海老

 黒い虎という名の海老をたいじ……。

『仕事』の依頼内容に“ミイラ取りがミイラになる”と、作蔵は自覚をしただろう。


「……。意味が違う」


 言葉に覇気はきがないぞ。此方は、てっきり作蔵の鉄拳を喰らうのかと思って身構えていたのに、拍子抜けた。


「余計な気力を使わせるな」


 口は怒っているが、態度は全くもって相手にならないといわんばかりで、作蔵は此方を見ていた。


 ーー作蔵、西瓜すいか を食べようよ。


 脱衣場の扉を隔てた伊和奈の呼び掛けに、作蔵は我に返る。


「すまないな、伊和奈」


 水浴びをして濡れた髪を乾かすことをしない裸体の作蔵は、腰にバスタオルを巻き付けて脱衣場を出ていったーー。


 ***


 作蔵は上半身裸(腰にバスタオルを巻いている)で、四畳半へと向かった。

 部屋の窓際で、扇風機が強の風速で首振りをしていた。作蔵は扇風機の前に座込み、濡れたままの髪を風で乾かしながら、熱る肌を冷ますをした。

 一方、台所では伊和奈が排球バレーボールの球くらいの大きさの西瓜すいかをまな板の上に置くと包丁で真っ二つにして、ひとつを3等分に切り分けた。真っ赤に熟れた実は斑な黒い種ありで、緑と黒の縞模様の皮がついていた。

