4話「名無しさん@匿名希望その1」
それはさておき、旧校舎は戦前からあるような木造の古い建物で、聖峰七不思議のひとつのお話の舞台になっているという、曰くつきの、外の世界風にいうのなら心霊スポットというやつです。
「大丈夫だよ、安心しろよ。念のために包丁を持ってきたからさ」
「念のために包丁を持ってくるっていう、危ない発想の持ち主と夜道を歩いているという事実が、まず一番怖いんですけどね」
石沢さんは幽霊に物理攻撃を仕掛けるつもりでしょうか。まあ……その件はひとまず置いといて。どうして臆病者の私が、石沢さんと
今回ばかりは芹沢先輩のマニュアル人間っぷりに期待をしたのですが、旧校舎に行くという石沢さんの話を聞くと、どういうわけか笑顔で私たちを送り出してくれまして。あろうことか、偽装工作まで買って出て下さるという、残念な結果に。
というのも、石沢さんのせいで有耶無耶になっている感が否めないのですが、そもそも聖峰女学院は大変校則の厳しい学校でして、寮の中での自由行動は許されていません。けれども石沢さんはそんなことお構いなしといった感じで、毎夜私の部屋に足を伸ばしてくるのですが――ともかく、夜間の外出なんてもってのほかなのです。芹沢先輩なら「規則だからダメ」と言ってくれると思ったのに、どうして今回に限って寛容な先輩になってしまったのでしょう?
年に数人が遭難するという噂話も、あながち嘘ではないのではないかというほどに、ここの森は広く、そしてどこまでも同じような景色が続きます。
ましてや外界から隔絶されたこの場所に、町の喧騒なんてものは届きません。虫の声さえも聞こえず、あるのは灰色の針葉樹と、落ち葉を踏みしめる足音、そして二人分の息遣いです。大丈夫です、三人分だったとか、石沢さんがいつの間にかいなくなっていたとか、そういう感じのオチはありませんから。そう自分に言い聞かせながら、石沢さんの上着の裾をつまみます。その直後、眼前を包丁が横切りました。
「ひぃ!?」
尻餅をついて悲鳴をあげた私。自分の声にもビックリして、二重で驚きました。
「んだよ、てめぇかよ。ビビるからやめろよ」
「ビビったのは私ですよ、私」
バトル系漫画よろしく、一瞬でも反応が遅れていたら両目を潰されていましたよ、今。せっかく、ラブコメが如き可愛らしい仕草で恐怖を表現したというのにこれですよ、これ。
というか。
「石沢さんも怖がってるんですね」
「当たり前だろ!」
怒鳴られました。そこはもっとこう、本当は怖いのに誤魔化すとか、そういう態度をみせれば、萌え? というやつになったのではないでしょうか。私はお尻についた土埃と、落ち葉の破片を払って立ち上がり、重たい足を旧校舎のほうへと一歩、また一歩と進めていきます。
「そういえば私、聖峰七不思議のことを知らないんですけど」
先ほどちょこっと、石沢さんから聞きかじった程度の知識で、旧校舎が舞台になっているということしかわかりません。
「ああ……。オレも全部を知ってるわけじゃないんだけどね」
中学二年の夏に聖峰女学院にやってきたという石沢さんでも、全部を把握しているわけではないようです。まあ
「旧校舎の話はなんだったかな――」
顎に指を添えて、空を仰ぐ石沢さん。私もそれに倣って頭上に視線を向けますが、そこにあるのは、針葉樹の硬そうな葉っぱの合間から覗く、狭い星空です。星の名前はわかりません。適当に夏の大三角とでもしておきましょう。
「確か……そう、魔女が住んでるんだっけ」
「魔女ですか」
魔女、とはいっても聖峰女学院における魔女はお伽噺に登場するような醜い老婆ではなく、乙女です。ここにいる殆どの人間が、私のようなちょっとした特技を持っていて、人それぞれ、自分の特技に対する認識が違っています。
例えば私の場合は、それをつまらない特技だと思っていますし、
そしてその枠組みからさえもはみ出てしまった人たちのことを、聖峰の生徒は畏怖と畏敬の念を込めて「魔女」と呼んでいるのだとか。だから、魔女とはいっても私たちと同じ人間で、乙女で、そしてここの生徒です。実際、魔女のひとりは、聖峰の生徒なら誰もが知っている生徒会長さんだったりしますしね。
「糸紡ぎの魔女が暮らしてるって感じの話だったと思う」
「なんだ、それなら誰かが死んだとか、そういう話じゃないんですね」
それなら物理攻撃でどうにかなりますね。私が石沢さんを心強く思い始めたその横で、
「いや、死んでるけど」
「ん?」
「旧校舎から飛び降りて、三人くらい死んでる。しかも下が土だから即死できなかったみたいで、結構苦しんでから死んだみたい。だから今も夜になると呻き声が聞こえるとかなんとか」
「で、でもでも、何がどう七不思議なんでしょうね? 魔女が住んでるとか、人が亡くなったとか、べっ、別に不思議なことではないじゃないですか」
ほら、有史以来、大勢の人間が死んでいるわけですし? 幽霊なんて所詮は、脳みその錯覚ですし? 人が死んだからって、その場にお化けが現れるわけではないです、よね?
「ああ、うん。糸紡ぎの魔女を見た人間が誰もいないんだよ」
「だったら、どうしてそんな噂が?」
「だから、それが不思議だって話」
「それ、あれじゃないですよね。糸紡ぎの魔女を見た人が死んだから、とかそういう感じで今の話が繋がるわけではないですよね?」
「知らね」
引きつった微笑から放たれた私の質問を、石沢さんはどこ吹く風と聞き流します。
「帰りません?」
帰る、といえないのはひとりで寮に戻れる気がしなかったら。だって、懐中電灯を持っているのは石沢さんなのです。石沢さんがいなければ、私はその場から一歩も動けなくなって、遭難してしまいます。
「帰らない」
「ですよね」
知っていました。言ってみただけです。
「だって、もうついたし」
石沢さんが懐中電灯を向けたその先に、ぼうっと佇む旧校舎。黄色い明かりで照らされたそれを見上げて、私は肩を落としました。五分だけ時間を巻き戻したところで、無意味なんでしょうねー。
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