〇一一 酒 宴

 いつもの鈴を転がすような声じゃなく、触れれば斬れるような鋭い声。光蔵こうぞうさんも僕も身体を固くした。


「な……」


 顔つきや口元が、さっきまでの無邪気な笑顔とは全然違っていた。

 眉間にしわが寄って、目つきも鋭い。口元をへの字に曲げて、不機嫌そうに髪をねじるように触っている。髪も青みがかった黒から、少しだけ紅味を帯びた黒に変わっている。

 動けない僕らを一瞥いちべつすると、涼子さんは座敷の上座の座布団にどかっと座った。その膝の上にはみこ、隣にはみとらが座る。

 手に持った一升瓶から、タンブラーに手酌てじゃくでなみなみと注いで、一息にあおる。


  ごくっ ごくっ ごくっ ふーーーーーーっ


 どう見ても女の人の呑みっぷりじゃないし!


「右手の甲の石の光があかい……? もしや、今のあなたは……夜叉姫様……?」


「そうだ、気付くのが遅いぞ、小童こわっぱ。久方ぶりの現世うつしよだ。

 依代よりしろく相手がいないと、動く事も飲み食いもかなわん。

 この娘には悪いが少々たしなませてもらう。

 ふう、しかしだいぶけたな、光蔵。

 本当のわっぱの頃は『よわむしこーちゃん』とか、周りのわっぱにからかわれていたな」


「なっ、なぜそれを!?」


「わからいでか、私は夜叉姫だぞ。浄眼からある程度の距離のことはわかる。

 それで周りの童たちに、はやし立てられていたな。

 でだ、見返してやるために度胸試しと称してな。そこの『大虎岩』に小便をひっかけた」


「………………!」


 光蔵さんは口を開けて呆けたままだ。


「それで他のわっぱバチが当たると、逃げ出したまでは良かったがな。

 自分の母親にさんざんぶたれて、泣いて謝りながら、そこの『大虎岩』を隅から隅まで洗ったんだ。まあ昔の話はいいか。

 おい、そこの」


「は、はいっ」


 僕は自然に背筋が伸びる。


「私の好みではないが、まあ、二人のうちどちらかと言えばお前になる。こちらに来て配膳や、酌をしろ」


「は、はあ」


「返事は『はい』だ!」


「は、はいっ」


 ……なんか、「私の好みではない」っていうのはちょっとショックだな。

 まあ、今の人格は涼子さんじゃないのか。

 隣に膝をついてタンブラーにお酒を注いだ。目の前の女性は一息に飲み干す。


「あの、りょ、涼子さ、いや夜叉姫……さん? その身体は涼子さんのものなんで、お酒を飲むのは……。第一法令違反になりますし……」


「気にするな、明日も学校なのだろう? ほどほどにするさ。それに今『涼子』は起きているぞ」


「そ、そうなんですか?」


「ああ、『岳臣たけおみ君には悪いことをした。気を悪くしてなければいいけど』とかなんとか言ってるが……。

 ああ、今『引っ込んだ』。まあいい、今様いまようの食事を楽しみたい、小僧、給仕を頼む」


 言いながら夜叉姫さんは、並べられた料理に舌鼓を打ちつつ、光蔵さんにビールを頼んでいた。あっという間に一升瓶を空にする。すごい酒豪だ。


「岳臣、といったか。済まなんだな、巻き込んで」


「え? い、いえ」


「ただ、涼子はお前の情報収集能力は多少買っているらしい。あくまで多少、だがな」


「あ、いえ」


「これからウツロとの戦いは激化する。が、手立てがないわけでもない。

 そこいらは涼子本人に渡しておく。

 酒は十分楽しんだ。馳走になった。私は『落ちる』ぞ」


 そう言うと、夜叉姫さんは一度前傾姿勢を取った。

 あぐらをかいていた足を閉じた。ゆっくりと顔を上げる。


「んん、あ、たけおみ君。改めて、だけど……」


