作蔵は、依頼主そのものに蓋を閉じた。

 自宅に依頼主を詰めた箱を持って帰ってきて『鑑定』という作業をすると、いうことだ。

 どんなことを『鑑定』するのかは、黙って見るしかないーー。


 ***


「道具はどうしたっ!!」と、作蔵が罵声を飛ばした。


 伊和奈は、背筋を真っ直ぐとした。

〔道具箱〕と、白いシールに黒の毛筆(作蔵の筆記)で手書きされて箱の側面に貼られている縦横30センチくらいの四角いアルミ缶を両手で抱えていた伊和奈は、震える手で作蔵に差し出した。

 日頃の(特にあんぽんたんなところ)作蔵は仮面を被っているようだと、思いながらだった。


 ーー面倒くさい。

 作蔵が『仕事』を承けると決まっての口癖。

 言った以降は、真剣に取り組む。


 伊和奈は、作蔵の変貌ぶりはいつものことだ。と、慣れていたわけではなかった。

 今回の『仕事』は、今までの『仕事』とは比べられないほどの重圧感が作蔵にあるのだ。だから、口も態度も抑圧的になっている。


 伊和奈が作蔵に渡した箱の中には、何も入っていなかった。

 それでも作蔵からは、嫌みの一言はなかった。


「箱が『道具』そのもの。ちっとは、空気を読めっ!」

 作蔵が……。

 いや、此処は此方が堪えるのが賢明だ。

 そうだよ、皆も余計なひと言はーー。


「作蔵、塩と殺虫剤を混ぜて吹き掛けたよ」

「やり過ぎだ。今度からガムテープを貼るで対応しろ」


 ……。

 全身は痺れているが、語りは出来そうだ。

 作蔵は、伊和奈から渡された箱に『依頼主』が詰まった箱を中に入れる。


「伊和奈、俺が“蓋”になる。おまえは『鑑定』結果をしっかりと記録するのだ」

 作蔵の険しい声と顔。聞いて、見る伊和奈は身震いをした。

「作蔵、あんたは私と違って“生身”の身体だよ。しくじれば、どんなことになるかは私だってーー」

「大袈裟なことは言うな。それに、俺がちっとやそっとで壊れないのは、おまえが知っているだろう」

 作蔵の余裕綽綽ともいえる態度。時によっては安堵、状況によっては苛つく。

 伊和奈は、今にも吐き出しそうな感情を喉元で溜めていた。堪えて、堪えて、堪えた伊和奈は目蓋を綴じて「ごくり」と、喉を鳴らし、腰に着ける巾着袋から濃緑に染まる木片(蒲鉾板の大きさ)と白色の油性マジックペンを取り出した。

 作蔵は横目で伊和奈の様子を見ると、箱を抱えて紫、黄、茶、紅の4つの原石水晶の間に無色透明の原石水晶が4つで深紅の木綿布の上で八角形に置かれて、竹林模様の絨毯の上に敷かれる床に腰をおろす。そして、深呼吸をしながら背中を丸めた。


 部屋の中央で作蔵は動いていなかった。

 作蔵は『鑑定』をする間は何があろうと声を掛けると揺すぶるはするなと、伊和奈に言っていた。


 柱に掛ける振り子時計は、作蔵が家宝にするほど大切に手入れをしていた。伊和奈は時計盤を見つめ、左右に揺れる円型の振り子の音に耳を澄ませた。


 作蔵が箱に被さって、時間が16分過ぎた。

 それでも、作蔵の動作と態度に変わった様子はなかった。

 作蔵の言いつけを、ひたすら守る伊和奈。

 時間は、さらに合わせて48分が経つ。


 普段なら、作蔵が就寝する時刻。そんな時間さえ通り越していた。

 振り子の音、時刻をしらせる打の響き。伊和奈にとっては、耳障りだった。

 願うことは、作蔵が『鑑定』から戻って来て欲しい。


 ーーふふふ、随分と苛ついているみたいね。


 嘲笑いをする女性の声に、伊和奈は厳つい顔をした。

「馬鹿にしたような言い方をするなんて、不愉快よ」

 声は何処からしていると、伊和奈は部屋の辺り一面を見回す。


 ーー『この人』に此のまま入ってずっと過ごしたいわ。


「生きてる『身体』を泥棒して生きてもあなたは“同じこと”を繰り返す生き方しか出来ないよ」

 伊和奈は、握りしめる深緑の木片に『封』と白い文字を書き記して、箱を抱える作蔵の背中に翳した。


 ーー何をするのよっ! せっかく、ようやく、安らげることができるのよ。邪魔をするならば『この人』の魂を粉々にしてあげる。


「あなた。いや、あんたは大がつくほどあんぽんたんよっ! あんたの『取り戻したい時間』の為に、作蔵が費やした『時間』を返しなさいっ!!」

 伊和奈は怒りを含ませて叫んだ。ポニーテールに縛る紐が千切れて、長い黒髪が四方八方に靡いていた。


 ーーごめんなさい。ちょっと、意地悪をしたくなったの。あなたが羨ましくて、堪らなかった。あなたが私に言ったことは、その通り。私は、私は。


 啜り泣き。を、聞く伊和奈の長い黒髪が垂れ下がる。


「あんたが『取り戻したい時間』を1分以内で10文字で述べなさい」

 伊和奈は「ふんっ」と、鼻息を吹いて黒髪に右手で手櫛をした。


 ーー……。


 言葉を聴くことなく、時間切れとなった。

 伊和奈は作蔵の身体から緑の粒子として解き放たれる『鑑定』結果を木片に吸引したーー。


 ***


 朝が来て、昼になり、夜もやって来た。

 夜は過ぎて朝はあっちにいって昼は去っていってしまった。

 凝って痛んで磁力の湿布をーー。


「伊和奈、そいつを摘まみ出せ」

 痺れが抜けて調子に乗っていたらやっぱり叱られ役か……。あ、伊和奈が天井に蝿取りリボンをぶら下げた。げ、蚊取り線香まで焚くとは、凄い扱い方をされているのね?


