第17話 椅子の二年間

「璃々院部長入られまぁす」


 緊張感のないその声で部室内に緊張が走る。

 部員数十七名の部活の部室にしてはあまりに広く豪華な設備の部室。

 その入口から奥までの長い道のりを囲むように、部員たちは二列に点々と一メートルおきに立ち並んで彼女を迎える準備をする。

 最奥には、四つん這いになった生徒。

 彼女だけは直立をしていない。

 だがそれを、誰も咎めることもない。

 そうすることが、彼女に与えらえた役割だからだ。


「ごきげんよう、皆様」


 にこやかに、彼女が部室に入ってくる。

 璃々院沙也。

 白百合を愛でる会の部長にして、この部員全員を自ら部にスカウトした張本人である。

 長い髪をツーサイドアップにしている彼女は、間違いのない美少女であり、更に名家璃々院家の令嬢でもある。

 彼女は、子供の頃から教育されたお嬢様としての振る舞いを、この学院の生徒で誰よりも体現出来ると言ってもいいだろう。


『お疲れ様です!』


 立ち並ぶ全員が頭を下げる。


「ふふふ、皆さん今日もお綺麗ですわね」


 彼女はそう言うと、近くに立っていた一人の少女の頬に両手を添え、その唇に、自らの唇を重ねる。

 いきなりキスをされた少女は、一瞬目を見開いたが、すぐに目を閉じ、されるがままにその舌を受け入れた。


「ふふふ、貴女はいつも口の中が甘いですのね」


 沙也は少女を軽く撫でながら、囁くように言う。


「ありがとうございます。お褒めいただき嬉しいです」


 少女は喜ぶわけでもなく、真顔でそう答えた。

 この部室に、百合趣味の者は、沙也を除きほとんどいない。

 だから、沙也にキスをされても嬉しいわけがない。

 だが、誰も抵抗は許されてはいない。

 抵抗しようものならどうなるのか、いい見本が目の前にいるからだ。


「さて、では、そろそろ座りますわ」


 最奥。

 少女たちの列の一番奥の四つん這いの少女。


「ふう、今日は疲れましたわ」


 沙也は何の躊躇もなく、彼女の背に座る。

 椅子の少女は何の抵抗も抗議もない。

 そんなものはもう既に、諦めているのだ。

 夜恋理深、茶海女学院高等部三年。

 編入組だった彼女は、一年の時、最初に沙也に見初められた少女だった。

 理深は沙也に、白百合を愛でる会を作ので入って欲しい、と言われた。

 友達もまだ出来るか不安だった彼女にとっては、可愛い沙也が誘ってくれたことは嬉しかった。

 彼女も自分が可愛いと思っており、可愛い女の子同士は色々なものを共有できるし、可愛い女の子の群れは全員が全員の可愛さを引き立てることを知っていたからだ。


 だから、彼女と楽しく部活動できるならそれもいいかもしれない、とは思って興味を持った。

 だが、話しているうちに彼女の部活の趣旨が綺麗な女の子を集めることだというのはすぐに理解した。

 理深自身、自分は可愛いという自信はあったが、沙也中心の部活というものが面白くはなかった。

 元来よりリーダー気質であり、また、プライドも高かった彼女からすればこんなお嬢様の取り巻きのような立場になるのは耐えられなかった。


 そもそも、女子高には来たものの、別に女の子が好きというわけではないのだ。

 その申し出はあっさり断った上、「可愛い女の子集めるとか、そんな部活に入るつもりなんてないわ、気持ち悪い」と言ってしまった。

 その時、沙也は不思議そうな顔をしていたが、相当怒っていたことは後になって分かった。


 その後、編入したての彼女は、あらゆる場面で教師に叱られることになった。

 例えば、教科書とともに資料集も持ってくることを何故か彼女以外のクラスメート全員が知っていて、彼女は忘れたと怒られたり、習ってもいないことを答えさせられて分からずに怒られたり、ということもあった。


