第13話 安定株を売ってボロ株を買う
「えー、経済には大雑把に言うと、企業、国民、それをつなぎ合わせる市場、それらを調整する政府でなり立っている。これを研究するのがマクロ経済だ」
最初から、それには気づいていた。
二年A組の教室での授業。
基本学校に慣れており、真面目な生徒やそうでない生徒もいるが、先生である和人に、反論することはあるが、何だかんだで従わないことはないし、確実に反抗されることはまずない。
ただ一人の生徒を除いては。
「…………」
木庭椰陽佳は、授業中堂々とスマホをいじっている。
しかも、隠すように机の下でこっそりと、ではなく、机の上で、あえて見せつけるように掲げていじっていた。
しかも、片足のかかとを椅子に乗せ、短めのスカートを手で押さえてはいるが、ギリギリ見えるか見えないかの姿勢だ。
和人がここに来たのは、生徒がこういう格好を日常的にするのをやめさせるためだ。
それを知ってやっているのか、ただ、こうしろと命令されているのか。
少なくとも彼女の背後にいる璃々院沙也は確実に知っているだろう。
和人はどう対処するかを考えるまでに五分を要した。
そのまま注意したら、何と答えるのか決まっていることだろう。
おそらく、その答えが既に、和人を追い込むように仕組まれているのではないか。
そして、このまま放置することも、和人の存在意義を問われることになる。
もちろん、あえて乗ってから回避するという手もあるし、それが出来るだけの頭脳は持ち合わせているのだが、そうなると今後も同じような手が続き、面倒だ。
ここは一気に陽佳にこういう事をやめさせたい。
それなら、陽佳のバックにいる人間が想定をしていなかったことをすればいいだろう。
陽佳は所詮操り人形、指令がなければ何をしていいか分からなくなる。
だから、この前も少しでも和人がイレギュラーなことを言えばすぐに攻撃をやめた。
そこを付けばいい。
その上で、陽佳に二度とこんなことをさせないようにするにはどうすればいいか。
五分ほど考えた上で、和人は動いた。
「へえ、ゲームかと思ったら、デイトレか」
「なっ!?」
和人は授業を続けながら、陽佳の背後に回り、スマホを取り上げた。
「何するのよ、返しなさいよ!」
「分かった分かったすぐに返す、俺は持ち物検査とか興味ないからな?」
これでおそらくトラップの一つであっただろう、私物の没収に関してはクリアする。
おそらくデイトレをしていたのは、没収されている間に大きな損失を出して、和人の責任にするためだろう。
それなら、それに乗ってやろう。
「……駄目だな」
「何がよ?」
「こんな安定株じゃ、利益なんて出せないぞ?」
「はあ? 何言ってんのよ?」
陽佳が少し焦る。
おそらく、和人が株のことを全く知らないと思い、株価が暴落した、というのも嘘で言って責めるつもりだったのだろう。
だが、和人からすれば株価など、一般教養の範囲だ。
「よし、この株とこの株は多分しばらく動かないから売ろう、成り行きでいいか」
和人はスマホを操作して、株を二つほど売りに出す。
成り行き、とは、売値を指定せず、今の市場価格で売りに出すことで、値段を指定しないことで早々に売れるが、いくらで売れるかは売れるまで分からない。
「え? ちょっと何勝手に操作してんのよ!?」
流石に陽佳が怒る。
「まあ、落ち着け、売った全額でこの株を買おう。これも成り行きでな」
「ちょっと! いい加減にしなさいよ!」
陽佳は立ち上がり、強引にスマホを奪う。
画面を見ると既に買いが成立していた。
今勝手に買われた企業は「唐産地所」という不動産会社だった。
売られた株は、電鉄系とガス系の株を約四百万円分。
「ちょ……私の本当の持ち株じゃないの! 何て事してくれたのよ!? これはお父さんからもらった株なのよ?」
陽佳が本気でキレているのは見れば分かる。
だが、和人は平然と答える。
「じゃ、お前の本当の持ち株じゃない株ってのは何なんだ?」
「……そんなことどうでもいいじゃないの!」
