〇一〇 変 貌

 御滝水虎おんたきすいこを赤ちゃんにしたら、こんな感じになるのかな。

 サイズは猫より大きいけど、目はくりくりっと丸くて、手足は太くて短くて、足先が丸くって大きい。

 首の付け根に石がちょこんと出てる。

 どうやら、私が手を握ってた岳臣たけおみ君を威嚇いかくしてるつもり、らしい。うなり声もすごく可愛い。


     ぐるるるるるるるるる。     ぐるるるるるるるるる。


 私は握っていた岳臣君の手を離して、一匹を拾い上げる。

 抱いた感触は少しひんやりしてるけど、毛並みがものすごく柔らかかった。

 おなかも丸くってぽんぽんしてる。

 思わず顔をすり寄せちゃう。うーーん、すごく気持ちいい。戦いの疲れも吹き飛びそう。しっぽも細くて柔らかい。


     ぐるるるるるるるるる。     ぐるるるるるるるるる。


「あの、三滝さん。トラとか個人で飼ったら、ワシントン条約とかに抵触するんじゃ……? それとも許可申請が下りてて飼ってるの?」


 あ、そうか。この姿は岳臣君にも見えるのか。


「これ? 普通のトラと違うから大丈夫。

 名前はね、えっと、この子がみこ。で、こっちがみとら。触ってみて」


 両手で差し出すと、岳臣君はこわごわ触ろうとする、が彼の手は小さなトラをすり抜けた。


「あ、あれ?」


 そうこうしているうちに みこが岳臣君の手をもうと、大きく口を開けた。


 ぐゎっ!!


「うわっ!!」


「こらみこ、おいたしないの。んじゃ上がっていって」


 改めて玄関から家に入るとおじいさまが割烹着を着て、いそいそと料理の支度をしていた。

 見ると、四角い大きな蒸籠せいろでなにかを蒸している。


「おお、涼子。着替えてお風呂に入ってきなさい。今赤飯を炊いている。今日はお祝いだ」


「いいけど、なんでですか?」


 おじいさまは私に耳打ちしてきた。


「なぜって、今日は涼子が初めて夜叉姫になった日だ。祝賀会をしないとな」


 その一言で私は疲労困憊ひろうこんぱいなのを自覚する。

 なんとなくだけど、また気が遠くなった。


「ああ、つかれ……た……」




   ***




 僕は自転車と鞄を持ってきたお礼ということで、家に上がらせてもらった。

 外観もそうだけど、中はすごい広い日本家屋だ。聞けば当時の豪農というか、地方実力者の家を改修したらしい。

 客間を兼ねている中座敷に通された。傷を手当てしてもらってから、お茶を飲んでいた。


「ちょっと! 涼子さん! なにしてるでんすか!?」


「なにって、きがえ」


 涼子さんは僕の目の前で、煤や水で汚れたブレザーを脱いで、ネクタイを外した。

 そしてブラウスのボタンを外そうとした。ちょっと待って!


「そりゃそうなんですけど、なにも客間で人前で着替えなくたって……!」


「……それもそうね。どうせお風呂入るし、脱衣所行くわ」


 特に動じた様子もなく、涼子さんは脱衣所に向かった。上着を片手で持ってくるくると回している。


 ……なんだ? 普段と少し様子が違う。


「ふう」


 よかった、よりにもよって涼子さんの生着替えなんか見たら、しばらく眠れないよ。


「惜しいことを、というか余計なことをしてくれたな、岳臣君」


 この人は涼子さんの祖父おじいさんか。なんでため息ついてるんだ?


「あのまま黙って見ていれば全裸は無理でも、せめて下着姿くらいは拝めていたかもしれない、非常に残念なことをした」


 何言ってんだ? この人。


「でも、おじいさんは涼子さんの……」


 そう言うと、涼子さんのお祖父さんは咳ばらいをひとつした。


「ゴホン、『光蔵こうぞう』だ。よわい70、古稀こきはとうに過ぎてはいるが、まだまだ若いものに負けはせん」


「あっすいません、光蔵さん。涼子さんは確かにきれいですけど……」


「わかってるじゃないか、岳臣君。そうだよ、きれいなものをでる、それこそがおとこの本懐だ。

 おっと、こうしてはいられん……君も来るか?」


「どこへです?」


「決まっているだろう、涼子が無事風呂場へたどり着けたか確認しに行くのだ」


「それって、つまりのぞ……」


「バカ言っちゃいかん、これは祖父の責務だ」


    にやっ               

                  キ ラーーーーン


 ダンディーな顔立ちで、決め顔して白い歯見せながら言われてもなあ。僕は無言で、涼子さんの後を追う光蔵さんを見ていた。


「なんだかなーー」


 でもおじいさん、いや光蔵さんの企みは不発に終わった。

 妖魅御滝水虎おんたきすいこが顕現した、みことみとらがいたらしい。光蔵さんが風呂場の戸を開けた瞬間、熱湯の水弾を顔に浴びせたのだ。


「あちっ! あちちちちち!!」


 光蔵さんはなすすべなく退散した。




   ***




「よし、今日は宴会だ! 岳臣君、君も皿を並べるのを手伝ってくれないか?


