第7話 放課後の爆弾

「あっ! まだいた! 井尾せんせー!」


 始業式が終わった放課後。

 ほとんどの生徒は午前で終われるので、これからランチでも食べながらどこかに行ったり、部活に励んだり、一学期最初であり春休み最後でもある今日を楽しんでいるのだろう。

 そんな中、一人の生徒が教室に入ってきた。


 ショートカットで活発そうな女の子。

 高校生にしては結構小柄で、元気な中学生の女の子と言った感じだ。

 目が大きく、表情も豊かそうで可愛く、撫でてあげたくなるような女の子だ。


「どうした? 何か用か?」

「はいっ! 用がありますっ!」


 迷いもなく全力の笑みで返す女の子。


「ていうか、誰だ? うちのクラスでもないだろ?」


 一応今日のホームルームで、全員の顔は見た。

 だから、名前までは覚えてないが、顔を忘れるわけはない。


「あのですね、私、昨日高等部に入学した一年生の麻流山まるやま映魅えみですっ! せんせーに相談があって来ました!」


 女の子は元気にそう言って、宣言するかのように片手を上げる。

 担任とはクラスも学年も違うが、相談、と言われては無下にも出来ない。


「相談なら乗ろうか」


 和人は椅子に座り直して、その女の子にもそれを促す。


「あのですね、私、最近凄いことを知ってしまったんですよ」

「何をだ?」


 和人のような世界にいるとよくあることだが、こんな小さな女の子の発見が世界を覆す大きな発見、ということもある。

 彼女の発見はもしかすると世紀の発見かも知れない、そう思いながら続きを促す。


「男の人って、女の子と身体が全然違うんですよ! 知ってました?」

「まあ……知識としてはな。あ、いや、もちろん熟知している、女はとっかえひっかえだからな」


 和人は女の子と付き合ったことはないし、女の子の裸も見たことがない。

 それはさっき、担任しているクラスにばれたばかりだ、本人は気づいていないが。

 だが、当然それを知らないこの一年生の麻流山映魅という生徒は、感心するばかりだった。


「おおおおっ! さすが井尾せんせー! 何でも知ってますね!」


 羨望の視線、それは和人にとって珍しいものではないが、可愛い女の子に、こうも直接的に言われれると満更でもない。


「ま、そういう話なら何でも聞けよ。全て答えてやるからな」


 先ほど答えに詰まって苦しんだにもかかわらず、和人は平然と言ってのけた。


「でしたらっ! 教えてください!」


 何だか全力で聞いてくる映魅。


「ああ、何でも聞け」

「あのですね、男の人には、どうも、おちんちんというものが付いているらしいのです」

「お、おう……」


 可愛い女の子の口から、何の躊躇もなく「おちんちん」という言葉が飛び出して、和人の方が動揺する。

 というか、どうも世紀の発見ではないようだ。


「ですけど、私はそれを見たことがありません!」

「そうか」


 今時珍しい子だな、もしかして父親がいないのか、などと考えると、それ以上突っ込むことは出来なかった。


「それでですね、井尾せんせーは男の人だから、それが付いているんじゃないかと思いまして」

「そうだな」


 和人にも羞恥心はあり、そう直接的に言われると、多少は恥ずかしい。


「見せてください!」

「は?」


「その「おちんちん」を見せて欲しいんですっ!」

「いや、ちょっと待て」


 和人はさすがに話を止める。


「それは無理だろ」

「ええっ! どうしてですか!?」


 断られたのが意外だったのか驚いて聞き返す映魅。


「あのな? そう言うのは普通の人間同士は見せないんだよ。お前だって誰彼かまわず自分の裸を見せたりしないだろ?」

「でも、せんせいーとせーとですよ?」

「うん、その程度の間柄では見せないもんだろ? これまでの先生で誰か見せてくれたのか?」


 くれたとしたらそいつはただのロリコン露出狂だったんじゃないか、などと和人は思う。


「だって……みんな女のせんせーでしたし……」

「ああ、お前、在来組か?」

「はいっ!」


 在来組とは、高等部編入ではなく、小学からずっと、少なくとも中学は茶海女学院だった者のことを言う。


「それで、これまではずっと、せんせーは女のせんせーばかりだったのです……」


 茶海女学院にも別に男性教諭がいないわけではないが、そもそもが女性らしさを極めるための学院であり、教師の選別も、教育が可能かどうかも重要だが、気品があり、女性らしさの手本となれる人物であることも重要な要素になってくる。

