第3話 世界的天才児がお嬢様校に来た理由

「助けろ、では何も分からない。具体的に説明してくれ」


 和人は面倒くさそうに葉奈から目をそらして先を促す。


「私達、茶海女子学院は、明治に創立した歴史ある学院で、小学校から大学まで一貫した教育をすることで、どこに出しても恥ずかしくはない御令嬢を育てて参りました」


 つまりは、由緒正しいお嬢様学校だな、と和人は思った。


「教育の場に女子のみを置き、周囲を女子のみにすることで、総合的な女性として、また、女子同士が比較し合うことで、より女性らしさを高めていく目的での女子校のなのですが……」


 深いことを言ってそうで、ただ、単純なことをもっともらしく言っているだけだな、と和人は心で苦笑する。


「まあ、つまりは女だけを集めてみんなで女を高め合って行こうって方針だな?」

「そうです。あくまで概要ですが……」

「で、方針は分かったけど、結局何なんだ?」

「その、最近は生徒の心も変わってきていて、女子しかいない事が、逆にネックになってきています。つまり、女子しかいないから、恥ずかしくはないと言って平然とはしたない事をしています。先生が注意しても、その場では直しますが、すぐ元に戻ります」

「はあ……」


 和人はため息を吐く。


「それは日本の教育の大きな欠点だ。日本ではやり方と使い方は教えるが、何故そうするのかを教えない。だから全く応用が利かない優等生が山のように生まれるんだ。躾にしてもそうだ。上にやれと言われて盲目的にやる若者の方が少ないだろう。『なぜやらないのか?』と聞かれても『怒られるから』としか言えない。逆にこれまで良くその方針でやってきたもんだ」


「それは、分かっています……ですが、その理由を伝えるのはとても難しいのです。殿方に見られては恥ずかしい、ではなぜ恥ずかしいのか……それは、子供の頃から教育されていなければすぐに身に付くとも思えません」


 母校のことであり、恥ずかしいのか少しうつむき気味に話す葉奈。


「だから、あんたらの学校は小学校の頃から教育してるんだろ? それでも駄目なのか?」

「はい、私のような小等部から学んでいた者は、問題のある生徒は少ないのですが……高等部からの編入者の方は、そうでない場合が多いのです……」

「じゃあ、入れなきゃいいだろう」

「……それでは、経営が持ちません……学校の収入は最も生徒数の多い高等部と、学費と国からの補助が多い大学で持っていますので……」


 そう言われると和人ではどうしようもない。

 和人はある程度経営についても学んでいるが、専門家ではない。

 彼に考えられるのは、教育を取るか、経営を取るか、程度だ。


「それが難問だから俺に相談ってわけか。だが、俺の専門は、流体力学だ。そういう事は経営のコンサルタントにでも聞くんだな」

「違います、経営の相談をしに来たわけではないのです……!」

「では、そろそろ言ってくれ。俺も時間も無限じゃないんだ」


「は、はい。あの、井尾和人さん、うちの、茶海女子学院高等部の教師に、なっていただけませんか……?」


「は?」


 彼女の言ったことは、とても単純な日本語だった。

 だが、和人はしばらくその意味を考え込んでしまった。


「俺を? 日本の高校の教師に?」

「お願いします! あなたしか、いないんです!」


 深く頭を下げる葉奈。


「いや、他にもいるだろう……俺が誰だか分かって言っているんだよな?」

「はい、十四歳にして大学院ドクターコースを卒業される井尾和人さんです」

「当然俺には、世界中の研究機関や大企業からオファーがあるんだが?」

「そうでしょうね。ですが、それでもお願いします……!」


 ただ、頭を下げるだけの葉奈。


「ちなみに報酬はいくらだ?」

「はい、月に二十五万円です。初任給にしてはかなり頑張りました」

「あのさ、俺、年棒で一億単位のオファーがゴロゴロあるんだが。しかもドル建ててな」


 さすがに桁が違いすぎて話をすることも出来ない。


「で、でしたら……もう少し頑張って、二十七万円で……」

「いや……それを十二倍して、百億を超えるかい?」


「あ、いえ、ボーナスがありますので、年単位ですともう少し──」

「だーかーらー!」

「お願いします!」


 また頭を下げるだけだ。

 何のリターンも用意せずに、お願いしますの一点張り。

 これまで会って来たリクルーターの中でもかなり悪質だ。

 呆れも怒りも通り越して、もはや白けてしまった。


「話はそれで終わりか? 研究が残ってるんで帰るぞ?」

「待ってください!」

「ぐっ!」


 出て行こうとする和人を、葉奈は後ろから止める。

 それはもう、後ろから抱きしめている体勢なのだが、必死の葉奈は気づいていない。


「お願いします! 助けてください! 私に出来ることなら何でもしますからっ!」


 和人の耳のそばでそう懇願する葉奈。

 背中に胸を押し付け、シャンプーかコロンの匂いをさせながら耳元で「何でもする」と言う女性。

 和人が何も考えないわけはなかった。


 井尾和人、十四歳。


 東アジアの美形少年は、頭も切れるということで大学ではよく女の子に声をかけられるし、逆ナンもよくされる。

 だが、彼自身、女性一般を苦手としている。

 更に恋愛はその時間が無駄だと考えているので、女性に声をかけられても、日常会話以上の話をしたことがない。

 当然、触れあったことなどほとんどない。

 だから、本物の『色気勧誘ハニー』が来たら、彼では言葉も話せなくなる。

 だからこその防衛策で、自分にはそんな勧誘は通用しないということ、経験豊富であることを語り、お前程度の魅力で誘惑? 笑わせるな、という態度を取る。

 それが先ほどの一連の行動だ。


 あの時も顔を近づけただけで、心臓がバクバク言っていたし、手も少し震えていた。

 そんな彼が、二十歳の美人に後ろから抱きしめられ、平常心を保てるはずがない。


「出来ることは何でも協力します。お願いです、助けてください」


 耳元すぐそばで発せられる切ない声。

 太っているわけでもない、均整の取れた身体にもかかわらず、それは密着すると全身癖になる程の柔らかさが、和人を包む。

 そして、鼻孔をくすぐるのは、若い女の子に人気のコロンと、そして、緊張していたのか少しだけ汗の匂い。

 それらは女の子に慣れている男なら、そう珍しくもない体感だが、全くの未知である、そこだけはただの十五歳の少年である和人には、あまりにも刺激が強すぎた。


「お、おう……」


 そして、それが彼の人生を狂わせたとしても、仕方のないことだったも知れない。

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