私の中の一部

斐伊川勇

私の中の一部


「ひーらぎ、ご飯食べよ」

4時間目の授業終了を告げるチャイムが流れた直後、私と同じ顔をした人間が近づいてきた。

彼女は椿、私の双子の姉である。

「えーと……ハンバーグに卵焼きにポテトサラダ。なかなか豪勢だ!」

椿はお弁当の蓋を開けると、歓喜の声を挙げる。

「このハンバーグって手作りのやつ? 時間かかったよね?」

「いや、それは出来合いでチンしたやつ。ほかは作ったよ」

「なるほど……。毎日お弁当頼んじゃって申し訳ないなぁ。いつもありがとう柊」

私と椿は寮生であり、同じ部屋で暮らすルームメイトだ。お弁当を含むご飯の用意や、その他家事は基本的に私がやることになっている。

「柊の作るご飯は美味しいね!」

嬉しそうにお昼を食べる椿を見ていると、私まで嬉しくなってくるような気がした。

「さっきの授業課題出てたよね。帰ったらやろっか」

不意に思い出し話題を振る。すると、表情が急変し険しいものとなった。

「あー……柊、分かんないところあるから教えて?」

「出来るだけ自分で考えたほうがいいと思うよ、私は」

「その……微妙に寝てて……」

これは私が家事を担当していることにも関わっているが、椿はけっこう大雑把というか、雑にこなしてしまう部分がある。そのせいか成績もあまり良くはないため、テスト前のときなどは勉強会に付き合うようなこともある。

出来るだけ1人でやらせたいが、「柊の教え方が1番分かりやすい」なんて言われると教えてしまうあたり、私も甘いのだろう。

「姉さん、次の授業なんだっけ」

「えーと、体育だったかな」

どことなく楽しそうな表情をしている。体を動かすことが椿は得意であり好きなことであるからだ。

「リレーだったよね次……。お昼のあとに体育やるって、この時間割絶対おかしいよ……」

反対に私は少し憂鬱である。椿とは違い、運動が苦手なのだ。それに加えて食後、1種の拷問かなにかとしか思えなかった。

「そうかなぁ。リレーけっこう楽しいのに。……あ、柊ごちそうさま。美味しかったよ」

そう言われると卵焼きを箸でつまんだまま、椿に「お粗末様」と声をかける。

少し目を話した時には、彼女はよく話している2、3人のグループに混じり、体操着に着替え始めていた。

私と椿の最大の違いは、どんなことにも積極的に関わろうという意欲があることだと思う。

やったことがないことや知らない人に関わりを持っていく。そんな彼女には友人が多く、いつも様々な物事の中心にいた

そんな彼女と違って、私は引っ込み思案でなかなか前に出られるタイプではない。

椿は躊躇なく他人に話しかけ、適度に仲良くなった人物を私に紹介することが多々ある。それによって出来た私の友人も少なくない。

椿が見つけた楽しいもの、面白いものはそのまま私に伝わり、二人で共有する趣味になる。

『私は姉さんがいないと空っぽな人間である』

それはおそらく幼稚園頃からも感じてはいたことだ。


少々お昼に時間をかけ過ぎたのか、授業が始まる時間が近づいていることに気付いた。

早く着替えないと間に合わないかもしれない。そう思い手早く制服を脱ごうとすると、あるものに気付いた。

「あれ? なんだろうこれ」

自分の腹部の右側に、小さな線のようなものを見つけた。

目を凝らさないといけないくらい薄く小さいもので、とても昔についた傷であることは想像出来た。

お腹の肉をつまんでみて見やすいように試行錯誤をこらすと、それは手術痕であるようにも見える。

今まで怪我はしたことはあったとは思うが、手術をするような大きなものは一つもなかったはずだ。

どうにも奇妙で不気味であるはず傷跡は、触れるとほのかな温かさを持っているような気もする。

「あとで姉さんあたりに聞いてみようかな」

今はそんなことより、これからの体育をいかにやり過ごすか、それが大切である。

まだ着替えているクラスメイトたちを眺めながら、私は教室を出ていった


始まってしまった体育の授業は、やはり楽しく感じられるものではなかった。準備運動もそこそこに、列を組んでのランニング、必要性を感じない筋トレや苦痛を感じるだけの柔軟、体幹トレーニングといつもより豪華なメニューだ。

