〇三六 厨 房

 5月ももう半分過ぎたのか。気温は初夏を通り越してだいぶ暑い。

 家の中で薄着でいたいけど、今日は六花りっか岳臣たけおみ君とで座敷で『勉強会』をしてる。

 具体的な内容はぼやかされたけど、六花は何か目的、理由があって妖怪の名前を暗記してるみたい。

 それをデータベース化するのに、岳臣君が一役買っている、らしい。

 最近の彼はともすると、私といるより六花といる時間の方が長い。

 私としてはどこでやってもらっても特に困りはしないけど、問題は六花だ。

 理由はわかんないけど、時々岳臣君にちょっかいをかける。

 もともと女子に免疫がなさそう、というか子犬も同然の彼を、六花は妙に気に入っている。前に本人が言っていた。


「あんたはまだそこまでの域に行ってないだろうし、行かさせるつもりは全くない。阻止するけど……。

 なんていうか、闘いに身を置いてるとね、日常に戻ると自覚してる以上に人肌恋しくなるんだよ。

 これは夜叉の浄眼を使ってるからってわけじゃなくて、戦場で命がけの目に遭うと自然にそうなるみたい。

 それに、適合者だからって妖魅の能力ちからをむやみに振るっていいわけでもない。

 できる限り他との絆を持っていた方が、『人間』を強く保てる。さもないと、妖魅の力に精神こころ肉体からだも呑まれるからね。

 もちろん涼子が少年のことを……」


 私が黙ってると、六花は手をひらひらと振る。


「ああ、あんたたちのことくっつけたくて、わざとやってるわけじゃないから。これは私の問題。

 でも、もしだけど、私と岳臣君とが――――」


 その時私はどんな顔をしてたのかな。机に向かってノートを広げても、隅に落書きしてばっかり。


――――ふゎ……あ……あーー。


 大きく伸びをしながらあくびをする。

 窓から表を見ると、猫又と五徳猫は庭の手入れとか表を掃除してる。のどが渇いたし、なんとなく手持ちぶさたになってキッチンの冷蔵庫に向かった。


「――――。――――。――――」


 なんだろう、キッチンで声がする。


「ふー、しょうがないな。誰にでもするわけじゃないから。少年は特別だからね」


「……はい」


「ほい、これくらいは簡単だよ。でも少年はちょっとお預け。今は私が楽しむ番だから。

 ――――ほら、すぐこんなに大きくなった。おまけにすっごい固い」


 ドアを開けようとしたけど手が止まった。……なに?


「こう、じっとしとくんじゃなくって、何回か上下に動かすと……。

 ……ね? 私くらいだよ、こんなすぐに固くできるのって」


「六花さん……なんで指で弾くんですか?」


「えーー、別にいいじゃない。大きくしたの私なんだし。

 あーー、もうがまんできない。食べていい?」


 食べる?


「――――ん、やっぱりおっきい。それに固い。自分でおっきくしといてなんだけど、口に入りきんないよ。

 でも、勝負は勝負だから、少年はそこで立ったままでいて」


「…………」「…………」


 岳臣君もそうだけど、私も声を出せなかった。ドア一枚隔てた手前で私は息を殺している。よくわからないけど、キッチンには入れなかった。


「やっぱり自分でおっきくすると、全然違うわーー。

 口いっぱいに広がるこの味。鼻から抜ける匂い。んーーたまんない、苦甘いって言うのか、とにかくおいしい」


「あの……六花さん、僕、もう……」


「ダメーー、がまんして、男でしょ?」


「そんなこと言ったって。僕だけがまんできないですよ」


 ドアの向こうでさらに声がする。勝手口から猫又と五徳猫が入ってきたみたい。


「あっ、六花さま。一人だけずるいです」


「そうですよ、私たち暑い中草むしりとかしてたのに」


「ごめんごめん。でもこれ一本しかないし。んじゃちょっと待ってて。……ほら、これでいいでしょ」


「わあ、すごい、あっというま」


「でも、これ一本しかないや」


「猫又さん、ここは公平に……じゃんけんで」


「いいわよ、こういうのは勝って手に入れる方が盛り上がるから」


「「さーいしょーはグー、じゃんけんぽん」」


「やったーー、勝ったーー!」「あーー、なんでグーなんて出したんだろーー」


「……いただきます。……うんやっぱりおいしいです。光沢があるっていうか、表面がすべすべしてて、苦甘いのが口の中に広がります。

 ……ん、やっぱり一仕事終わったあとのご褒美ほうびって感じでおいひいです」光沢? ご褒美?


「もういいでしょ、私にも。……うん、おいしい。やっぱり汗かいたあとだとすごくおいしい。

 このってる感じがいいんですよね」反ってる?


「二人ともおいしそうに食べるねえ。そんな二人で一本を取り合ったりするんだ?」


 取り合う?


「あの……僕もうそろそろ……いいですか?」


「ダメに決まってるでしょ。あんたは私たちが満足するまで、立ったままでいなさい。もうすぐ終わるから」


「そんな……猫又さん……」


「男でしょ? 泣き言言わない」


「あ……、でも涼子さまにないしょでこんなことしてたら、後で叱られそう」


「ほんとだ、涼子さまをさしおいて、私たちだけいい思いするだなんて」


 いい思い?


「そうは言っても、二人ともやめらんないでしょ?」


「「はい……」」


五徳猫ごとちゃん、見た感じ残量ストックってあとどれくらいある?」


「そうですね……余裕を持ってだと……あと、3~4回分くらいは」


 ストック? 3~4回?


「……あの、僕もうそろそろ……もう垂れてきてます」


 ……垂れる?


