〇三〇 神 獣

 ――え、なに……。


 私は一瞬思考が止まる。鵼塚ぬえづかの影から、見覚えのある姿がせりあがってあらわれる。

 岳臣たけおみ君が倒れるのを、私はコマ送りでも見ているみたいに、ゆっくりに感じていた。


「少年!」


 六花りっかが岳臣君に駆け寄る。私は頭の中が真っ白になった。

 黒い袖なしのロングパーカーを着た魔少年が、ぬえの力の顕現の宝珠を拾い上げる。

 私はその場から動けなかった。


「涼子!」


 六花に名前を呼ばれてようやく我に返る。


「あなたは……ドゥーガル……」


「名前、憶えててくれたんだ。自己紹介をもう一回する手間が省けて助かるよ」


 外見は小学二年生くらいの少年はそううそぶいた。

 内側が帯電し風が巻き起こっている宝珠を、ジャグリングのようにもてあそぶ。


「こ、この……!」


           ド クン!


 自分自身の外側、何か別のものの鼓動を感じる。



 ――――せ。


    ――――還せ!


       ――――すべてをるべきところに還せ!!




 ああ、このこえは。岳臣君が巨大ウツロへい、ストライダーに首を傷つけられたときと同じだ。

 私の存在そのものを塗り潰すような、強烈な憤怒ふんぬ

 普段の私の感情が淡い水色だとしたら、この突き上げてくるような感情は真っ赤。深紅そのものだ。

 目の前の風景だけでなく、気持ちが真っ赤に染まっていく!

 それが私の意識を侵食する。身体の自由が利かない!


「――――コァァァァァーーーー!!」


 自分の口から私以外の声が出る。目の前の魔少年、ディクスン・ドゥーガルに対して敵意と殺意で感情きもちが満たされた。

 対照的に目の前の虚神ウツロがみははしゃぎだす。


「おおっ、やっぱりか。目の前でニンゲンを殺されると『ゴリョウ シンノウ』が覚醒する!

 鵼を回収するだけなんて退屈な任務だと思ってたけど、来た甲斐があった!

 やっぱりこうでなきゃあ!」




  ――――人をひなたに、あやかしかげに、


             ――――ウツロくうに!!!




 身体中に力がみなぎる! それと同時に意識が……!


「涼子! 落ち着け!」


 不意に我に返る。六花が私に夜叉の浄眼の水晶。浄眼珠じょうがんじゅの光を浴びせていた。


「浄眼に意識を喰われるな! 気持ちを強く持て!」


 そうだ、今大事なことは敵と戦うことじゃない。

 夜叉の浄眼から奔流のように感情きもちや力が流れ込んできて、私の意識を侵食するのが分かる。


「くっ!!」


 全身に意識を集中させて、その流れをき止める。


「――――っ、はあ……はあ……はあ……」


 なんとか、元の姿に戻れた……。


「ちぇっ、なんだよ。せっかく遊び相手おもちゃが手に入ったと思ったのに。

 それよりも、いいの? そこの男即死じゃないみたいだけど、致命傷は免れないね。まあ、夜叉の力で蘇生すれば助かるかも。

 僕はこれから用事があるから失礼するよ、じゃあね」


 六花が氷獣ひょうじゅう雪野槌ゆきのづちの白い羽を、何枚もナイフのように投げつける。

 でも、ドゥーガルは地面の淀んだ影を、布のように伸ばして難なく払う。また影の中に沈んでいった。


「どうやら私たちに追撃されないために、少年を攻撃していったらしいね。それも全力で治癒すれば、助かるか助からないかのぎりぎりでね」


 六花が忌々いまいましげに舌打ちする。


「身体の損傷が大きい。良くて五分五分」


 六花は自身の左手、夜叉の浄眼に力を込めた。


「妖魅顕現、神獣しんじゅう白澤はくたく』!」


 まばゆい、神々しいともいえる白くて強い光が、浄眼から照らされた。光の中からひづめのある四本足の妖魅が現れる。


 ブルルルルルルッ


 その姿は白馬に似ていた。被毛やたてがみは純白で、耳の上には一対の枝分かれした角が生えていた。

 眉間にも目が一つ、そして両のわき腹にも巨大な瞳が三つずつ、合計九つの眼があった。

 六花は浄眼をかざして白澤に語りかける。神獣は無言でうなずくと、再び光り輝いた。純白の宝珠になって、浄眼の中に吸い込まれた。

 彼女の額にも第三の眼が開く。同時に右手の甲に丸い水晶が三つ現れた。

 六花が右手を岳臣君の胸にあてがうと、てのひらから光の粒が溢れ出した。時間を巻き戻していくみたいに、胸に開いた傷がふさがっていく。


「……助かる……の?」


 私はわななく両手の震えを抑えるのが精いっぱいだったけど、何とか声を絞り出す。


「毒にも侵されてるけど、何とか同時進行で解毒してるし、身体の傷は治せる。けど……」


 六花は声を詰まらせる。


「だけど、彼の魂が回復できるか、それが問題だね」


 間もなく傷はふさがった。だけど、彼は動かないし目覚めない。


「くそっ! あの子供! 無駄に用意周到にしやがって!」


 六花が拳で地面を殴る。


ウツロの瘴気を傷に注入して治癒まではできても蘇生は出来ないって!? ちくしょう!!」


「……どういうこと?」


「昏睡状態のままってことだ! よほど強い働きかけがない限り、下手すりゃずっと植物状態のままだ! くそっ! 蛇の生殺しかよ!」


 それを聞いた私は足の力が抜け、ぺたんと座り込んでしまった。口を開け呆然としてしまう。

 その時スマホの着信音が鳴った。六花は乱暴にポケットから取り出し通話に出る。


「あんたか? 今取り込み中だ! ……ああ、あれか。今手元にあるって……? 本当だな! 今近くに来てるのか!?

