに沙也の舌に蹂躙される。
何度目になるか分からないが、これだけ激しかったことはこれまでにない。
「悲しいですわ、陽佳さん。わたくしのこの愛が、届かないなんて……」
本気で悲しそうに、沙也は陽佳の顔を抱きしめる。
「い、いえっ! そう思っただけで……その、私は、部長が一番ですっ……!」
「あー、これは嘘ですねぇ。私ぃ、人の嘘ぉ、結構見抜けるからぁ」
綺夏の、悪魔のような言葉。
綺夏に嘘が見るけるわけがない、ただ、自分の一番望むよう、人の意思を捻じ曲げるだけだ。
「…………」
だが、この場において、陽佳は自分の気持ちの整理が出来ていない。
少なくとも、沙也に対しては恐怖以外の気持ちはない。
だから、見透かされたという分かりやすい表情をしてしまった。
そして、その表情を沙也はじっと見ていた。
もう、言い逃れは出来ない。
「ねえ、陽佳さん。二年前わたくしが気に入って、入部を断られた方がどうなったかご存知かしら?」
「え、あの……」
理深は、陽佳が自分を見ているのが分かる。
そう、これは理深のことを、自分のことを言っているのだ。
「わたくしはその方が一番のお気に入りでしたから、わたくしから離れないよう、椅子になっていただきましたわ。それからは部活のある日は毎日こうして密着しておりますのよ」
沙也に、尻と頭を撫でられる理深。
「この子はもう大丈夫ですわね。わたくしから、離れることはないでしょう」
そして、沙也は立ちあがる。
「理深さん、お疲れ様でした、お立ちください」
「……え?」
「ほら、お立ちになって」
優しく、沙也が理深の手を引く。
「あ、はい……あっ……」
立ちあがった理深は、立ちくらみを起こしてふらつくが、沙也に支えられる。
「まあ、ふふふ。これをお望みでしたの?」
そして、すかさず唇を奪われる。
これまで、椅子である間は一度もキスをされたことがなかったので、二年ぶりのキス。
おそらくその間に何百回もキスを重ねてきた沙也は、理深の想像以上にうまく、女の子に興味のない理深でも、ぽっとしてしまうくらいだ。
「さあ、陽佳さん、あなたは今日からわたくしの椅子になってください」
「……はい」
完全に諦めた表情の陽佳。
理深には同情の気持ちしかない。
自分が解放された喜びよりも、後輩の女の子が自分と同じ目に遭うという同情の方が大きかった。
「では、座らせていただきますわ」
沙也は四つん這いになった陽佳の上に、優雅に腰をかける。
「ふふふ、これはいいですわ。これまでの椅子よりも、ふかふかですわ」
「……っ!」
暗に理深よりも脂肪がある、と指摘され、羞恥で顔を下げる陽佳。
これに関してはただ単に理深が痩せているだけだ。
理深は、椅子になってからというもの、身長は全く変わらないにもかかわらず体重はかなり減ってしまっていた。
もちろん、ダイエットなどをしたわけではなく、単に食欲がなかっただけだ。
おそらく、最初に椅子になった頃は、理深も同じくらいの体型だっただろう。
だから、陽佳には同情する。
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