第七話

 バスに乗ると、花咲さんは……整理券を取らずに歩みを進めていた。

「あのー、花咲さん?これは?」

 そう言って僕は整理券の方を指差す。

 花咲さんはこっちを見て、整理券を見て、再びこっちを見て、首を軽く傾げた。

 これだけの証拠がそろえばさしもの僕でもわかる。花咲さんは……バスに乗ったことがないということが。なので、僕は整理券を2枚とって花咲さんに1枚渡した。

「これは整理券と言ってね、バスを降りるときに自分はここで乗ったよというのを示す券なんだ。これがないと、余分にお金を払わなくちゃいけないんだ」

 なおも首を少しだけ傾げ続ける花咲さんに整理券の説明をすると、言い終えないうちに頬を少し赤らめさせて、僕にごめんなさい、と言いながら後ろを向いてそのまま後方の2人掛けの席に座った。僕は笑みをこぼして花咲さんの隣に座った。少し通路側に詰めて。

「私ね、バスに乗るのは初めてで、ごめんなさい」

 下を向いてそう話す花咲さんを見ながら、不謹慎にも花咲さんの苦手なことを知ったようで嬉しかった。

「そういうことは彼氏に任せておけばいいのよ、お嬢さん。女はちょっとぐらい不得手なことがあったほうがいいものよ」

 なんて声をかけようかと悩んでいると、前の椅子に座っている妙齢のきれいな女性が話しかけてきた。……彼氏?

「ところでこれからどこ行くのかな、あなたたちは。ってごめんなさい。つい話しかけてしまったわ。おばちゃん暇で手持ち無沙汰だったから」

 矢継ぎ早に話したと思ったら急に尻すぼみになっていく姿を見た僕たちは一度顔を見合わせて微笑んだ。

「いえ、ぜひ私たちと一緒に話をしてください。きっと人が多いほうが話も膨らむでしょうし。絆くんもそれで大丈夫かな」

 僕はそれに頷き返した。

「ありがとう。そしてごめんなさいね、特に彼氏さん」

「えっ、そ、そんな絆くんとはそういう関係じゃないです!だ、だよね絆くん」

「う、うんそうだね!そうだね。そうだよね……」

 同じく微笑んだ女性から強烈な一言をもらって、僕たちは動揺してしまった。それを見た女性は、今度は小さな笑い声を発した。

「もう2人とも顔を赤くしちゃって、見ててこっちが恥ずかしくなるわよ」

 火照った顔はなかなか戻らず、その間無言で顔色を窺っていて、気づけば3人で話に花を咲かせていた。

「それじゃあ、私は次だから。楽しかったわ、2人ともありがとうね」

 停留所に着いたことを告げる運転所のアナウンスが聞こえ、女性はそう言った。僕らは名残惜しくもお互い軽く会釈をして、そのまま去っていった。

 僕は少し疲れたので背もたれに深く背中を預けて、花咲さんを盗み見ると、彼女も同じように背中を預けていた。疲れていたというより、落ち着いたので、これからのことを考えて緊張していたのかもしれない。

「ねえ絆くん、ちょっと疲れちゃったね。お出かけに備えて休憩しないかな?あと窓も開けていい?」

 うん、そうしよう。と僕は返した。花咲さんは頷き返して窓を開けると、途端に秋の初風を感じ、うるさかった鼓動が少しだけ落ち着いたように感じた。といっても、僕は隣で安らかに寝息を立てているようなことはできず、ただ目を閉じて安静にしていた。

 たった十数分だったかもしれない。気づけば終着点を告げるアナウンスがバス内に響いた。

「花咲さん、起きて」

 僕は直接触れることを躊躇い、声をかけるだけにとどめておいた。幸いにも花咲さんはそれで起きてくれた。

「ん、絆くん?あっ、着いたのか、ありがとう」

 目を擦りながら話す花咲さんを見て心臓が再び跳ね上がるが、僕は努めて冷静にした。

「じゃあ行こうか」

 そのまま僕たちは席を立った。僕はちらっと後ろを見て、あえてゆっくりお金を払った。そして先にバスを出ると、花咲さんも少し手間取りながらも無事払い終えて、バスを降りた。僕らはそのまま連れ立って小さな都会へと歩き出した。

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