6
作蔵は、激しく降る雨に打たれて全身をずぶ濡れにさせていた。お使いと散歩を兼ねての最中に、足止めをした場所でだった。
荒れ地の中心にいる初老の女性。
あまりにも不自然な様子を視野にいれた作蔵。
お互い、誰かとは知っていた。
共通は『依頼主』だった。
初老の女性と『依頼主』の言い分が食い違っている。
作蔵は、承知のうえで挑発するともいえる言葉と態度をとったのであったーー。
***
有刺鉄線の柵が外れていた。
地面に刺していただろうの丸太棒の杭が、荒れ地に蔓延る雑草を潰していた。
そして、さらに草の根を掻き分けたあとが作蔵の視野に入る。
作蔵は、踏みしめられた路の先に目を凝らす。
そして、初老の女性が居たのであった。
「此所には、地域活性の目的で商業施設が建つ筈だった。用地買収が済んで土地整備も着々と進んでいた。でも、着工寸前で反対運動が起きてしまったの。理由は、土地活用の見直し。老舗の店が衰退してしまう、地域活性にはならない。そして、失われた自然をどうしても取り戻したい。と、いうことだった」
語る初老の女性の身なりは、黒いドット模様の七分丈袖ワンピースに茶色のレインブーツ。赤と緑のチェック柄のジャンプ傘で雨避けをしていたが顔に施す化粧は雨の滴で剥がれているうえに、染めているとわかる焦げ茶色のソバージュの髪型は水気を含んで膨張していた。
「あんたが『依頼』したのは『依頼主』への“立ち退き”だった。此方としては仕事だった。今だから言える、傍迷惑な『依頼』だった。そして、訊く。あんたがべらべら言ったことと『依頼主』にどんな接点があるのかと、いうことだ」
作蔵の顔は険しかった。
まさに、相手の出方によっては容赦なしの顔つき。例えるならば、獲物を狙う野性動物の直立不動の状態だった。
「反対運動のリーダーが殺害された。容疑者は今でも捕まっていない。リーダーがいなくなって、結束力が衰える。そして、残された遺族に不平不満、
初老の女性の語りに、作蔵は耳を疑うといわんばかりの顔つきをして「頭が痛くなる話だ」と、溜息を吐く。
「本当におっしゃる通りよ。人が亡くなったのに哀しむどころか当然の報いを受けたのだと、手のひらを返したように責任転嫁するなんて、ね」
初老の女性は膝を曲げて荒れ地に腰をおろす。雑草の一株を右手で掴んで抜き取ると、根に付いている土を振り落とした。
「で、残された遺族は今何をしているのかは、あんたは知っているのか」
作蔵は有刺鉄線を越えずにいた。荒れ地にいて雑草を握り締めている初老の女性を見据えながら、尋ねた。
「幼い頃、母親は病死。父親に育てられ、社会人となった矢先に父親は……。反対運動の件もあったものだから、親戚一同は誰一人寄り付くことがなかった。本来ならば、持ち家とか土地は子に相続権があったのに、貪欲な親戚の一部が其処だけに目をつけて強引に放棄させた。そのまま住むはしても良いが、借家だから、家賃を払うという条件を突きつけた。あとは、あなたもご存じだった筈よ」
初老の女性の声は震えていた。
雨の降りが徐々に弱まって、雨音も小さくなる。
初老の女性の話しを聞く作蔵に、はっきりと聴こえる。
「『孤独』という環境の原因をつくったのは“本人”だと、俺は言わせない」
雨は止み、作蔵の黒のTシャツは肌が透けるほど濡れて、肌に貼りついていた。
「あなたがいう“本人”は、誰のことを示しているのかしら」
初老の女性は、
「俺が言うことではない“本人”は、自分で解れよ」
作蔵の怒りを含ませた声に、初老の女性は「ふふふ」と、嘲笑いをするばかりだった。
作蔵は、初老の女性の様子を止めるどころか、動くこともしなかった。深緑色の木片を右手で握り締めたまま、動かなかった。
『瞬間』が、必ず来る。と、待っていた。
『仕事』は終わっている。だから、作蔵に出来ることはなかった。ついでに愚かな人の象を裁くことは、管轄外。
そして、やって来た『瞬間』に、作蔵が口を開き始めた。