「りょう……こさん。は、はい」


「ありがとう、自転車、持ってきてくれて」


「ああ、いやどういたしまして」


 ――自転車……ね。


「夜叉姫が言うには、日本にはまだ御滝水虎おんたきすいこと同じように強力な妖魅がいくつもるみたい。

 順に契約していけば、私が今一番知りたいことも、分かるんだと思う。

 今、私のお父さん、妖怪、妖魅の研究してるんだけど、最近連絡がつかないの。

 この状況で、虚神が夜叉姫、私を捜して攻撃してきたのって、無関係じゃないと思う。

 妖魅たちの所在を調べてほしいの。そうすれば、すぐには無理でもお父さんの手がかりがつかめる気がする。

 こんなこと、ほかに頼める人、いなくって」


「……わかった、やってみます」


 涼子さんのお父さんのサイトは僕もよく見に行って、以前は質問とか意見にもよく返信してくれた。

 それでも最近は更新が滞りがちだし、返信も来なくなった。実の父親が音信不通なら心配するの当たり前だし、調べてみるか。

 …………別に、涼子さんからの印象が良くなるからってことじゃなく、僕もサイト更新とかメール返信は欲しいし。


 前向きに取れば『岳臣君しか頼れる人がいない』だけど。

 そうじゃなくって、妖怪とかオカルト関係で頼める人を、他に知らないってことなんだろうな。……はあ。

 それにしても――――

 今の涼子さんは、彼女本来の人格なんだろうな。

 普段よりゆっくりした動きでも、僕にも気を遣って料理を取り分けたりしてくれてる。

 光蔵さんは、大昔の悪行を夜叉姫さんに暴かれたのが応えたんだろうな。くだを巻きながら一人酒しだした。

 小さいトラの、みことみとらはお皿のローストチキンをむしゃむしゃ食べてる。すごい食欲旺盛だな。


       ぐるるるるるるるるる。     ぐるるるるるるるるる。


 お腹いっぱいになったらごろごろしだした。ここは普通のトラと一緒だな。

 涼子さんがおなかをもふもふしてる。普段学校じゃ絶対見せない笑顔だ……。

 ……ああ、そうだ。タブレット出さないと。


「話からすると、妖怪ならなんでもいいってわけじゃないみたいですね。

 御滝水虎なら『水』とか、古典的だけど、なんらかの属性を持った妖怪に絞った方がいいと思います。

 それでいくと――――こんな分類ですかね」


「ふーーん、見た目とか、現象とか、史実上の人物? それに地域別の呼び方……。

 データベース化してるんだ。これ全部岳臣君が作ったの?」


「ああはい、既存の妖怪図鑑に手を加えて。こういうのははるか昔からあります。

 怪異や妖怪を分類するのを、民俗学とか本草学ほんぞうがくとかいうみたいですね。これ結構、涼子さんのお父さんが書いたものが多いんですよ」


 お父さん、という単語に涼子さんがぴくっと反応する。表面上はどうあれ、気になるんだ。


「――――で、どの属性から調べますか?」


「んじゃ、『風』で」



 ……ぜんぜんしらべるのにしゅうちゅうできない。

 涼子さん、家ではいっつもこんな感じなのかな。

 顔とか肌はお酒入ってるから桜色に上気してるし、ポニーテールにしてるから首元が見えてる。細くて長いよな。

 それに襟足えりあしおくれ毛が……初々ういういしい…………。

 すごく距離が近いし。タブレットに触る指も細長いし爪もきれいだ。

 目つきはとろんとして妖しいし、とっても甘い匂いがする。それになにより……。

 なんで男物のワイシャツ着て前はだけてるんだよ!

 そもそも誰のなんだ?

 目のやり場に困るし。変に指摘したら『見てたの?』とか怒られそうだし!

