第16章9話 魔王と勇者

 白く輝く眩い光線――ホーリースパークの直撃に吹き飛ばされた魔王は、すでに体が宙を舞っておらず、地面に横たわっていることに気がつく。感覚を失い、痛みも感じぬ魔王は、辺りをゆっくりと見渡した。

 黒く煤けたレンガは崩れ落ち、木製のテーブルや椅子、カウンターは炭と化している。大きな窓はガラスが砕け散り、焼け残った赤色のオーニングは、無人の廃墟に寂しく垂れている。未だ燃え上がる石は隕石の欠片か。


 動くこともできず、潰れた建物の中、晴れた空を眺める魔王。程なくして、空からヤクモがやってくる。ヤクモが勢い良く着地したために、数個のレンガが崩れ落ちた。


「よりによって、ここに落ちるなんてね」


 横たわる魔王に歩み寄り、そんなことを口にしたヤクモ。潰れた建物を前にして、彼女の表情はどこか懐かしさに覆われていた。魔王には、なぜヤクモがそんなことを口にしたのか、なぜそんな表情をするのか、分からない。


「ここが……どうしたというのだ……?」

「憶えてないの?」


 魔力残量が底をつき、体を動かすこともできなくなった魔王の、力を振り絞っての問い。ヤクモは驚き、呆れると、腰に手を当て、魔王の問いに答えた。


「1年前、ちょうど今ぐらいの季節。あんたとケーレスで再会して、タダ飯目当てに入った店がここ。シンシアちゃんと出会った店、って言った方が分かりやすいかもね」


 ヴァダルの罠にはまり、クーデターを起こされ、ケーレスに追放された魔王。ラミネイでの破滅的な戦いの結果、共和国に追われる身となり、ケーレスに逃げ込んだヤクモ。その2人が偶然再会し、そして父を亡くしたシンシアと出会ったレストラン。


「そうか……あの店か……」


 2人で食事をし、会話を交わしたあの日を思い出す魔王。あの時は、ウォレス・ファミリーとメイテュン・ファミリーの殺し合いが繰り広げられ、賑やかな店であった。

 今では、寂しい光景しか残っていない。どこからも人の声は聞こえず、料理の美味そうな匂いも漂ってはいない。

 

 建物内部をあらためて見渡した魔王は、小さく笑う。小さく笑って、当時のことを思い出し、呟いた。


「我と貴様……魔王と勇者が手を結び……われが魔王の座に返り咲こうと決心した場所か」

「一応、思い出の場所なんだから、憶えてると思ってたけど」

「これほどまでに焼け焦げてしまえば……気づかぬ」

「店を焼いたの、あんただけどね」


 上機嫌なのか不機嫌なのか分からぬ表情をするヤクモ。彼女の言葉を聞いて、魔王は自分がどれだけケーレスに思い入れがなかったのか、ヤクモはどれだけケーレスに思い入れがあったのかを知る。


 廃墟の中、魔王とヤクモはしばしの沈黙に包まれた。先ほどまでの熾烈な戦いが嘘のように。

 魔力はない。武器もない。体も動かない。呼吸をし喋ることが精一杯。目の前には宝剣を携えた勇者。魔王は負けを認め、ヤクモに尋ねた。


「我を……殺すのか?」


 5000年間の歴史で幾度も繰り返されてきた魔王と勇者の戦い。その終幕がどのようなものなのか、魔王は知っている。魔王は、ヤクモの口から分かりきった答えが飛び出すのを待った。ところが、ヤクモは首を横に振る。


「ううん、封印するだけ。もしあんたを殺せば、魔王の血筋は途絶えちゃうから」

「解せぬな。貴様ら人間にとって……魔王が滅ぶのは喜ぶべきことであろう」

「そうなんだろうね。ヤカモトは魔王を殺せって命令してたし」


 殺されずに済む、などという喜びは魔王にない。魔王は今、ヤクモの答えが理解できないでいる。人間にとって正しいのは、ヤカモトの命令だ。

 理解ができない、という思いが顔に出たのだろう。魔王の顔を見て、ヤクモは頬を緩める。そして、なぜ魔王の殺害ではなく封印を選んだのか、その理由を口にした。


「でも、あんたが死んで魔王の血筋が途絶えれば、魔界は困るでしょ」


 胸を張り、力強い口調で言い放ったヤクモ。この瞬間、魔王は理解した。ヤクモはこの世界の人間ではなく、この世界の勇者・・なのだ。


「そういうことか。貴様……魔界も魔族も守るつもりなのだな」

「うん」


 勇者の力を使って、何もかもを守る。ディスティールを守るため、無人のケーレスを戦場に選んだヤクモが、魔族や魔界そのものを守ろうとしても、なんら不自然ではない。むしろ、その方が勇者らしい。