「宴会って、何をお祝いするんですか?」


 着いていきなり、得体のしれない怪物に生命を狙われた僕としては、仏滅と大殺界と天中殺が重なったくらいの厄日だった。

 ある意味では、涼子さんとの距離を少しだけは縮められた気もするけど(手も握ってもらえたし)――――


「というより、今日ここにいるのも何かの縁だ。今夜はここに泊まっていきなさい」


「えっ?」


「寝る場所は客間というか離れになるがな。

 ……まさか、涼子と一緒の部屋かと思ったか?」


 僕が首を左右に振ると、光蔵さんはからからと笑った。


「冗談じゃ、でも無断外泊は親御さんやご家族が心配する。なに、私から説明するから心配いらん、今のうちに連絡しておきなさい」


 そうか、光蔵さんは知らないんだ。まあ仕方ないよな。


「……いないんです」


「ん?」


「うち、放任というか、両親とも海外に出ずっぱりで帰ってくる方が珍しくて」


 ――そうかそれで。涼子に、いや妖怪や史跡、オカルトに興味があるのも、ある種さみしさを紛らわせたいからかもしれんな。


「まあ、うちも似たようなもんだ。涼子まごの両親は夫婦で同じ仕事をしていてな。家に居つく方が珍しい。少し寂しい思いをさせているかもしれん。

 君もそういうことなら、なおさら遠慮なく泊まっていきなさい。普段も涼子がいない時でも遊びに来ても構わん」


「ほんとですか?」


「ああ、だが涼子との交際は認めん」


「えっ?」


「冗談じゃ、でももしも、というのであれば……涼子と戦って強さを認めさせることだな」


 光蔵さんはまたからからと笑う。


「さあ、支度を手伝ってくれ」


「はい」




   ***




 涼子さんが入浴を終え、着替えて座敷に戻ってきた。


「涼子……さん? どうしたんです? そのかっこう。……それに手に持ってるものって!」


 その様子に僕よりもむしろ光蔵さんが驚いていた。


「涼子……それは儂の秘蔵の一本!

 山形県は鶴岡市醸造、至高の大吟醸『亀仙人』!! せっかくご近所さんからお土産に……。

 い、いやそうじゃない! 未成年が飲酒など!」


「んーーーー? あれ? ほんとだ、なんで持ってるんだろ。まあいいんじゃない?」


 涼子さんの今の姿は、普段の優等生というか、凛とした感じとはだいぶかけ離れていた。

 髪はポニーテールにしていて、上はブラウスじゃなく自分の体格より二回りほど大きな男物のワイシャツで、袖は肘が出るくらい折っている。

 下はぎりぎりまで詰めたローライズジーンズ。


 で、何より普段と違う所は――――キャミソールとか下着、ブラジャーも着けてない!

 襟元、上から三番目までボタンを開けてる。すごいセクシーだ。


「あーーーー、おじいさまーー。今日はごちそうだねーー。たけおみくんもーー、いっしょにたべよーーーー」


 妙に間延びした口調で話してるし、目元はとろんとしてる。ほろ酔い状態だ……!

 涼子さんは僕らを見て、無邪気にふふっと笑う。

 なんだろ、すごいドキドキする。でも酔ってるんだよな。

 光蔵さんは咳払いをひとつして、涼子さんに説諭しだした。


「ごほん、いいか? 涼子。確かに儂はお前に虚神ウツロガミと戦うという重責を課している。

 だがな、そのプレッシャーに負けて安易にアルコールに逃げるというのは、祖父として見逃すわけにはいかん。

 今夜はまあ初犯ということで、これ以上飲みさえしなければ見なかったことにしよう。

 だがな――――」



「「黙れ、小童こわっぱ。誰に向かって口を利いている?

 これでも我慢に我慢を重ねての、今日のうたげなのだ。

 私を安く見たときは、貴様の耳をいでさかなにするぞ」」

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