カフェモカは思ったよりも、甘かった 2
「いや、なんかさ。緊張しちゃって」
「何によ?」
「準決勝」
レイナが寝坊してしまった理由――ひいては昨日なかなか寝付けなかった理由。
それは至極当然で当たり前のものだった。
一年に一回の、フライデー。
それがあとたった二回勝てば終わる。
あとたった二回勝てば、イミナと一緒に居られるようになる。
そう思うと、体が強張って、むず痒くて、なかなか眠りにつくことができなかったのだ。
「おいおい、今かよ」
シルヴィアが呆れ顔でココアを啜る。
「今なのよ! 悪いか!」
レイナだってシルヴィアの言わんとしていることはわかる。
今日の試合は初めての試合でもなければ最後の決勝というわけでもない。ここまで一度も緊張らしいこと口にしてこなかったレイナが眠れなかったことは、レイナ自身にとっても驚きだったのだ。
「まあまあ。こうゆうのって、自分でどうにかなるものではありませんし」
砂糖もミルクも入れずにティーカップに口をつけるリリアンの姿は、隣のシルヴィアや自分と同い年とは思えない貴婦人の風格を纏っている。シルヴィアは別の意味で(おっさんみたいという意味で)実際よりも年上に見えるが。
「先週のが効いたんじゃねえの?」
シルヴィアの指摘に、「うっ」と言葉が詰まる。
それはきっと、間違っていない。
「先週はギリギリでしたもんね」
「誰かさんのおかげでな」
「……ご迷惑をおかけしました」
先週の準々決勝。
あれは本当に危なかった。
レイナの翼――カータレットの翼は、貴族たちの間でも『最速』と呼ばれる代物だ。もちろんチーム『ローズガーデン』の三人の中でもレイナが文句なしに一番速く飛ぶことができるし、それどころかレイナの最高速度はカータレット史上最速とまで噂されている。だからこそチームをゴールまで運ぶランナーとしてレイナは出場しているし、二人はそんなレイナを信用して、身体を張って守ってくれている。
だがレイナの精神は、フライキャリアの選手としてあまりにも未熟だ。
調子がいい時のレイナはどんな弾丸も見ずに躱す。まるで自分に向かってくることを弾が教えてくれるような、そんな気分にさえなる。直感というにはあまりに鋭すぎる感覚だと自負している。
問題なのはその“スイッチ”を自分で制御できないことだ。調子の良し悪しにむらがありすぎる。調子が良ければどんな弾丸も躱せても、調子が悪いと目視でも躱せなくなるほどのポンコツ具合だ。
もともとレイナはロジカルに行動するタイプではなく、感情で行動するタイプだ。飛び方にしてもどう飛ぶべきかを頭で考えているわけではない。だからこそ集中力如何でよくも悪くも左右され過ぎてしまう。
競技選手であれば程度の差さえあれど、どんな選手であれメンタルはパフォーマンスに影響を与える。ただ卓越した選手ほど、ストレスの中でもパフォーマンスを落とさない技術を習得していく。レイナはその技術が未熟なのだ。
「ノリノリのときのレイナだったら、確実に逃げ切れるんだけどな」
「レイナちゃんは、甘えん坊ですから」
「シルヴィはともかく、リリアンまで酷くないっ?」
「いや、あたしはともかくって! 酷いのはおまえだろ!?」
レイナのもとにサンドイッチとカフェモカ、シルヴィアとリリアンのもとに追加のドリンクが届けられる。レイナはリリアンほどではないにしろコーヒーが好きだが、今日は緊張をほぐしたいこともあって甘めのドリンクを選んだ。温かいカフェモカで唇を湿らせると、ほっと体の緊張がゆるんだ気がした。
「で。お姫様、今日の調子はどうなのよ」
「万全だよ」
シルヴィアがふざけてお姫様と呼ぶことには、もはや突っ込まない。サンドイッチを齧ってレイナが答える。
「昨日は寝つけなかったし、身体は強張ってる気がしてるし、むず痒いけど、でも、なんか多分大丈夫」
確かに、身体は震えている。
うまく動かせるか、若干の心配はある。
だが怖くはない。
羽ばたく準備も、覚悟も、できている。
何より、撃ち落とされるビジョンが見えない。
「先週みたいな失敗はしないよ。大丈夫」
「いやいや、そうじゃなくて」
確信をもって言い切ったレイナを、シルヴィアが笑いながら首を振る。
何のことを言っているのかわからず、レイナはカップに口をつける。
「ナイト様は今日いらっしゃるのかって話だよ」
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