今日は短距離走の測定がメインであり、ウォーミングアップなんてそこまでしっかりやる必要はないのではないか。そう何度も感じる。

4、5人を同時に走らせて行う測定が始まり、やっと私はまともに休める時間を手に入れた。

木陰の多い林の近くに膝を抱えて座り込むと、大きくため息をつく。

自分が走るまでにまだ時間はあるため、この体勢をキープしていよう。そう考えながら、スタートラインに目をやると椿が立っていた。

屈伸なりなんなりを伸ばすのを見ていると、視線に気がついたらしい。

「柊! わたし頑張るよ!」

大声でそう言い、私に向かって体全体を使い手を振る。

ほかの選手は椿の行動に気がついたのか、私のほうを見ている人もいた。

……どうにもこっぱずかしい。私は目立つのが苦手である。

控えめに手を振ると、「頑張って」と囁いた。


苦行のような体育が終わると、疲労感で意識が薄れていたのか、気がついたら6時間目の授業が終わっていた。

「帰ったら課題やるからね」

「あー……忘れてたのに」

そんな会話を交わしながら通学路を歩いていると、椿はなにかを思い出したように、私に尋ねた。

「提出するものとかあったっけ?」

「確か来週辺りに進路調査票を出すはず」

「そういえばそうだったかも、進路かー」

中学3年生である私たちは、そろそろ将来についても考えなければならない時期になってきていた。特にこの進路調査票は顕著で、皆悩みの種になっているところだと思う。

しかし、中高一貫校である私たちはほとんど決まっているようなものだ。高等部への学内進学、受験もないしだいたいの人が同じ進路を選んでいる。椿だってそれは同じことだろう。

「私はほかの高校に行こうかな」

この一言は私の考えを打ち破るには充分だった。

「うちの高校嫌いだったっけ?」

「いや、そんなことはないよ。でも、高校では今以上に色々なものを見ていきたいなって思ってるだけ。

まだ確定はしてないんだけど、△△高校に行こうと思ってるんだ。そこって、国際交流に力を入れてて、留学生も暮らしてる寮もあるの。

そこでちょっとスケールの大きい話かもしれないけど、もっと広く世界を見てみたいなーって」

「姉さんそんなこと考えてたんだ……ちょっと意外かも」

「意外って。わたしがなにも考えてないって思ってたでしょ」

「……ちょっとだけ」

笑みを浮かべそう返す。考えていた予定とは変わったが、椿が違う高校に行くなら、私の進路も変えないといけない。

「そしたら私もそこに行こうかな」

今まで椿と一緒だった。それでいいと思うし、これからもそうであるほうが嬉しい。私は椿と一緒にいるべきなのである。しかし、彼女の返答は想像していたものとは違った。

「それはちょっと嫌かも」

「……私と一緒じゃ嫌?」

「柊と一緒なのがダメなんじゃなくて……」

椿の表情が険しくなる。

「椿と一緒にいるのは楽しいし、わたしに足りないことを柊がやってくれるから、ちょっと過ごしやすくはある」

頷くこともないただ聞いていた。それは私も思っていたことではあった。

「でもね、そのままじゃダメだと思うんだ。もう高校生になるんだから、お互い自分でやるようにしないといけないんじゃないかなって」

「それはそうだけど……まだ早いよ。姉さんはいいかもしれないけど私は……」

椿がいない生活がどんな風になるか、想像ができなかった。

一緒にいるのが当たり前で、お互いを満たしながらの生活。それがなくなってしまうことに、私は耐えられる自信がない

「大丈夫だって、皆と一緒に話すこととか柊にだって出来るよ」

「…………」

「ちょっと怖いかもしれないけど、慣れたらなんとかなるもんだって。話題とかなんにも持ってないし、柊のほうが成績だって良いんだし、それに……」

「私には出来ないよ!」

自分で驚くくらい大きな声で、私は叫んだ。

「私は姉さんみたいにクラスの人でも明るく話したり出来ないから!