 少しだけ深みがある白に蒼の色でふちが塗られる陶磁器の皿に切り分けた西瓜を盛り付けて、ステンレス製の盆の上に乗せた。


 伊和奈が四畳半に運んだ西瓜は、作蔵によってあっという間に完食されてしまった。

 口を大きく開いて西瓜のひときれを3回かじって食べ尽くすを、作蔵は2回繰り返した。

 皿に残ったのは、厚さ二ミリほどになった皮と種。豪快な食べ方をしたわりには、見事に皮と種が皿の端で均等に分けられていた。


「おかわりは、どうする」と、西瓜のひときれを食べきっていない伊和奈が作蔵に訊く。


 作蔵は「いや、もうたくさんだ」と、首を横に振って腰をあげると四畳半から去っていった。


 ところで、伊和奈。作蔵の格好に顔色を変えなかったね。


「何に期待をしていた」


 伊和奈が口から吹き飛ばした西瓜の種が、命中したーー。


 ***


 作蔵は、綿生地で紺と白の縦縞模様の甚平(上下)を着ると、自室の畳の上で糸瓜へちまの絵柄の団扇を片手にして胡座を掻いた。


 たいじ……。


 倒すことなのか、闘いを挑むことなのか。

 物質か、物体か。


 部屋が薄く暗くなっていく。

 暑苦しく照らしていた日光が、灰色の雲で遮られた為にだった。


 作蔵は、手で握る団扇のあおぎを止める。

 湿り気を含んだ風が、開く窓から吹き込んできた為にだった。


 胡座を掻いたままの作蔵が窓から外の光景を覗くと、雨が滝のように降っていた。

 窓から風とともに入り込んだ雨粒が、畳の上に降り注いで濡らしていた。


 作蔵は、降り込む雨と濡れる畳に焦る素振りをしなかった。


 開きっぱなしで南向きの窓。

 畳から上へと近い窓の淵で、茶色の羽毛で覆われている黄色いくちばしと黒くて丸い目をしている鳥が、雨で濡れた羽根の水滴を振り払っていた。


 ーー作さん、雨が止むまでお邪魔するよ。


 鳥の囀ずりは、作蔵には言葉として聴こえた。

「ああ、構わないさ」と、作蔵が返事をすると、鳥は胴体を右足で支える状態で左足のつま先をつかって喉元を掻いた。


 ーー窓を閉めないと、部屋の中が水浸しになっちゃうよ。


 鳥は、翼を広げて作蔵の左肩へと翔んで止まる。そして、作蔵の耳元で囀ずった。


「閉めると、息が出来ないほど暑苦しくなる。そういえば、おまえの名前を俺は知らなかった」


 ーーいろいろと、呼ばれているよ。だから、作さんの好きな呼び方で構わないよ。


「『弥之助やのすけ』と、呼んでやる」


 作蔵の笑みを湛えながらの言葉に、鳥は嬉しそうに何度も囀ずった。


「気に入ったのだな」


 ーーもちろんだよ。作さん、ありがとう。今日から、おいらは『弥之助』だからさ。


 部屋が、窓からうっすらと射し込む陽の光でで明るくなる。

 作蔵は、弥之助の囀ずりに気をとられていたと、雨音が途切れていたことに漸く気付いた。


「弥之助、仲間のところに戻るまえに腹ごしらえをするのだ」


 肩からはばたこうとする弥之助を、作蔵が呼び止めた。


 弥之助は、少しだけ考え込むと「ちゅん」と、返事をするように囀ずったーー。


 ***


 時刻は19時を15分過ぎていた。

 日が長い気節であったが、空に再び雨曇が覆った為に、家の至るところは夜が更けたかのような暗さだった。


 夕食の仕度をしている伊和奈がいる台所を除いて、だった。


 四畳半の天井から吊るされている照明灯が作蔵によって灯されて、部屋を照らした。


「ごめんね、作蔵」

 作蔵の後ろからあやまる伊和奈は、四畳半の照明灯を灯すつもりだった。


「うまそうな匂いだな。今日も腕をふるったのだろう、伊和奈」


「ははは、さすがにわかってしまうよね」

 伊和奈は、堪らずはにかんだ。


 弥之助を交えた食卓は、一家団らんのような光景だった。


 弥之助は、出された白い『ご飯』を食べ尽くした。

 伊和奈は遠慮がちにしている弥之助に、おかわりを「はい、どうぞ」と、土鍋炊きの白米をしゃもじですくって小皿に盛る。


「弥之助、遠慮はするな。思いきり食べてくれ」

 小皿に盛られたご飯粒を嘴で挟んで食べる弥之助に言う作蔵。今度は此方を見て歯を見せて笑っていた……。


 え……………。


 待つのだ、弥之助。止めるのだ、作蔵。お願い、伊和奈さん。


 ーー作さん、勘弁してくれよ。どう見ても美味しそうとは思えないよ。


 あ、舌打ちなんてするとは何て奴だ。


「あんた、弥之助の舌に何をするつもりなの」


 伊和奈に勘違いをされてしまった。

 爪楊枝を口に挟んだだけで、悪役呼ばわり。


 それでも語り役は、致します。


「作蔵、気分を悪くしたらごめんね」

 伊和奈は、卓袱台の上に乗る空になった食器を盆の上に重ねながら言う。


「どんなことにだよ」

 小皿に注がれている水を嘴から啜る弥之助を見ていた作蔵は、爪楊枝の先を歯の隙間に射していた。


「今回の『仕事』のことで、かなり煮詰まっている様子だから」

 伊和奈は、食器を片付ける手を止めて虚ろな目を作蔵に見せる。


「おい、おい。おまえが考え込むをしてどうするのだ」

 作蔵は、口から爪楊枝を右の指先で摘まんで抜いた。


「海老の本当の色は、知っているよね」


 伊和奈の突然の言い出しに、作蔵はわずかながら困惑を隠しきれない顔をした。


「縞が入った黒だが、食べるために過熱調理をすれば赤くなる、だよな」


「わたしは、海老みたいな“体質”かもしれない。わたしの“身体”はもう、ないかもしれない。だから、だから……。わたしはーー」


 声を震わせて言う伊和奈を、作蔵は見据えた。


 当たり前と、思っていた。


 伊和奈がいることに、当たり前となっていた。

 例の『依頼』を承けて『仕事』の段取りの毎日だったと、振り返る。

 毎日のように、食卓(卓袱台)の上は作蔵にとっては最高の御馳走ごちそうばかりが伊和奈によって、ふるまわれていた。


 今日の夕食のおかずは、特に豪華だった。

 切り刻んだキャベツ、人参、玉葱、ピーマンと牛肉(こま切れ)が炒められて味付けに焼肉のたれ。つまり、野菜炒め。

 肉が入ってる料理。しかも牛肉(こま切れ)は、いつ食べたのかさえ覚えていないほど、久しぶりだった。


 気付くのが遅かった。


 家計をやりくりしている伊和奈のことだから、切り詰めたぶんの余裕としての食事。と、いうのは思い違いだった。


 言い方は相変わらずきついが、柔和な態度。一方、どことなく沈んだ顔つき。


「伊和奈。おまえ、何を隠している」

 作蔵は躊躇うはせずに、直球を投げるように訊ねた。


「黙ったままでは、わからない。たのむ、こたえてくれ」

 一向にひと声すらしない伊和奈に、作蔵は顔を曇らせて言う。


「伊和奈っ!」

 作蔵は、とうとう感情を剥き出しにした。


 同時に、四畳半の照明灯のあかりが消える。


「弥之助、じっとしとくのだ。その代わり、返事をしてくれ」


 鳥は夜目がきかない。と、聞いたことがある作蔵は、真っ暗になった四畳半の中で動くことをせず、弥之助を探すために呼んだ。


「ちゅん」と、囀ずりが聞こえた。


「そのまま、鳴き続けろ。俺が、おまえのところに行く」

 作蔵は、弥之助の囀ずりを手掛かりにして、途中で素足のつま先を茶箪笥の角に突いてしまう、脛が卓袱台にあたって悲鳴をあげたいほどの激痛におそわれる。


 ーー作さん、おいらには何が何だかさっぱりだよ。


「弥之助はここにいろ」

 漸く探し当てた弥之助を作蔵は両手で包み込み、甚平の前開きの隙間へと弥之助を押し込んだ。


 さて、今度は……。

 と、作蔵は暗闇の中でわずかな動きもせずにいた。

 拳を握りしめて、足で踏みつける畳の感触を確かめた。

 粘着性がある液体。

 とらえた獲物は雷が鳴ろうが息の根を絶つまで食らいついて離さない。

 運良く情況から逃れても、魂そのものを食べ尽くすまで、つきまとう。


 ーー作蔵、観念するのだよ、あんたが気付かなかったのがいけなかったのだよ。今さら気付いたってどうすることも出来ないと、苦しむのだ。永遠に、悶えるのだ……。


 外は、雷雨。

 身震いをするほどの悍ましい声を、作蔵は聴き逃さなかったーー。















  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る