黒い虎と海老

 海老なのに虎。

 作蔵は、夕食のおかずを箸で摘まんだまま、そんなことを考えていた。


「作蔵、揚げたてほやほやの海老フライよ。いつもなら、舌を火傷するくらい頬張るのにどうしたのよ」

 作蔵の様子に伊和奈が堪り兼ねて言う。


「かじるのが惜しいからだよ」


 作蔵のひと言は、本当だった。

 黄金色の熱々な食事は、半年振りだった。


『仕事』そのものは、山あり谷ありの変動は相変わらずだが、生活に切羽詰まるようなことはなかった。


 貴重な収入でやりくりしていたのは、伊和奈だった。作蔵も20円(三%消費税込み)の支出が発生してもレシートをしっかりと伊和奈に渡していた。


「いいから、冷めないうちに食べてよ」

 作蔵のきどった言い表し方に、伊和奈の顔は紅くなっていた。


 ***


『黒い虎』と、いう名の海老。

 海の生きものなのに、陸の猛獣のような品種名に、作蔵は納得しなかった。

 本屋で購入した新聞のテレビとラジオ欄に目を通すと、ひとつの項目につられて、取りつかれた。

 作蔵は、41円葉書を自宅から歩いて5分程の距離にある〈どきゃん文房具店〉で1枚購入した。

 領収証を切る店番のお婆ちゃん(女学生時代に燃えるような恋をして、今の店主のお爺ちゃんと駆け落ちをした)は、渋渋と『上様』と料金を記入して作蔵に渡した。


 自宅に戻る作蔵は、猛烈な速さで自室に入ると机の長引だしから1本のボールペンを取り出して、葉書の裏に縦書きで文字を綴らせた。


 下手な字だね。


「ほっとけ。採用されたら『ご当地百貨店提供、名産品詰合せ』が贈られるのだ」


 おおっ!! あの百貨店の包装紙と紙袋だけでも鼻高々になるのに、名産品となればかなり気合いが入っているのだなっ!


「それもあるが、俺の真剣な悩みを解決して欲しいと、いうが本題だ」


 作蔵の『悩み』とは、何だ? と、首を傾げるが、一心不乱で文字を書く姿と芋を焼くほど焚き付けている気迫に、此方まで火傷をするような感覚になってしまった。


 文字を書き終わる作蔵は、葉書を素早く表にひっくり返して宛て先と、応募する自身の住所、氏名、年齢、職業を記入して最後に〔ペンネーム、ポメラニアン〕と、加筆した。


 そして、伊和奈から頼まれた『おつかい』を兼ねて、再び〈どぎゃん文房具店〉のお婆ちゃんに領収証を(ぶつぶつと小言まじりだった)切らせて、葉書をポストに投函した。


 採用されるとなれば、三日後の地元テレビ番組『きてはいよ』の〔おしえてっ! グレードマザー〕コーナーだ。


 いよいよ『当日』と、なった夕方。作蔵は、テレビの画面の前で正座をしていた。

 ご当地テレビ番組で、高感度10年連続1位の司会者である(愛称、もっさん)アナウンサーが、テレビ局宛に送られた葉書が詰まるアクリル製の箱の中に右手を入れて葉書を撹拌している映像に、作蔵は瞬きをせずに見据えた。

 3分間撹拌して手にした葉書の投稿者の名前を読むもっさん。


『この方に決定です。ペンネーム……さんからの〈教えてっ! グレードマザー〉はーー』


 作蔵は、無表情でテレビの電源を右の人差し指で押したーー。


 ***


 もう、終わりだね。と、何かの歌の一部分をお借りしたような作蔵の落ち込みは、さすがにほっとくしかなかった。


「作蔵、さっさと晩ご飯を食べてよ」と、伊和奈が汗まみれで運んできて四畳半にある卓袱台の上置いたのは、漆塗りの四角い盆を下にしているざるに蕎麦がどっさりと盛られてた。


 伊和奈は、付け合わせに鰹節で出しをとった自家製めんつゆが注がれる器と、薬味として刻んだ万能ネギ。そして、すりおろした山葵に加えて、塩を添えた別皿を作蔵の座る膳の前に置く。


 蕎麦通は、塩で蕎麦の味わうのが定番と、聞いたことがある。

 八割、十割……。さらに茹でた蕎麦のあとの湯をいただける蕎麦湯、ついでに蕎麦がき。ああ、蕎麦の傍に行きたい。


「最近、食卓が豪勢なのはどういうことだ」

 作蔵は、右手で掴む箸で蕎麦の麺を挟んで時計回りにして毛玉(編み物)のような塊にすると、左手の指先で摘まむ塩を振りかけて口の中に押し込んだ。


「ずっと節約生活が続いていたから、たまには作蔵に美味しいものを食べさせたかったのよ」

 伊和奈は、めんつゆが注がれている器に箸で摘まんだ薬味を入れて、少し撹拌させた。


「すまない」

 作蔵は、最初に頬張った蕎麦を丹念に咀嚼して、次に箸で挟む5本ほどの蕎麦の束を、小皿に盛る塩を少しつけて啜った。


「もう、お腹いっぱいだから、残りは作蔵が食べて」

 伊和奈は、卓袱台に箸を置く。


「軽く、10人前はあるぞ。俺だって7人前が限界だ」

 笊に盛られる蕎麦は、まだ3分の1しか減っていなかった。勿論、ひとつの盛り蕎麦を作蔵と伊和奈は箸でつついていたのだ。


「私が味わう食事は、食べることによって満腹感を得るよりも、味そのもので満足する。そう、味覚さえあれば、大体は過ごせる〈体質〉だからーー」

 ほうじ茶の茶葉を入れた急須に沸かし湯を保温しているポットからお湯を注ぎ、蓋をすると、猫の足あと模様の(寿司屋で出される大きな)湯のみ茶碗二個に茶を注いだ。


「明日の『3食』として、冷蔵庫に保管してくれ」

 伊和奈から湯のみ茶碗を受けとる作蔵が、茶を飲み干して言った。


 ***


 季節は、夏真っ盛り。

 庭に植える朝顔の花びらは、しわしわに萎れて暑い日差しを浴びていた。

 作蔵は、夕べ沸かした風呂の残り湯で水浴びをしていた。

 最初は湯槽に浸かっていたが飽きてしまい、湯槽から残り湯を桶ですくっては頭から浴びるを、繰り返す。

 作蔵は、脱衣場で身体に浴びた温い水滴を木綿の手拭いで拭う。

 夏特有の暑さで火照る身体が冷めたのは、ほんのわずかだった。ようやく手拭いで拭いきったら、全身から汗が噴き出す。かといって、浴室に戻って蛇口をひねって水道水を浴びるは、しなかった。


 がまんくらべ、いえーいっ!

 と、いうのは冗談だ。


 作蔵の頭の中は、舞い込んだ『依頼』でいっぱいだった。


 ーー『クロイトラ』ト、イウナノエビヲ、タイジシテホシイ。


 作蔵がひと月前『海老なのに虎』と、頭を抱えて食べた夕食の海老フライと被ってた内容だったーー。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る