「まあ、いいさ。お前は絶対損しない。その株は必ず上がるからな?」
「はあ? だから、私の言いたいのはそんなことじゃなくって……!」
「その株は、明日の十時半に売りに出せ。その金で元の株買い直せばいいだろ?」
「損が出たらどうするのよ、あんた払ってよ!? 手数料も含めて!」
手数料とか、ケチくさいなあ、などと思うが、こんな子でもお嬢様とは言え、自分が自由に出来る金はそう多くはないのだろう。
「そうだな、それは約束してもいい。俺の払えない額なら、ここを辞めてどこかの研究所に勤めれば祝い金だけで返せるしな」
ここせちらり、と辞めるという言葉をちらつかせる。
「じゃあ、それで払いなさいよ! 絶対よ!? 後で払えないなんて言わせないからね!」
「ああ、約束してもいい。このクラスの全員が証人だ。だが、もし利益が出たら、学食でデートして俺に何か奢るんだな。あと、今後俺の授業は真面目に受けろ」
「はあ? 何で私がそんなこと──」
「まあ、まずはその株をじっくり見て決めろ。俺はここの仕事を賭けてるんだ、お前だって何か賭けるべきだろ?」
陽佳は少し和人を睨んだ後、その株に目を移す。
唐産地所は、取引注意銘柄になっている。
これは現在上場基準を満たしておらず、数か月後には上場廃止になる可能性があるという銘柄で、先週半ばからずっと大暴落を続けている。
今日になって暴落自体は収まったが、経営を見る限り、先の見通しは全くない。
この会社は土地を買ってビルや施設を建てて売る、もしくはビルを経営し、十分な運営が出来るようになってから売るという、開発系の不動産会社だ。
例えば、近くに駅が出来る、施設が建設される、などの情報を誰よりも早く聞きつけてその周辺の土地を買い、施設を作ったり、何の価値もない土地に商業施設や住宅などを一括して建設して付加価値を作ったりすることが主な業務だが、不景気で数回ほど事業に失敗しており、もう虫の息の会社だ。
開発系は資金が必要にもかかわらず、既に新規で開発する資金はない。
借りた社債も全額の返却が不可能になっていた。
やがて倒産する会社の株であり、まともな者ならまずは買わないだろう。
つまり、絶対に上がるわけがない。
「……分かったわ。絶対に返してくれるんでしょうね? 返さなかったら本気で裁判に訴えるわよ?」
望み通り、いや、それ以上の展開とはいえ、やはり四百万は陽佳にとってはかなりの金額だ。
しかも父親からもらった大切な株だ。
もし、売ったのがばれたら、ただでは済まない。
父からも、「お前の将来のための株だ」と言われている。
元々は父が管理していたが、高校生になった時、「これからは自分で管理して、株価を見守るんだ」と言われた。
もちろんそれは売買をしろというわけではなく、父としては経営や経済の一端に触れてほしいという思いがあったのだろう。
そんな株を売買したと言ったら本気で叱られる。
「ああ、もちろん、責任を持って全額払うさ。だが、忘れるなよ? もし、十万以上の利益があったら、デートと授業を真面目に聞くんだ」
「そうね。それくらいしてあげるわ。利益が百万円を超えるなら、彼女になってあげてもいいわよ?」
小馬鹿にしたように、陽佳が笑いながら言う。
「分かった。俺もちょっと歳上の生意気な彼女が欲しかったところだ。お前を彼女にしてやろう」
和人はそれに、自信たっぷりで笑い返した。
おそらく陽佳も冷静に考えればこの勝負に乗る必要はないと分かるはずだ。
和人が勝手にスマホを取り上げて株の売買をしたのだ。
損失が出たら、和人が支払うのは当たり前で、だからと言って、利益が出た場合、陽佳が何かする必要などはない。
だが、和人は、陽佳にはそんな駆け引きは出来ないと踏んだ。
でなければ、背後の誰かの言いなりになるわけもない。
だから、あえて分があるように見せかけて乗せたのだ。
本当なら、和人の知識を理解しているなら、やめるべき勝負のはずなのだが。
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