 よし! 渡りに船じゃないけど可能性が出てきた! 涼子!」


 話が見えない私の両肩を掴んで揺さぶる。


「まず『蜃気楼しんきろう』を解除する、話はそれからだ!」




   ***




 公安庁F課所属という触れ込みの刑事、倉持安吾くらもちあんごは実際の――地上にある鵼塚に来ていた。

 車の中には見慣れないスーツ姿の女性も乗っている。雰囲気から察するにこの人も刑事なんだろう。


「で、昏睡状態の民間人一人助けるために、鵼と戦闘、契約した直後で疲弊しきっている。

 その状態で時間を置かずに『火車』と追加契約するってのか?

 別にこちらには止める理由もないが……リスクが高くならないか?」


「リスクはもとより承知、だよね涼子。少年を助けるんだよね」


「…………」


「なにその間は? 少年助けるんじゃないの?」


「今だったら――F課が対応して、出先で原因不明の急病で意識不明という扱いにしてもいいが?

 幸いに外傷らしい外傷もない。服が破けてるのは、どうとでも取り繕える。

 懇意こんいにしている病院や医師もいるから、診断書はもっともらしいのを書いてもらえるし、診療費も経費で落とせる。家族の方にもこちらで連絡して――」


「もちろんそんなことさせない、彼は私が助けるし、うやむやにしたりさせたりもしない」


 私は反射的に倉持に返す。

 いつかの飄々ひょうひょうとした態度とは違って、その表情は暗く渋い。


「そんなに簡単に命を取り戻せたり、生き返らせたりできるのか。夜叉姫ってのは。

 全く弱い一般市民の味方だな、ありがたくて涙が出るぜ」


 こちらに背を向けてはいるけど、夜叉姫に、というか私に対してみつくような物言いに違和感を覚えた。でも言い争いをしている理由も時間もない。


「この子に当たっても仕方ないわ、倉持刑事。それよりも六花、もし『火車』を顕現させたらこの男子は助かりそうなの?」


 同乗していた眼鏡をかけた女性が私に向かって一礼し、警察手帳を開いた。


「まずは自己紹介から。私は公安庁F課所属の清楽きよら秋子といいます。

 三滝涼子さん。念のため確認しますが『火車』と契約して、彼、岳臣遊介君を蘇生させますか?

 時間はかかりますけど、民間の医療機関でも蘇生させるのは不可能ではないはず」


 言われた私は少し動きが止まる。すぐに返事ができなかった。

 私にとって岳臣君は――


「もちろん確認するまでもないです。岳臣君は友達ですから」


 清楽と名乗った女性はうなずく。


「じゃあ、善は急げ。ね、倉持刑事」


「……ああ」


 倉持が車のトランクから取り出したのは直径1m程の円盤状の包みだった。重さもそれなりにあるのだろう。両手で抱え地面に下ろす。


「今から顕現させる新たな妖魅『火車』だが、我々が知る限り召喚に応じて顕現できた前例がない。

 だから、三滝さんと六花,二人が同時に顕現の儀式に加わる必要がある。

 それでも確実ではないだろうし、この男子高校生を必ず復活させられる保証もどこにもない。それでもやるのか?」


 私と六花は同時にうなずく。経緯はどうあれ、彼を巻き込んでしまったのは私だ。その責任は取らなくちゃならない。

 梱包材こんぽうざいを剥がすと、木製で黒塗りの車輪が出てきた。車輪の接地面には薄い鉄板が付けられ、車軸の部分には動物の黒い毛が一束植えてあった。


「時間もないし簡易結界を張って儀式するから。

 妖魅顕現、網獣もうじゅう蚊帳吊かやつり』!」


 六花が左手をかざすと、空中から何枚もの肌理きめの細かい網が降りてきた。私たちの四方を囲む。


「『蜃気楼』使うよりも鬼力が少ない分、少しえる人には認識される可能性があるからね、早くびださないと」


 私は右腕、六花は左腕を車輪にかざして浄眼の光を当てると、車輪に植えてある毛がもこもこと膨らみだした。

 毛玉はバスケットボール大に膨らむと切れ込みが二つ入った。琥珀こはく色の眼がらんらんと光り辺りを見回す。それからとがった耳がぴょこんと生えた。毛玉は縦に細長く伸びる。手足と頭が生えた――――


「何か用かニャ? 人間」


 セントバーナードほどの大きな黒猫が車輪の上に座って、私たちを興味深そうに見る。

 姿こそ大きいけど、のんきに毛繕けづくろいをするその様は、書籍とか図画、伝聞で見知ったのとはだいぶ違う。

 大きさを気にしなければ、普通の猫と変わらない仕草だった。


「そこの少年が虚神に殺されかけた。傷は治癒できたけど、意識が戻らない。彼の魂を呼び戻したいんだ」


 六花が頼むと黒猫の妖魅、『火車』はベンチに寝かされている岳臣君を見て、目を細めた。




「ふむ、男か。で、その男は誰かの想い人かニャ?」

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