第4話 理事長(女子大生)を泣かせる

「ふう……」


 始業式、赴任の挨拶を終え、裏手に引っ込んだ和人は、何でもないふりをしながら、自分がさっき言った大口ビッグマウスの内容を、既に後悔し始めていた。

 何しろ自分には女の子と付き合った経験もなければ、そもそも、女の子と話すこともほとんどない。


 この前理事長の葉奈と話した時も、ほとんど目を合わせていなかった。

 どちらかというと苦手意識があって、女の子は怖いと思うくらいだ。

 それを何とか克服しなければやっていけないと思い、あえてああ言ってみたのだが、やっぱり言わなければよかった、などと思っている。


「お疲れ様でした、井尾先生」


 にこやかに微笑むのは、彼をこんな試練と職業を与えた張本人、茶海葉奈理事長だ。

 和人の大学に来た時くらいの正装、柔らかな春色のブラウスとスカートに、薄赤いリボンをつけた服を着て、胸に「理事長」と書かれたバッチを付けていた。


「ああ、疲れたよ。あんたも、急かしいだろうから、俺にばかり構わなくてもいいぞ?」

「はい? いえですが……」

「理事長ってのは高校だけ見てるわけじゃないんだろ? それに学生だ。もうしばらく会えなくても気にしないぞ? きちんとやって行くから」


 和人は、忙しいであろう彼女が、いちいち自分について来なくても、一度引き受けたからにはきちんと仕事くらいする、と告げる。


「……どうしてそんなことを言うんですか?」


 だが、彼女は安心するどころか、寂しげに和人を見つめていた。

 しかも目が少し潤んでいる。


「お、おい……」


 そんな経験のない和人は、ただおろおろするだけだ。


「私のこと、うっとおしいと思ってるんですか? 嫌いなんですか? どうして、一緒にいちゃ駄目って言うんですか?」


 それはもはや、理事長ではなく、ただの女子大生の女の子だった。


「いや、何言ってんだよ? お前、これだけに構ってる場合じゃないんだろ?」

「そういう問題じゃないですっ!」


 涙目で責められる和人は、何故自分がこんな状況に追い込まれているのか、さっぱり分からなかった。


「私といたいんですかっ、いたくないんですかっ!」


 女の子全般を苦手としている和人にとって、女の子は未知の存在ではあるが、ここまで意味の分からないことはこれまでにもなかった。

 そもそも、教師として理事長に言った言葉が、どうしてこんな不用意な一言で女の子を傷つけたような感じになるのだろう。


「……そりゃ、いてもらった方が心強いけどさ……」


 じっとまっすぐに和人を見つめる葉奈に気まずくなった和人が目をそらしながら言うと、今度は満面の笑みになる。


「そうですかっ! では仕方がありませんね」


 仕方がないも何も、そう言わせたんだろう、と思ったがそんなことを女の子に言う勇気は和人にはなかった。

 仕事関連ならどこまでもシビアに言えるが、男女の機微なことになると、何も言えなくなる。


「まあ、いてくれるのは嬉しいけど、理事長は小学校から大学までの理事長だろ? 大丈夫か?」

「はい。今は特に高等部が問題視されていますので、私は大学でのお勉強以外はしばらく高等部を見ています。それ以外は校長にお任せして、報告だけ聞きます」


 さっきの半泣きがなかったかのように明るく話す葉奈だが、和人は一つ聞き逃せない言葉を聞いた。


「問題って何だよ?」

「……例えば、街のファストフード店で、うちの生徒が他のお客様がご迷惑になるほど大声で騒いでいたという苦情が週に一回程度来ますし、インターネットの動画サイトで、うちの制服を着た生徒が躍っている映像が人気になっているとか……人気の理由は、スカートが舞い上がった時に下着が見えることだそうです……」

「なるほど」


 アメリカの大学に行っていた和人からすれば、大した問題でもないように思えるが、日本の由緒正しき女子高の生徒としてはふさわしくないのだろう。


「だからこそ、井尾先生のご協力が必要だったのです……見た目の格好いい男性に見られているという羞恥の心を、あの子たちにも学んで欲しいのです」

「まあ、それはいいんだけどさ、前からちょっと思ってたんだが、それなら俺一人がどうこうするよりも、共学にした方がいいんじゃないか?」


 和人がいくら格好いいと言っても、一人しかいない。

 人には好みがあるし、全員が和人に惚れる、なんてことは不可能だ。

 小等部からいるような生粋のお嬢様は惚れないだろう、というのは問題ない、彼女たちは和人に惚れなくとも、淑やかな女性になるための教育は受けているのだろう。

 だが、問題は高等部から入学した、半数以上の生徒だ。

 彼女たち全員を、和人が惚れさせるのは不可能に近い。


 人間というのは集団になれば、ある勢力に逆らう勢力も出てくる。

 和人を好きだと言い出す人間がいればいるほど、それに反抗する人間も増える。

 それなら共学にして、多くの男子を受け入れた方が早い。


 和人並の人間は多くはないだろうが、きっとそれぞれ気になる男子を見つけるだろうし、万一そのような男子がいなくても、「男子という集団が見ている」と思うと、行動は変わってくるものだ。


「共学は……出来ません。理事会ではほとんど反対となりますし、理事会をまとめても、卒業生の方々、中には多額の寄付をいただいている方も含めて反対なされます……先生方も反対でしょう」


 苦しそうに、葉奈が答える。

 共学に出来れば一番いいのは、葉奈も分かっている。

 だが、それはそう簡単に出来るものではない。

 女子高として明治の時代から長きに渡り多くの卒業生を輩出していたこの学校。

 この学校を母校として、誇りに思っている数多くのOGからすれば、共学にするなどありえない、という人も多いだろう。


 それが経営難でやむを得ず、ならともかく、生徒の女性らしさを向上させるため、などと説明すれば、教師の質の低下を問われることだろう。

 実際はこの情報化社会で清く正しい教育など口で教えるだけでは不可能なのだが、そんなことはOGたちには理解出来ない。


「不可能なら仕方がない。だが言っておくが、俺一人に出来ることなんて限られているからな? もちろん全力で取り組むが。俺の担任は2Aだったか?」

「はい、また、担当科目や担当クラスは各学年にばらけさせてあります」

「ま、二年ってのは一番いい学年だな」


 入学したばかりの一年生や、後半には受験もある三年生は、授業を教えるのはいいが、担任になるのは避けたい、というのが和人の考えだ。

 いくら彼が優秀だといっても、まだ教師としての経験は全くない。

 だが、教育には失敗は許されない、だから、まだ長期にフォローが出来る二年の担任をやりたいと言ったのだ。


「さて、そろそろ、生徒たちが教室に移動します。今日はホームルームだけですが、出来れば残って生徒たちの相手をしてあげてください」

「分かった」


 和人は講堂を後にして、教室へと向かう。

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