 そして、購買部で盗難事件があった際には、「近くを歩いていた」と言うだけでほぼ犯人扱いされ、「盗んだと認めるまでは返さない」という理不尽な説教を受けたこともある。

 最初こそ運が悪い、編入生は大変だなどと思っていたが、ここまで理不尽な仕打ちが続くのはおかしい、と思い始めたとき、再び沙也が声をかけてきた。


「わたくしのお婆さまの配下の先生方が貴女にご迷惑をおかけしていらっしゃるようですわね?」


 その一言で全てが分かった。

 ここまでの一連の教師の理不尽な仕打ち。

 それは全て沙也がやらせていたのだ。


「わたくしのお婆さまは、この学院の専務理事で、今、理事長代行をしておりますわ」


 理深は、踏んではいけない虎の尻尾を、蹴り飛ばしていたことに気付いた。

 その後、何度も謝り、許して欲しいと言ったが、沙也は簡単には許してくれなかった。

 いや、怒っているのであればいいのだか、彼女は穏やかに微笑んで「おっしゃっている意味が分かりませんわ」と言うだけなのだ。

 埒が明かないので、ある時、理深が少し怒り気味に謝ると、やっと反応した。


「誠心誠意の謝罪は、何と言うのでしたっけ? 土下座、というのでしょうか。あれはされないのですか? 一度見てみたいわ」


 場所は教室、時は昼休み。

 生徒の多くは、教室内にいる時間だ。

 だが、そう言われては仕方がない、プライドの高い彼女にとって土下座など死んでも嫌だが、ここでしなければ、高校生活が辛いだけのものになる。

 いや、このままでは、いつ退学にされるか分からない。

 理深が、沙也の前で両膝をついたその時。


「あれぇ? 土下座って、服を着たままするんでしたっけぇ?」


 沙也の取り巻きの、非情な声。

 今では、聞き慣れたその声。

 そこは教室だ。

 全員女の子だとは言え、衆人環視の中で全裸になり、土下座をするというのは、これまで経験したこともない最大の屈辱だ。


 だがこれを拒否すれば、おそらく何らかの言いがかりをつけられて、いつかは退学になるだろう。

 そうなればさすがに親にもいいわけ出来ない。

 この学校の学費もかなり高いのだ。

 クラスメートの目が痛いほど突き刺さる中、理深は黙って服を脱ぎ、土下座をした。


 自分がその時、何と言ったかも覚えていない。

 沙也のそばにいた誰かに、背中にマジックで何か書かれたと思うが、見てもいない。

 自然、泣きながらの土下座となった。

 その日は屈辱で泣いた。

 もう二度と彼女たちには関わりたくないと思った。

 だが、璃々院沙也はそんなに生易しい人間ではなかった。


 それで確かに沙也を侮辱した罪は許された。

 先生たちもそれ以降、言いがかりをつけてくることはなくなった。

 だが、結局断った白百合を愛でる会には入部させられた。

 更に、「今日からあなたは私の椅子になっもらいますわ」と言われ、それ以降、同じクラスにもかかわらず、毎日放課後になれば、彼女よりも先にこの部屋に来て、奥の場所で四つん這いになり、彼女の到着を待った。


 それから二年。

 そう、二年もの間、彼女はずっと椅子であり続けた。

 もう、屈辱なんて言葉は忘れた。

 プライドはどこかに置いてきた。

 椅子に感情なんてない。

 毎日のようにお尻を撫でまわされる。

 週に一回程度、スカートをめくられる。

 月に一回程度、高い荷物を取るための踏み台になる。

 これまで二年で二、三回程度、パンツを下ろされたこともある。


 もちろん今のように、部員が見守る中でだ。

 だが、彼女にはもう、何の意思もない。

 されるがままに従うのみだ。

 あれ以降、先生の覚えはいいし、成績も悪くない。

 おそらくこんな自分でも部員であるという事で、教師に優遇されているのだろう。

 それならば後一年、椅子をやって卒業しよう。

 高校生活は諦め、推薦で大学に入り、そこで自由を満喫しよう。


 そんな諦めの境地に彼女はいた。

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