「まだダメ。少年はさっき負けたんだから、いいっていうまでガマンして。もうすぐだから」


「……そんな、ほら、もう床に」


 床に? もういいや、やめさせないと……!


「――――ちょっと、あんたたち、なにやって――――!」





 ドアを開けると、六花がチョコアイスを食べていて、猫又と五徳猫がチョコがかかった冷凍バナナを取り合っていた。

 岳臣君が溶けかけのバニラアイスを人差し指と親指だけで持って、つま先立ちで立っている。

 キッチンのテーブルには湯せんで溶かしたチョコレートや、生クリーム、切ったフルーツが大量に置いてあった。


 ――――キッチンをいっぱいに使って、スイーツを作っていた――――みたい。

 六花の左手は氷の妖魅、氷獣ひょうじゅう雪野槌ゆきのづちの能力で凍って霜が降りていた。


「おーーーー、涼子。あんたも食べる? すぐ作れるから」


「…………うん」私は……なんとかうなずいた。




「はーーーー、夜叉の能力とかあるとほんとに便利だねえ。いや、隠すつもりは無かったんだよ。

 でも作ってる途中で、ちょっと味見したくなる時ってあるじゃん。

 こっそりでかいの作って差し入れるサプライズもいいけど、みんなで作りながら食べるのも楽しいよね」


 言いながら、六花は揚げ物に使うステンレス製の菜箸の金属部分を軽くつまむ。

 たちまち菜箸に霜が降りる。チョコクリームのボウルに菜箸の先端を入れると瞬時に凍りついた。そのまま上下に動かすと……大きなチョコアイスができた。


「あの……六花さん、僕もう」


「おーーーー、忘れてた。食べていいよ」


 ――――岳臣君の手は溶けたバニラアイスで、真っ白でベタベタだった。

 私は溶かしたチョコレートに目をやる。明らかに板チョコ十数枚分と生クリームが使われている。


「こんなにどうするつもりだったの? それに、岳臣君の罰ゲームってなに?」


「いやいや、女子4人のスイーツに対する欲求を馬鹿にしたらいかんよ。これでもちょっと足りないくらいだと思うし。

 まあキッチンでつまみ食いもなんだし、涼しいとこでみんなで食べよう」




 全員で座敷に移動して、ありったけのスイーツ食材、生クリームにカスタード。苺クリームにチョコクリーム。

 砕いたチョコチップクッキー、コーンフレーク、マシュマロ、フルーツにベリー類。

 ゆで小豆に抹茶クリーム、それに酒粕入りの生クリーム。

 さらに猫又と五徳猫が焼いてくれたワッフルと、考えつくだけのスイーツ素材を座敷に持ち込む。


「で、話の続き。

 少年は私と妖怪クイズ出し合って負けたから、ばっつゲーーーーム! で、アイスを持ったまま、つま先立ちして耐えてもらってた」


 ……なんでそんな、誰も得しないような罰ゲームを思いつけるのか、小一時間ほど問い詰めてやりたい。


「妖怪クイズってなんなの?」


 付き合いこそ短いけど、六花のことはよく理解しているつもりだ。

 一見無意味そうな行動でも、こちらの気分を和ませるとか、少し回りくどい所はあっても、なにか有益な結果を見込んでのことだ。

 なにより岳臣君と一緒というのも気になる。データベースまで作るというのは、遊びの延長じゃない、もっと別の意味があるはず。

 タブレット端末を見せてもらうと、岳臣君は妖怪のイラストを集めるだけでなく、画がない妖怪は自分で描いている。素人目にもかなりのデッサン力ね。


「うーーん、今契約してる妖魅が、ちょーーーーっと気難しくてね。向こうさんの出してきた要求なんだわ。

 何回トライしてもいいんだけど、その問題数がちょっとばかし多くって、少年の協力が必須なの」


「問題数って、どれくらい?」


「11520問」


「――――え? 一万?」


「一万問越えなんて正気の沙汰じゃないよね。

 仮に1時間1000問解いても単純計算で10時間だよ? そんだけで残業2時間、労基法違反だよ?」


「いや、仕事じゃなくテストなんでしょ? だったら――――」


「まーーそーーだけどさーー。一回やりだして、途中で休憩挟んでもいいけど。満点取らないとやっぱり駄目。

 そんでも、正解率に応じてある程度サービスしてくれるから、チャレンジする意味は大きいし」


 言いながら、そうめんを盛りつけるガラスの器でチョコレートアイスをぱくぱく食べている。


「遠慮しないで食べてよ、こういうのは早い者勝ちだし」


「……うん」


 黙ってアイスとワッフルの盛り合わせを食べる。考えすぎて少しのぼせた頭に冷たい食感がありがたかった。


「まあ、少年の協力もあったから正解率50%は突破できたし。これで手持ちが増えるわ」


 六花は誰に言うでもなくつぶやく。手持ち……?



「おお、なんだみんなで、私一人をさしおいて甘い氷菓子をきょうするとは。まったくもってしからんニャ」


 座敷に火車が入ってきた。黒いノースリーブのワンピース姿で、またあちこち歩いていたみたい。


「すみません火車様、先にいただいて。なにか召し上がりますか?」


「私はこれがいいニャ」


 火車は、赤いチューブを手に取って、直接口に含んだ。そのままちゅーちゅー飲みだす。


「コンデンスミルク……。火車、行儀悪いよ」


「んふふふふふふふふ。濃厚でコクがあっておいしいニャ」


 火車はコンデンスミルクを一本まるまる飲み干した。


「涼子、どうした? あんまし食べてないみたいだけど」





「……いや、なんか胸やけが……」

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