〇六八 口 唇

 ガタッ


 思わず座席から立ち上がる。


「ほんとに、お父さんがそう言ったの?」


「――――うん、優先順位として親父さんが先ってことみたい。

 とりあえず座ったら?」


 辺りを見渡すと、後ろの座席に座っているサラリーマンと目が合った。慌てて座り直す。


「それで、百々花ももかちゃんはそのお母さんと一緒に暮らしてるの?」


 もしそうなら、お母さんが危険に巻き込まれる可能性が高い。でも公安庁F課とか、六花りっかが関わってる研究機関に保護されてるとか?

 六花に尋ねると返事は否だった。


「結果的にだけど、夜叉姫になったことで、お母さんとは一緒に暮らしてない」


 どうして、と聞く前に六花の顔が曇る。


百々花ももちゃんは……接触テレパスで自分の母親の真意、彼女自身がどう思われてるかを知ったんだ。

 話が話だから、本人が頑として語りたがらなかった。

 本人の了承を取った上で昨日の晩、思考を読む聴獣ちょうじゅうさとり』、妖魅の能力で読み取ったけど、中学生には重すぎる事実だったな」


「どんなの?」

「知らない方がいい」

「でも……!」


「……一回は止めた。涼子も百々花も夜叉姫、運命共同体か……」


 六花は上を向く。電光掲示板の案内文が横切る。間もなく広島だ。

 おもむろにコートの袖をまくる。左腕の夜叉の浄眼を、一般人には不可視の状態で展開させた。左手で私の右手を握る。


「心の準備。目を閉じて、息をしっかり吸って気持ちを整えろ。

 『さとり』で得た情報を、浄眼を介して伝える。気分が悪くなるようならすぐ止めるぞ」


 目を閉じてすぐ、頭の中に何か流れ込んでくるイメージがきた。百々花ちゃんの記憶が伝わってきてるんだ。

 病院の中、6人部屋の病室に百々花ちゃんがいた。彼女の記憶を追体験してるみたい。




「――――まあ、百々花。無事に治ったの? 大変だったわね。でももう大丈夫よ」


 そう言って、派手な身なりと化粧の女の人が彼女のベッドに近づいてきた。

 イメージや言葉の奔流が、心を押し流してくる。

 彼女の母親の顔が二重写しみたいに見えた。母親の内面は、目が吊り上がってまるで別人だ。その彼女が――――


『――――なんだよ! 目が見えねえままだったら、障害者保険が下りんのに! 

 少なくても毎月8万円くらいは、国からもらえるってのによーー!

 誰だ!? このまま目が見えてなきゃいいのに。どんな手ぇ使ったのか知らねーけど、わざわざ治しやがって!

 こいつを引き取ったのも、慰謝料がもらえるからだってのによーー。

 一回は言い寄ってきても、コブつきってわかった途端、男も寄り付きゃしねえし。ほんっと父親みてえに愛想もクソもねえな!

 なんだ!? その眼は! あんたも私を憐れんでるのか!? そんな眼であたしを見るな!!