 そうなると、男性教諭の数も非常に少ない。

 だから、この映魅のように、一度も男性教諭に当たらない生徒も少なくはないだろう。


「ですから、せんせーに会いに来ました、見せてくださいっ!」

「駄目だ」

「でも、さっき何でも言えと言いましたっ! 全て答えると言いましたっ!」


「答えるとは言ったが、見せるとは言ってないぞ?」

「そんなの卑怯です! ずるです!」


「人の好意を言質にするほうが卑怯だろ」

「ふぬっぅぅっ!」


 不満そうな表情の映魅。


「あのな? そういうのは好き合ってる男女だから初めて見せ合うもんなんだぞ? お前は……麻流山だっけ?」

「映魅ですっ!」


 苗字を聞き直して、名前を答えられた。

 名前で呼べということだろうか。


「……まあ、いいや、映魅はさっき会ったばかりだろ? そんな関係じゃ無理だ」

「でも、でも、私、せんせーのこと好きですよ? せんせーは私のこと、嫌いですかぁ?」


 少し首を曲げてそう聞かれる和人。

 この場合どう答えるのが正解だろうか。

 生徒に対して「嫌い」とは言えないし、そもそも、別に彼女を嫌いではない。

 教師としては生徒全員を愛しているのが前提だが、それで「だったら」と言われても困る。

 教師の「愛している」は恋人の「愛している」とは違うものだからだ。

 アガーペとかエロスの話をして理解させるのには、年単位の時間がかかりそうだ。


「俺は教師だから、生徒である映魅のことはもちろん愛している」


 和人が言うと、映魅がぱっと笑う。


「でし──」

「だが! 教師と生徒の好きは、どれだけ愛が深くてもそういうものではない。これは仕方がない。恋人じゃないんだからな?」


 とにかく分かりやすく、言い換えてみた。

 愛には色々な種類がある。

 好きなら誰でも裸を見せていいわけでもない。

 好きだが裸は見せたくはない場合の方が大抵多い。

 見せても大丈夫なのは近親者か、恋人くらいである。


「でもぉ、せんせーって、生徒との恋愛自由なんですよね?」

「うっ……」


 忘れていた。

 和人は、生徒との恋愛が自由で、今ここでこの子と恋人になっても構わない身分なのだ。


「だったら、私もせんせーも好き同士なら、恋人になってもいいんですよね?」

「お、おう……」


 あの元気な少女が。

 少しはにかみ気味に、そう聞いてくると、和人の方も恥ずかしくなってくる。


「見せて、くれますか?」


 そんなに切なげに聞いてくるのは卑怯だ。

 とっさにそう言い返したくなる。

 女性経験のいない和人には、そのくらい魅力的な表情だった。

 和人が一歩後退すると、映魅がすい、と一歩前進する。


「いいですよね? 別にせんせーが損するわけじゃないですしー」


 このままでは、まずい。

 見せなければならない状況が出来上がりつつある。


「見せて、ください?」


 期待を含んだ視線で和人を見上げる映魅。

 ここはとにかく逃げなければ。


「あ、ああっ、忘れてた! そういえば理事長に呼ばれていたんだった!」

「あっ、井尾せんせー!」


 じりじりと迫っていた映魅をフェイントでかわし、和人は教室を出る。

 一教室分走って、追いかけて来なかったので、和人はほっと胸をなで下ろした。

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