 涼子さんはそういうの気にしないのかな。それとも男として認識されてないのか。

 どっちにせよやりづらい……。


 涼子さんは身を乗り出すようにしてタブレット端末を見ている。学校では髪を結んでないからな。

 襟足えりあしおくを見られるなんてめったにない。

 はあ、やっぱりかわいい。

 目に焼き付けとこう――――いやいや。あわてて目を上に向ける。

 そういえば、とさっきの出来事が脳内に蘇る。

 でかいアメンボみたいな化け物を操ってた子供が、去り際に言ってたな。


 確か、

 「ヴェーレンが言ってた『ゴリョウ シンノウ』の能力ちからは確認できた――――」


 少なくても、単独行動じゃなく仲間がいるってことだよな。

 それに、『ゴリョウ』-―――? 涼子さんが変身したすごく強い状態のことか? 妖怪の名前でそんなの見たことないし。

 涼子さんに直接聞くわけにもいかないから、後で調べよう。



「――――へえ、鎌鼬かまいたちか、私でも知ってる。この場所だと、家からそんな遠くないんだ。バスで行けるねーー。

 これとかどんな感じかな。かわいかったらもふもふしてみたいなーー。

 んじゃ今度の休みに、ここに一緒に行きましょ」


「えっ!?」不意を衝かれた。


 目線をタブレット端末から僕に向ける。上目遣いで僕の目を見てきた。


「なんか予定あるの? それとも、イヤ?」


「いっ、いやっ!! ぜんぜん! よろこんで!」


「ありがと」


 涼子さんがまた手を握ってきた。じっと目を見てくる。手汗とか大丈夫だよな? 僕。


「んじゃとこ敷くから手伝って」




   ***




 残った赤飯とか料理をタッパーに詰めて、四角い卓袱台ちゃぶだいを片付ける。会話がない、っていうか間がもたない……。


「……んじゃ、おふとぅん出すから」


(おふとぅん?)


 涼子さんは押入れを開けて、客用の寝具を出す。

 だけど掛布団と敷布団を一人分、一気に出そうとしたから後ろに大きくのけぞった。


「――わ、あぶ……!」


 僕は反射的に、涼子さんを背中から支えようとした。

 だけど、涼子さんは僕が支えるより先に態勢を立て直して、うまく左に体重移動する。

 一方の僕は涼子さんをつかめずに、前につんのめって押入れに顔から突っ込んだ。


           どすっ


「――――ぐふっ」


「なにしてるの? お客さんなんだから、押入れで寝かせたりしないわよ」


「いや、そーじゃなくて」


       ぐるるるるるるる。    ぐるるるるるるる。


 涼子さんの足元にはみことみとらがいた。僕をにらみながら背中の毛を逆立てている。


 (キサマ、りょうこに よこしまなきもちをいだいているな?)


 (りょうこに ふらちろうぜきをはたらくもの、ワレラがゆるさん。)


「何やってんの? シーツは一人でむりだから手伝って」


 僕は言われるまま、布団を挟んで涼子さんと向き合う。

 呼吸を合わせてシーツを上下させる。

 と、それに合わせて涼子さんの胸も、シャツの内側で上下しだした。


「――――っ!」


 僕は反射的に横を向いた。


「もう、タイミング合わないとシーツにしわが寄るから。顔そらさないでまじめにやって」


 ――どうすりゃいいんだよ、わざと? わざとなの?


「これでいいわね。んじゃ、私自分の部屋で寝るから……おやすみな」


 そのあとの声は聴けなかった。布団を敷き終えたことで安心したのか、涼子さんはその布団に倒れこんでしまった。すでにすやすやと寝息を立ててる。


 ――――寝顔とか、やっぱりすごい可愛い。

 スマホで撮りたいけど……盗撮に……なるよな(バレたら怒られるし)。


     がるるるるるるるる。        がるるるるるるるる。


「布団かけるだけだから、なっ?」


 涼子さんに触れようとすると、威嚇してくる みことみとらを何とかなだめて、涼子さんに掛布団をかける。


「あの、光蔵さん、他の寝床を……」


 光蔵さんはいつの間にか自分の部屋へ帰っていた。みことみとらはまだ僕を威嚇してくる。


 ……どうしよう……。




 ――――結局、その晩僕は押入れに入って寝るしかなかった。

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