3話「芹沢先輩その2」
「んだよ、今日の夕ご飯はビーフシチューかよ。肉が食べたかった、肉が!!」
隣の席の石沢さんが、スプーンでテーブルを叩いて不満を表明します。ビーフシチューのビーフの意味がわからないのでしょうか? そういえば石沢さんは牛肉のことを牛、豚肉のことを豚、鶏肉のことを鳥、と直接的な表現を好む傾向にあるような気がします。
「大丈夫ですか、石沢さん!」
私の問いかけに「あん?」と眉根を寄せる石沢さん。馬鹿にされたと思ったのでしょう。威圧的な表情を親友の私に向けてきました。今にも殴ってきそうだったので、私は慌てて補足します。
「いや、違いますよ違います。
間違いなく戦闘力が五以下の私は、戦闘民族並に気性の荒い石沢さんには勝てません。石沢さんと違って、気味悪がられる能力を持っていながら、勝てないのです。それぐらい私は貧弱で、私の能力はあまり役に立ちません。
「なんでてめーに体調の心配をされなきゃならないんだよ?」
「いや、ほら、反省部屋に四日間も軟禁されていたわけですし、それに私たち親友ですし」
「ああ……、ああ、それな。いや、あそこは意外と快適なんだよ」
石沢さん曰く、学院内で最も安全なのがあの反省部屋なのだとか。だから安眠できるし、授業に出る必要もなくて、オマケにひとり部屋だから心地よいそうです。この人、まるで反省していません。
「そういえば山田の声が聞こえたような気がするな」
石沢さんは、お皿に口をつけてビーフシチューを飲み干します。マナーもへったくれもありません。
「いやだな、石沢さん。幻聴が聞こえるほど私が恋しかったんですか、このこのー」
私は肘で石沢さんの脇腹をつつきました。
「ぐふ」
すると、ノータイムで石沢さんが反撃をしてきました。しかもグーで。グーですよ、みなさん。乙女による乙女のためのスキンシップは、石沢さんの拳骨によって見事失敗に終わりました。無念。
「あら、随分と仲がいいのね」
芹沢先輩が現れました。今のやり取りを見て仲がいいと思うなんて、芹沢先輩もなかなかに意地が悪いのではないでしょうか。まあ、仲はいいんですけどね。ビバ石沢さん!
「ここいいかな?」
と私の向かいの席に夕ご飯の載ったトレーを置いて、返事を待っています。
「どうぞ」
そう答えた私と、
「あん? てめー誰だよ?」
と、ガンを飛ばす石沢さん。
「そうだ、キミたちにこれをあげるよ」
芹沢さんが上着のポケットから取り出したのはうまい棒で、しかもめんたいこ味。私は食べたい気持ちをぐっと堪えて、首を振ります。学院でのスナック菓子の価値は、黒毛和牛とか、アワビとか、イセエビとか、そういった高級素材と同レベル――否、それよりも上でしょうか。
「ん、どうしたの? いらないの?」
芹沢先輩は首を傾げながら、私を見据えてきます。その瞳に、その声音に、どうしてか温度を感じられなくて、私はつい身震いをしてしまいました。そんな私の隣で、石沢さんがうまい棒に手を伸ばしたので「めっ!」と手の甲を叩くと、
「先輩、そのうまい棒、賞味期限が切れてますよ」
「え?」
芹沢先輩の目が、暗いところに移動した猫の瞳孔のように、丸く大きくなりました。それから先輩は「つッ!!」とこめかみの辺りを抑えます。頭痛でしょうか。この三日間、先輩と同じ部屋で同じ時間を過ごして、同じようにしている姿を何度か目撃しましたから、片頭痛持ちなのかもしれません。
先輩は私や石沢さんと違って、頭の出来がいいから、その弊害かもしれませんね。馬鹿でよかったー。
「いや、賞味期限とか関係ねぇよ」
とは石沢さん。見た目通り、食い意地が張っています。
「ごめんね、やっぱりこれはわたしのほうで処分をしておくから」
そんな石沢さんの手から逃れるように、芹沢さんは一歩、退きます。
「でも、どうして賞味期限が切れてるってわかったの?」
「どうしてですかね」
――私にはひとつ、つまらない能力がある。
最初に、それに気づいたのは小学校三年生のとき。階段で足を踏み外した直後のことでした。二度目は、ドッヂボールの最中、顔面にボールが直撃するその間際。三回目と四回目は今はもう忘れてしまって、五回目は飼っていた猫が死んでしまった日の朝でした。
リビングの隅で、冷たくなってしまった亡骸を見て、私は昨晩の自分の行いをひどく後悔しました。私の足許に絡まるようにして、構って欲しいアピールをしていた愛猫に、私は冷たく、辛く当たってしまったのです。
理由なんてものはもう忘れてしまいましたけど、母親と喧嘩したとか、テストの点数が悪かったとか、そんな些末な問題だったことは確かで、だからこそ私は悔やみました。恨みました。呪いました。もう少し、遊んであげればよかった。きっとそれだけでよかったのです。
――やり直したい。例えばゲームのロード機能のように。もう一度、昨日の夜をやり直したい。もう一度、あの温もりに触れたい。そして、ちゃんとお別れを言いたい。
私のそんな願いは、叶いませんでした。当然ですよね、世界はそんなに美しくないのですから。王子様の涙で、お姫様が目を覚ますのはお伽噺の中だけなのです。
でも、時間は確かに巻き戻ったんですよ?
それまでの経験から、もしかしたら、もしかするのではないかと。私にはそういう力があるのではないかと、思っていましたから大して驚きはしませんでした。でも、見慣れた天井を見上げて、私はようやく全てを悟りました。
私には、時間を巻き戻す能力がある。でも、私が巻き戻せるのはその時点から五分だけ。能力を重ね掛けしても効果はなく、それ故に、失われてしまったチコの命は、チコとの時間は、もう戻りません。
階段を下りた先に待っていたのは、すすり泣く母の震える背中と、その足の隙間から見える、横たわった
「まるで未来でも視えているみたい」
「それは、それで嫌ですね」
私の能力は大体いつも手遅れです。たかが五分でどうにかできることなんて、たかがしれています。もしも未来が視えたなら、きっと色々なことが間に合うのでしょう。でもそれでもきっと、同じように後悔するのだと思います。同じように悲しい思いをするのだと思います。
「おい、てめぇ。肉はねぇのかよ」
空気の読めない石沢さんが、私の思考を乱暴に遮りました。というか、年頃の乙女のポケットからお肉が出てきたら、ビックリです。猟奇的過ぎます。
ともあれ。私がそうするよりも早く、芹沢先輩が溜息を吐いて、
「やっぱり、別の友達とご飯を食べるね。邪魔をしてごめんね」
トレーを片手に、食堂の雑踏の中へと消えていきました。
「なんだあいつ」
「なんなんでしょうね」
なんで、私を殺そうとするんでしょうね?
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