 あんたなんか・・・・・・生まれて来なきゃ・・・・・・・・よかったのに・・・・・・――――!!!』





「――――っ!! はあっ、はあっ、はあっ……!」


 気づいたら、全身嫌な汗でびっしょりだった。六花が心配そうに私を見ている。


「だいじょうぶか? 話を続けるぞ。

 母親の本意がわかったんで、家にも学校にも居場所がなくなったあの子は……夜な夜な家を抜け出すようになって、警察に保護された。

 そのあと、公安庁F課に連絡がいって、研究機関でひとまず預かることになった。

 基礎的な戦闘を教わったり、付喪神を造る妖魅慈悲ジュウイチ心鳥カケルキュウとか、各種妖魅はそこで契約したって。それがついこないだの話だ。

 あまり急だったんで私も知らされてなかった」


「それで、あの子はこれからは?」


「うん、当然って言っていいのか、捜索願は出てないみたいだ。

 父親も調べはついてるが、連絡はなし。事情を説明して引き取ってもらうにもこの状況じゃな。今のところ天涯孤独なわけだから、私と一緒に行動――――」


「私の家で、一緒に生活してもらうのは、だめかな」


 六花はうなずかない。


「本人がどう言うかだな。相手の心を読むのを制御できない今、ある程度周りと距離を置いた方がいいかもしれないし。

 でも、涼子がそういうなら、話してみるかな。

 機関の話じゃ、妖魅の契約とか使役、格闘術の習得はすさまじく速い。

 だけど、いかんせん誰にもなつかないから、言い方悪いけど手を焼いてたみたいなんだ。

 でも、岳臣君、少年にはある程度気を許してる感じだな。

 彼はなんか、モノノケに好かれる性質たちかも。

 うん、いっそ人間の友達よっか、妖魅たちの方が話が分かるかもしれないし」


「わかった。他の子たちが心配するから、そろそろ元の車両に戻りましょう」


 指定席がある車両に戻って、元の席に着こうとした。でも六花に周りに乗客がいない空席に座らされる。


「涼子はまだここで休んでろ。顔が真っ青だ。そのままみんなのところに戻ったら余計に心配されるぞ」


 おとなしく、座席に沈み込む。

 正直怖かった。肉親、それも自分のお腹を痛めて生んだ子供に、そんな感情を抱くだなんて。

 しかも、直接本人の口から聞かされたんじゃなく、心の声で。

 百々花ちゃんはどんなに傷ついたんだろう、それを考えただけで胸が痛む。

 ましてやその事態を招いたのがお父さん、私の実の父だなんて。

 今の私が、百々花ちゃんにとってどういう存在かを考えた。憎い仇の娘、そう取られても仕方がないのかも。

 でも、あの子を救うためにはお父さんを探し出さないと。


 窓の外を高速で流れる風景が、だんだん暗くなってやけに不吉に思えた。

 窓に映ってる私の顔……ひどいな……。


「涼子さん? ああいた。良かった」


 真後ろに人影が立っているのが窓越しに分かった。


「さっきから姿が見えないから心配してたんですよ。

 ……顔色が良くないけど、何かあったの?」


「ううん、大丈夫。ちょっと新幹線に酔っただけ。六花に言われて来たの?」


「いや、六花さんは百々花さ……百々花ちゃんの隣で寝てます。特になにも言われてないけど……隣、いいですか?」


「うんどうぞ」


「良かったらコーヒーどうぞ」


 携帯ポットから紙コップに注いでくれた。湯気が立っているのを、一口ゆっくり飲む。


「あったかい……。これ、どうしたの?」


「ああ、普段コーヒー好きだから、コーヒーショップとか入ると、多めに買って保温しておくんですよ。ブラック、苦いですか?」


「ううん、おいしい……」


「――――? 涼子さん? どうしたんですか?」


 ほっとした瞬間、気が緩んで涙が出てきた。


「どうしよう、止まんないや」


 岳臣君は心配そうに私を見てる。

 これはでも、悲しくて、じゃない。私は孤独ひとりじゃない。みんながいてくれる。

 お父さんがどうとかじゃない、夜叉姫として、も違う。私があの子をなんとか元気にしよう、ううん、しなきゃ。

 すっ、とハンカチとポケットティッシュが差し出される。

 涙を拭いて、


 ちーーん


 横を向いてはなをかんだら少し落ち着いた。


 はーーーー。


「岳臣君、改めて福岡についてきてくれて、ありがとう。

 敵の目的とかまだはっきりしないけど。でも虚神より先に父を探し当てるのが先決だと思う。

 百々花ちゃんのこともあるし。昨日みたいに戦うんじゃなくって、知識面とかで助けてくれるかな?」


「……あ、はい。僕でよかったら」


「ありがとう。そうだ、座席、窓側に代わってもらっていい?」


「……? はい」


 座席を入れ替わる。急いで前髪を整えた。


「えっと――――」


 目を閉じる。何か言いかけた岳臣君の唇を、私の唇で塞いだ。

 ――――長くても5秒かな。

 いざとなったら、自分でもすごく冷静だなって思う。タイミングはともかく、さっきコーヒー飲んだのは失敗だったな。

 まあ、少しほろ苦いくらいのが、お互いちょうどいいのか、な?




