第六話
目を覚ますと、鳥の鳴き声が聞こえるほかには、何も聞こえなかった。
天井もいつも通りの白。
着替えを済ませ居間に行くと、誰もいなかった。
机の上には財布があった。
ついでに手紙も置いてあった。中身を読んでみると、持って行け、ただそれだけの文字。本気で貧乏なのに大丈夫かなとも思ったけど、しっかりしているお父さんのことだ。きっと大丈夫なはず。そうポジティブに考えてありがたく頂くことにした。
僕は冷蔵庫にあった卵を焼いて卵焼きを作って、それだけでは足りないかな、と思って味噌汁を作って朝ごはんを食べた。
何もすることがなかったので、最低限の身支度だけ整えて、散歩に行くことにした。
一応、書き置きだけはしておいた方がいいかな。
それから家を出た僕は、特に急ぐわけでもなく、道端に咲いている草花、空を飛んでいる鳥を見ながら歩いていた。
ただ、目的地は一応ある。僕が通うことができなかった高校を外観だけでもいいから、目にとどめておきたかったんだ。とはいっても、家から学校までは結構距離がある。徒歩30分ぐらい。
それでも、鼻歌を歌ったり、たまに通る車を見ていたりしていると、暇だなと思うことは無かった。
しばらく歩いていると、学校が見えてきた。
学校の外観はお世辞にもきれいとは言えなかった。それでも、ここに通いたかったなという気持ちが湧いてくる。今さら言ったところで、経済状況は悪く、そんな贅沢が言えないことは分かっているんだけど。
花咲さんもこの高校に通っているんだろうか。もし、ここに通えていたら、登下校に仲良く話したりして青春を送れていたのかな?
.......うだうだ考えていても仕方ないか。よし、せっかく頑張ってここまで来たけど一度家に帰るかな。それとも、そのまま花咲さんの家を訪ねてみようかな。
そんなことを考えながら、さっき来た道をそのまま引き返した。
一度通った道は、さすがに暇だったから走ったりもしていると、予想より早く家に着いた。
表札には花咲と書いてある。
時刻は10時過ぎ。決して遅くはないけど、早かったのかもしれない。
どうか起きていますようにと願って、古いタイプの呼び鈴を一回鳴らした。
「はい、どちらさまでしょうか」
若い女性の声。花咲さんだ。よかった、起きていた。もういい時間なんだから、大体の家庭は起きていると思うけど、それでも起きていたことに安堵した。
「前田です」
「き、絆くんですか、ちょっと待ってて。今すぐ準備するから」
やっぱり少し早かったのかな。それとも本当に来るとは思っていなかったのか。
どちらにしても一度言ってしまったこと。
すぐ近くに流れていた川を見ていると、後ろから扉が開く音が聞こえた。
後ろを見ると、予想通り、花咲さんだった。
昨日の服と違い、よそ向きの服装だった。薄いピンク色のワンポイントがついた上着を着て、その下からは長めのフリルのスカート。
対して僕は、灰色の無地のパーカーに、ジーンズ。
周りが見たらどう思うだろう。.......特に気にも留めないかな。
ただ、僕にはおしゃれな服なんてあるはずもない。花咲さんはそれには特段触れる様子もなく、話しかけてきた。
「おはよう、今日は少し寒いね」
もちろん僕も返す。
「おはよう、確かに寒いよね」
「どこに行く? といってもバスや電車に乗らないと、私たちの年頃が楽しめそうな所は無いけど」
バスや電車に乗るのもいいかもしれない。ただ単に散歩をするのもいいけど、話題が尽きたら困るし、幸いちょうどお金もある。ありがとう、お父さん。
「乗ろうか? バスや電車」
「えっ、でも絆くん.......ううん!そうだねそうしよう」
花咲さんの考えたことは分かるけど、それについては深く追求しないでおこう。きっとお互いのためでもあるし。
「こっから近い方でいったらバスかな? よし、絆くん、そうと決まったらさっそく行こうよ」
そうして、僕ら二人は並んで歩いた。
会話は途切れることはなく、ずっと話していた。会話の節々から、僕の生い立ちや、どうしてこの町に来たのか知りたそうな言葉が聞こえてきた。ただ、花咲さんは聞いてこなかった。だから、僕から話すことにした。
本当は、言いたくなんてなかった。ただ、花咲さんなら全部、真摯に聞いてくれるはず、そうしたら僕の気持ちも少しは晴れるかもという、自分勝手な動機が、自分の心を突き動かし、ひたすら話していた。事実、花咲さんも真摯に聞いていて、時には頷き、また時には涙ぐむような素振りを見せていた。
僕はその行動に罪悪感を少なからず覚えた。しかし、今さら途中で止めるわけにはいかなかった。ただそこでも、僕の自分勝手さが勝ち、いかにも伯父のことを恨んでいないように話していた。花咲さんは、僕の言葉を信じ、やさしいね、と言った。
その瞬間、僕は押し黙った。ただ幸いにも、バス停まで来ていたので、気付かれてはいないみたいだった。
次にバスが来る時間まで数分だった。
僕は話題を変えることにした。
「そういえば、花咲さんのお父さんって優しいよね。普通、自分の娘と同じ年の男が来ても、そう優しくできるものじゃないよ」
そう言うと、いきなり話題が変わったことに驚いていたようだったけど、その後すぐに口を手で押さえて笑い出した。
「私もびっくりしたよ。……私もね、この町には元からいた訳じゃなくて引っ越してきたんだけどね、そのときに、近所の挨拶のために私も家族と行こうとしたら、お父さんが、心は家にいていいからって言ったんだ。だから、なんでって聞き返したら、近所の子供は悪そうな匂いがするって。あまりにも真剣だったから、思わず私は大笑いしたんだ。お父さんは何が面白いのか全く分からないようだったけど、結局私に家にいるよう言った。そして、私もそれに従った。でもね、前田くんが帰った後、お父さんが何て言ったと思う? あの子はいい人の匂いがするって顔を綻ばせながら言ったんだ。私はそれに大きくうなずいた。私も全く同じことを思っていたから。.......あっ、もうバスが来たよ、乗ろう」
僕は少しの戸惑いの後に、罪悪感を持ちながらもうなずいた。
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