カフェモカは思ったよりも、甘かった 3

「ぶ――――ッ!?」


吹いた。


「レイナちゃん汚いですよー」

「ご、ごめん。でもシルヴィが!」

「いやいや、からかい甲斐があるよね。レイナは」


 せっかくのカフェモカが気管支に入り込んで、咽る。涙目になっているのは自覚していたが、あくまでカフェモカが気管に入ったせいだ。シルヴィアが意地悪をしたせいではない。


「やめてよね、変なこと言うの」


 口もとを紙ナプキンで優しくふき取りながら、レイナは愚痴を零す。


「まあ、シルヴィアちゃんの言うことは分かります」

「え! リリアンまで!」

「それはもう仕方ないでしょう。レイナちゃんの場合、彼がいるのといないのとではまるで別人なんですから」

「そ、そんなに……」

「同じ人だとは思えませんよ」


 レイナ自身、イミナがいるか否かに自分のパフォーマンスが左右されているのは知っていたが、それは『言われてみればそうかな』と思う程度の微々たるものだと思っていた。まさかチームメイトの二人を以てして明らかだと言われるほどだとは思っていなかったのだ。


「今日は来てくれないんだろ?」

「…………うん」


今日の試合は仕事の都合で観に来られないと、イミナから事前に伝えられている。


「…………」

「…………」

「…………」


 シルヴィアもリリアンも、何も言わずにレイナをじとーっと見つめてくる。何も言わないのは、言わなくても伝わるからに他ならない。

 イミナがいなくてもやれるのか。

 その視線はレイナを責めているわけではない。

 からかっているわけでも……いや多少はからかいの念もあるかもしれないが、それが本意ではないだろう。

 今日、自分たちがどんなモチベーションでレースに臨まなければいけないのかを、この場で聞いておきたいのだ。

 今日、自分たちはどんな仕事をしなければいけないのかという、心構えをするために。


「万全よ」

「その心は?」

「…………」

「その心は?」


 きっと今日のレイナが絶不調でも、二人はレイナを責めることはしないだろうし、例え先週あのままイミナが間に合わず、レイナの調子も戻らなかったとしても、二人はレイナを責めなかっただろう。

 でも、少なくとも、レースが始まるまえから泣き言を零すような女に、レイナはなれない。なりたくない。

 例えそれが原因でレースに負けることになったとしても、翼を広げる前から意地も胸も張れずに仲間を頼る自分を、レイナは認められない。


「一番速いのは私だから。――一番速いのが、私だから」


 自分よりも上手く飛べる人がいる。

 自分よりも高く飛べる人がいる。

 自分よりも強く飛べる人がいる。

 そんなことはわかってる。

 嫌ってほど見てきた。

 見せつけられてきた。

 だけど全部を理解したうえで、誰よりも速いのは自分だ。

 誰よりも早くゴールに辿りつくのは、自分だ。

 それを譲るわけにはいかない。

 それだけは、譲れないのだ。


「大体、いてもいなくて別にいいのよ、あんな奴」

「どの口が言うんだよ」

「ホントに。どっちでもいいの」


 シルヴィアの反論ももっともだろう。

 だがレイナとしても、先週の失敗にはちゃんと理由がある。それを踏まえれば、今週は問題ないはずなのだ。


「ただ」

「ただ?」

「……来るって言ってたのに、来なかったから」


 先週のレース、レイナにとっての最大の問題はこれだった。

 来ると言っていたのに、来なかった。

 もちろん仕事が長引いて遅くなってしまう可能性を考えなかったわけじゃない。でも、来るって言ったのだ。

 それなのに待てど暮らせど姿を見せない。あまつさえ試合が始まっても何の連絡も寄越さない。

 それでは心配してしまうではないか。

 何か来ることができなくなった理由があるのではないかと。

 あるいは、来たくない理由ができたのではないかと。

 心配してしまうではないか。


「レイナちゃんはかわいいですね」

「…………」


 長い髪を揺らして優しげに微笑むリリアン。何も言わずにココアを飲むシルヴィアは少し気恥ずかしそうだ。

チームメイトの前で恋人ののろけ話をさせられているのだから、恥ずかしいのはこっちだ。


「そうよ。私は可愛くて、速いの」


 そう言ってレイナも、カップで顔を隠した。

 カフェモカは思ったよりも、甘かった。

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