笑うことを止めた初老の女性が、啜り泣きから咽び泣きに変わった『瞬間』だった。
「すまないな。これ以上は、俺にはどうすることも出来ない」
「わたしは、何をすれば良いの」
泣き続ける初老の女性が、ようやく作蔵に言った言葉だった。
「あんたが『こいつ』を〈花畑〉に行けるように守ってやるのだ。あんただけでも『こいつ』の味方になれ。あんたは『こいつ』の親父さんとお袋さんを知っている。親子三人があたたかく過ごしていた“時間”を、少しずつで良いから返す気持ちで、一緒に過ごしてやる。時期が来れば、ちゃんと自分で〈花畑〉に行く為に路を歩く」
厚い雨雲は、吹く南南東の風に流される。
雲の隙間から朱色に染まる空を覗かせ、太陽が陽の光を注がせ、辺り一面を照らしていく。
「過ぎた“時間”を嘆くことを止めるきっかけは“時間”を始めること。わたしは、気付くのが遅かった。あなたに『依頼』した『依頼』は、間違いだった。誰かの所為して、自分を変えることをしない生き方は愚かだと、今更ながら……。でも、誰かに背中をおしてもらうことを、待っていた。なんて、都合が良い言い方ね」
初老の女性が、有刺鉄線の向こうにいる作蔵にゆっくりと近付いて言う。
「頼むぞ『おばさん』」と、作蔵は深緑色の木片を初老の女性が差し出す両手に乗せる。
「『これ』に〈あのこ〉が入っているとはね。狭くて、おもいきり身動き出来ないでしょうから、のびのびと出来る場所に移してあげたいのは、駄目かしら」
作蔵に『おばさん』と、呼ばれて顔つきが少しだけ険しかったが、初老の女性は直ぐにやわらかい顔をした。
「構わないさ。場所が決まっているならば、だけどな」
作蔵は、道端に放り出した広げっぱなしで紫色の蛇の目傘の柄を掴んで拾い、
「さっきの話の続きになるわ。結局、工事は中断されてしまって何年もたった今でも『此処』はこんな状態。耳に入れた話だと、建設関係者が次々に不幸になったとか、土地を業者に売った住人にも何かが起きた。兎に角、奇妙な出来事を経験したと、いう話が続出してしまったからほぼ、放棄されたに近いわね」
「また、ややっこしい話だ」と、作蔵は呆れ顔をした。
「『このこ』を守る為に、わたしが動くわ」
作蔵の右隣にいる初老の女性は、有刺鉄線が張る柵の杭を地面に刺した。
「身体だけは、頑丈にしとくのだぞ」
「遠回しに『元気でいなさい』と、言ったつもりなのね」
作蔵は、それっきり初老の女性と会うことはなかったーー。
***
後日。
作蔵の食生活が変わった。
毎日のように、三食同じ食事が続いていた。
「俺、健康診断で絶対に引っかかる」
「今さら、しかもあんたが『健康』に気を使うなんて、らしくないよ」
卓袱台の上に乗る目の前の紙の皿。作蔵は、盛られる『食べ物』から目をそらしたいが、睨む伊和奈が気になり仕方なく手掴みをした。
1本、2本……。5本、6本と、作蔵は、黄色いストローを『食べ物』から剥がして、剥がしまくった。
そして、丸かじりをして咀嚼した。
「『お礼が遅くなって申し訳ありません。お訊きした品物で良いということですので、たっぷりと召し上がってください』」
伊和奈は、手にする便箋の内容を作蔵の耳元で読んだ。
「伊和奈、怒りながら読むのは『相手』に失礼だぞ」
『食べ物』の残りを一気に頬張る作蔵が言う。
「どっちの『相手』かしらっ!」
鼻息を吹く伊和奈が、作蔵の耳元で叫ぶ。
伊和奈が畳を踏みしめながら四畳半から出る間際だった。
「めんどい、ひじょーにめんどい」
堪らず呟いたひと言が、作蔵にとっては災いとなる。
ーー『すぼ』を食べるのと私そのもの、どちらを失いたいのっ!
「ごめんなさい、難しい選択はイヤです」
作蔵が泣き被った。
夕食も、つけっぱなしのテレビに映るニュース番組の内容を表す【商業施設から緑化地に計画を変更】の字幕さえ見落として、黙々と『すぼ』のストローを剥がして食べたーー。
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