「今回の『仕事』はまだ終わっていないの。さっさと此処から立ち去りなさい」

 伊和奈が蠅叩きを振り回して追い掛けて来た。

 仕方がない、退散をして語りを続けることにしよう。


 作蔵は、四畳半に置かれる家具調炬燵の布団に脚を入れて座って『鑑定』結果を台の上にひろげたA4サイズのレポート用紙に2B鉛筆で書き記していた。


 ◎〔鑑定結果〕依頼主 真奈美。

 経歴は省略するが、真奈美の『時間』は真奈美の中で膨らんだ“悲しみなげく”に埋もれていた。

 悲嘆の原因は不明。

 備品に1枚の『時間の型』を使用して、真奈美そのものを封した。


 作蔵はレポートを書き終えると、鉛筆を炬燵の台に置いた右手の甲で両目を擦る。


 達成感があった『仕事』ではなかった。結局、依頼主が取り戻したいと求めていた“時間”は、まさに“闇”の中だった。


『鑑定』中、作蔵の視野に入ったのは中年女性に手を引かれて泣き叫びながら歩く、顔に灰色の霧が覆い被さっていたが、声は子供。

 子供の手を引いていた中年女性の顔。

 何処かで聴いて、見覚えがある。が、はっきりとした気持ちになれなかった。


 作蔵は、伊和奈が夜食として出してくれた茶色の小鉢に盛られてる辣韮らっきょうの酢漬けをひと粒だけ右手の指先で摘まみ、左手の指先で薄皮を剥がした。

 一枚、二枚……。作蔵は、剥いて剥いて剥きまくった。


「食べ物を粗末にする。あんたは、いつからそんな奴になったの」

 伊和奈の激昂と同時に、家の外で犬の遠吠えが木霊したーー。


 ***


『依頼主』を封してから一週間が過ぎた。

 四畳半を無駄に占めていた家具調こたつは作蔵の必死の抵抗も虚しく、伊和奈によって撤去され、茶褐色で木目調の卓袱ちゃぶ台が置かれていた。


『月締め』になると、伊和奈は決まって苛ついていた。

 特に、今月の『仕事』で利益が出たと、言い切れないのが作蔵でさえ、わかっていた。


 外はあいにくの雨模様。窓越しから見つめる庭に植わる低樹木の深緑の葉。隠れているようにして花のつぼみが膨らんでいた。


「作蔵『すぼ』だけを買ってきて」

 伊和奈が、金魚の刺繍模様のがま口から五百円硬貨を差し出して言う。

『すぼ』とは、板の代わりにストロー状の簀の子が巻き付いている、蒲鉾のような食べ物だ。

 一本ずつ剥がすか、一気に剥がすか。人それぞれの拘りがある。因みに、作蔵は一本ずつ剥がして丸かじりするのが好みだ。


「散歩したかったから、行ってくる」

 伊和奈から五百円硬貨を受け取った作蔵は、黒いTシャツと紺色で麻生地の七分丈ズボンを身に纏っていた。

 素足で廊下を歩いて玄関に向かい、下駄箱から取り出した愛用の一本歯下駄を履いて、傘立てより紫色の蛇の目傘を手にした。


 空を厚く覆う灰色の雲から解き放される閃光、路に叩きつける雨音が交ざる響きは、作蔵が鳴らす下駄の音を掻き消すほどの轟音ごうおんだった。

 作蔵がズボンのポケットに押し込んでいたのは、五百円硬貨だけではなかった。

〈おろろん商店〉に行くには、どうしても通らなければならない路があった。

『依頼主』と対面する前に通った路。

 そう、作蔵が近道をしようとして諦めた有刺鉄線ゆうしてっせんが張られている、雑草だらけの荒れ地を見る。


「あんたが『こいつ』から“時間”を奪った。今は似た“時間”で押さえている。だが、期限があるのだ。持っているならば返還、使ってしまったならば『こいつ』をあんたに憑かすっ!」

 作蔵は、頭上に差す蛇の目傘を綴じずに右手で握りしめるを離す。そして、ズボンの左ポケットから白色で『封』と書き記された深緑色の木片を抜き取った。


 ーーわたしは間違ってはいないわ。どんなに話しても一点張りだったのは『あっち』だった。何が奪われたのよ、此方に散々迷惑を掛けていたのは『あっち』なの。言っとくけど『依頼』をしくじったあなたに、返すモノとか憑かれるは却下よ。


 荒れ地の中心で作蔵に背中を向けて、不愉快だといわんばかりに語る初老の女性がいた。


 雨が、ますます強く降っていたーー。











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