自分が出来るからって、簡単に出来ると思わないでよ!」

悲鳴にも似た訴えは続く、椿は何も悪くない。ただ私が臆病なだけ、それは分かっているに。

「でも、ずっと一緒って訳にもいかないでしょ。遅かれ早かれこうなるんだよ。それがちょっと早まるだけだから……」

「……もういいよ!」

そう最後に言うと、私は走り出した。後ろから椿の声が聞こえてくる。それでも私は振り返ることもなく、寮への道を駆け出して行った。


誰もいない部屋で、私はベッドの毛布にくるまっていた。

自分でも自己中心的で我儘な言動をしてしまった自覚はある。こんなことをやっても意味はないことは、私自身分かっていることである。

椿の言う通り今のままではいけないことも分かっている。彼女はなにも間違ったことは言っていない。

それでも変わろうとしないし、変わることに耐えられないと思う私は、臆病なだけなのだ。

「柊、ただいま」

心なしかトーンの落ちた椿の声が、部屋に響く。

「もう着いてるとは思うんだけどなぁ……」

その言葉とともに、彼女が歩き回る音が聞こえる。きっと私はすぐに見つかってしまうだろう。不自然に膨らんだ毛布を見れば、誰だって分かるはずだ。

椿の足音が私の近くで止まる。

「ごめんね、今までこのこと言わなくって。まだわたしのなかでも決心がついてないところがあったりして、なかなか言えなかったんだ」

「…………」

「柊、ちょっとわたしの話を聞いて」

いつになく落ち着いた声で、椿が話しかける。

「柊がわたしよりダメだって思ったことないよ。むしろ柊みたいになれたらって思うことだってある。

あんまり落ち着きもないし、勉強だって教えてもらってるし、家事だって全部任せてる。私だって柊に頼ってる」

「……私なんかより姉さんのほうがすごいんだもん」

か細く消えるような声を出し、彼女に言い返した。

「私はずっと変わろうとする努力もしてこなかったのに、姉さんは違う。自分で考えて答出して、そんな姉さんと私じゃ……」

ただの言い訳にしかならないと分かっていても、私は続ける。自分を守るために彼女を傷つけてる自覚だってある。

「……それにね、わたしたち一人でも大丈夫だって思うんだ。柊、ちょっと見て」

シーツの隙間から声のしていたほうを顔を出すと、椿は着ていた制服をへそのあたりまでたくし上げていた。

何をやっているのだろうと見つめると、彼女の体には見覚えのあるものがあった。

それは私の体にあるものに似ている傷痕である。

「柊のお腹にも同じものがあるんだって。昔これに気付いてからお母さんに聞いてみたんだ。『これってなに?』って。そしたら『椿と柊がくっついてたのを切った痕』なんだって言ってた」

「……くっついてた?」

「お腹の一部がくっついて生まれてたんだって。なんだっけ、わたしたちがなんとか結合双生児だった名残らしいんだよね」

赤子がくっついて生まれてくる。そんなことは聞いたこともなかったが、そうでもなければあの傷痕の理由がつかないようにも感じた。

「わたしも柊も体の一部分を共有して生まれてきて、真逆に近い性格の双子になってる。だからお互いの持ってるものをちょっとずつ持ってる……と思う」

そう言ってから数分、椿は反応を待っているのか、なんとも言えない間が続く。

「とにかくさ、わたしは柊みたいに料理が出来るようになるかもしれないし、柊はわたしみたいに明るくなれるかもしれない。……そういうことかな

なんだか難しい話してたら、お腹すいたかも。晩御飯は肉じゃがの気分」

「……そこは自分で作らないと、自立なんて見込めないと思うんだけど」

「それもそうだね……材料なにあるかな」

「冗談だよ」

そう言うと包まっていたシーツを脱いだ。

「私ちょっと意地になってたのかな」

今までずっと一緒でいたから上手くいっていた。そう思い過ぎていたのかもしれない。

「高校で自立出来ることを目標にして、お互い考えて話し合っていくこと!」

椿からの提案を頷くことで、了解の合図とした。

「とりあえず今やるべきことは……」

「『ご飯を食べながら話し合う』……とか?」

「それでいこう! 今日は手伝うからね、柊」

2人して冷蔵庫に歩み寄る。

「これから私たちはどう変わっていくのだろう」そんなことを考えまがら、私は冷蔵庫のドアを開けた。


「このへんかなぁ」

「もっと右のほうじゃない」

私たちはベッドの上で寝間着を腹部が見えるくらいまでたくし上げ、お互いの傷跡の重ね合わせようとしていた。

こんなことをやり始めたのは、椿の提案がきっかけである。

晩御飯を食べているとき、「生まれたときはどんな体勢だったか」ということが話題となった。色々と話し合ってみても結論は出ず、結局実際にやってみることになった。

「けっこうくすぐったいね」

椿は微笑む。確かに肌を擦り合わせているためか、むず痒さを感じる。

「このあたりがちょうどいいと思う」

数分ああでもこうでもないと騒ぎながらも、どうにか安定した位置に落ち着いた。

「なんだか安心するかも」

「……私も」

椿の体温が直に伝わってくる。欠けてしまったものが元に戻ったような、そんな感情が湧いてきた。

「私たちこんな感じでくっついて生まれてきたんだよね」

「細かい位置とかは分からないけど、たぶんそうだと思う」

「こうしてたら姉さんと離れることなんて、怖くないように思えてきたかも」

「……なんで?」

「それは秘密にしておこうかなぁ」

「えー、教えてよ柊」

こんなにも強い繋がりを持って生まれてきた私たちが、遠い場所に住むからといって、心まで離れることなんてないから。

そんなことを言うのはありきたりだと思うし、ちょっと恥ずかしいかもしれない


進学して数日たったある日、スマートフォンの通知が鳴った。内容を確認すると、椿はどうやら昨日寮の人たちと仮装パーティを行ったらしい。

メールに添付された画像には、笑顔を浮かべチリのポンチョというらしい、民族衣装を着た椿が写っている。

もうあっちの環境には慣れたようだ。なんとも彼女らしいとも思う。

「柊ちゃん、そろそろ部活始まるよ」

「あ、ゴメン。メール見てて」

「彼氏? 作るの早くない?」

「そんなんじゃないよ。椿っていう双子の姉からだったんだけど」

私もどうにか話せる友達くらいは出来て、部活に所属するようにもなった。

まだまだ完全ではないかもしれないけど、お互い姉妹離れは出来てきたのかもしれない。

名残惜しむように服の上からお腹の傷痕がある位置に手をかざし、そう思った

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