 ***




「あ……ね、六花」


「どうした? 百々花」


「岳臣さんの気持ちがすごく高揚してる。

 それに、涼子……さん? 幸せでいっぱいっていうか、甘酸っぱい気持ちみたい。すごくあったかい」


「そうか……私ともそうだけど、みんなとうまくやってけそう?」


「がんばる」




 ***




「……え……? 涼子さん……?」


「うん、今までとか、福岡まで一緒に来てサポートしてくれたお礼。

 ……今度は遊介ゆうすけ君の方からしてね」


 返事を待たずに、席を離れた。元々の指定席に戻る。


「涼子さま、お帰りなさい」


「どこ行ってたんですか? こっちは大変だったんですよ」


 見ると、火車が缶ビールを2ダース、24本も空けていた。

 その隣では、刑部おさかべが熱燗のワンカップとスモークカルパスを持って、ぶつぶつつぶやいてる。

 全く、ちょっと目を離すとすぐこれなんだから。


「もうすぐ姫路か」


 なんとなくつぶやくと、刑部ががばっと立った。窓に張りついて過ぎ去る風景を眺める。


「あ、そういえば刑部と契約したの、ここだったな。どうする? 城に帰るか?」


 六花が聞くと首を横に振った。


「いえ、うちの妹、亀姫を取り戻すまでは戻りません。待っててな、亀姫。姉さんが迎えに行くから」


 いや、ワンカップ片手にかっこつけても締まらないから。




 ***




陽見台ようみだい、陽見台。お降りの際は――――】


 聞きなれた私鉄のアナウンスを背に、僕たちは駅を出た。

 自動改札を抜けた白蔵主はくぞうずさんが駅前広場に駆け出した。大きく深呼吸する。


「はーーーー、潮のいい匂い。何かこう、霊的に安定してるっていうか、守られてる感じですね」


「おーー、白蔵主はくちゃん、よくわかるな。ここいらじゃ並みの虚はそんなに長く活動できないんだ。地の利ってやつだな。

 涼子、今日は私も泊まっていい?」


「うん、おじいさまには連絡しとく」


 新幹線の中からこっち、僕はずっとぼーっとしていた。

 座席を入れ替わってから、すぐに目を閉じた涼子さんの顔が迫ってきて――――口が柔らかく塞がれる感触が蘇る。

 キスしてる。はっきりわかった時、僕が思ったのは

 『今呼吸したら、鼻息が涼子さんの顔に当たる』

 最初に思ったのはそれだった。


 意識が唇だけじゃなく乗ってる車両流れる風景今通過してる場所にまで拡がる。

 微かに鼻から息を吸うと甘い匂いが肺にまで届く。時間の感覚も極限まで拡がる。

 時間流操作クロック・アップってこんな感じか? いやいやそんなことじゃなく夢なら醒めてほしくないし現実なら――――


 涼子さんが僕から離れた。


「……え……? 涼子さん……?」


「うん、今までとか、福岡まで一緒に来てサポートしてくれたお礼。

 ……今度は遊介君の方からしてね」


 いつも通りの表情と口調。でもはっきりそう言った。

 それに『遊介君』、初めて下の名前で呼ばれた!


 で、今。サイクルパーキングから自転車を出した僕は、涼子さんに呼び止められた。暗がりで表情は見えない。


「今回の旅行、色々あったけど楽しかったね、で――――」


「涼子さん」


 彼女に近づいた。両肩をそっと抱く。

一瞬きょとんとしてたけど、涼子さんは目を閉じた。


 えい、ままよ。


 今度は僕の方から唇を重ねた。拒否は……されない、よし!

 えーと、この後何秒くらいで離せばいいんだ? 五秒くらい?

 一瞬、涼子さんの身体の力が抜けるのを感じた。慌てて両手で支える。

 と、彼女の両腕が僕の首に巻きついた。上体を引き寄せられるようにして――――

 ちょっと待って、これってディープ…………!? ――――!!!

 唇が離れて目を開けると、目の前の女の子は、やけに好戦的な表情になっていた。右手の甲にある宝石が赤紫色に光ってる。

 これって。


「え、夜叉姫、いや彩月さつきさん? なんで!?」


「せっかくのところ邪魔して悪かったな。今のはまあ、乗り掛かった舟だ、気にするな」


 いや、こんなに気にしなきゃいけないこと、今までの僕の人生にないんですけど!

 僕の混乱をよそに、彩月さんは唇をなめて話を続ける。


「頼みがあるんだ岳臣。今度都合のつく時でいい、私と逢引き、いや、デートしてくれないか?」


 ――――い?




 僕にとってはある意味で、じゃなくはっきりと、牛鬼と契約する以上の難解なミッションが待ち受けていた……。

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