 

 これだから勇者は甘い、と魔王は思う。何もかもを守ろうという決意は、勇者に強さを与えるが、何もかもを守るなど不可能。仮にそれができたとしても、長くは続かない。


「我を封印したところで……貴様が死に貴様の魔力が自然に帰れば……封印は解かれるのだぞ」

「知ってる。だけど封印が解かれれば、新しい勇者が召喚される。あとはそいつに任せればいいじゃん」


 随分とテキトーで、他人任せな答えが返ってきた。ヤクモの顔を見る限り、彼女は本気のようだ。とても勇者とは思えぬ無責任さであるが、その方がヤクモらしい。


「貴様はやはり、大馬鹿者であるな」


 嘲笑と賞賛を織り交ぜた魔王の言葉。ヤクモは口を尖がらせ、魔王の言葉に不満を示すが、否定まではせず、自分の質問を魔王にぶつけた。


「封印する前に、ひとつ質問」


 いつもの無愛想な表情をしたまま、魔王のすぐ側まで寄ってくるヤクモ。魔王は聞き返す。


「なんだ?」

「どうして私を味方にしたの? さっさと殺せば、こうはならなかったのに」


 1年前、この店からはじまった半年間の共闘は何であったのか。ヤクモはどうしても、魔王に確認しておきたかったのである。これに魔王は、一拍置いて、空を眺めながら答えた。


「あの時の貴様は……我にとって都合の良い存在であった。ならば……利用するほか手はあるまい」

「ふ~ん。だけど、私が魔力を取り戻す手助けにもなっちゃった。それが今、あんたをこうして見下ろす結果になった。後悔はしてないの?」

「逆賊ヴァダルを殺し、再び魔界の玉座に座れたのだ。我と対等な存在である貴様と再び、戦えたのだ。後悔などしていない」


 自分の行いに絶対の自信を持つ魔王。今のこの状況は、己の無力さが招いたこと。ヤクモとの共闘を否定するものではない。


「そっか。ま、実は私も、あんたに味方したこと後悔してないんだ。ラミーやシンシアちゃん、ダートさん、ルファールさん、パンプキン、マットさんにベンさん、ケーレスのみんな、あんたの味方にならなきゃ出会えなかったし」


 ヤクモは、魔王との共闘を後悔するどころか、楽しい思い出のように語っている。そして彼女は、いたずらな笑みを魔王に向け、言った。


「しかも、魔王も倒せたし」


 この言葉に、魔王はつい大笑いしてしまう。つられてヤクモも笑い出し、廃墟に魔王と勇者の笑い声が響き渡る。


「ヤクモよ……貴様を見ていて……ひとつだけ気づいたことがある」

「なに?」


 笑いながらも、ヤクモに語りかける魔王。ヤクモは笑顔のまま、魔王の言葉に耳を傾けた。


「我は長らく……『良い奴は早く死ぬ』と信じていた。それは間違っていないのだろう。だがそれ以上に……『悪い奴は死ねない』のだ」


 強迫観念の先、魔王がたどり着いた真理。だがヤクモは、首を傾げるだけ。


「何それ? なんで、私を見て、それに気づいたわけ?」

「貴様のしぶとさが何か……考えた結果だ」

「あっそ」


 興味なさげなヤクモの反応はいつものこと。大笑いが苦笑いになってしまった魔王は、ヤクモが宝剣の柄を握りしめたのを見て、いよいよ覚悟を決めた。


「じゃあそろそろ、話も終わり」


 鞘から宝剣を抜き、剣先を魔王に向けたヤクモ。ヤクモが宝剣に魔力を込めると、宝剣は白く淡く輝き、無数のオーブが辺りを漂う。

 封印の時は近い。これから魔王は、長い眠りにつく。おそらくヤクモと顔を合わせるのも、これが最後となるであろう。ならばと、魔王はヤクモに忠告した。


「ヤクモ、忘れるな。悪い奴は死ねない」

「それ、自分に言ってるの? 私に言ってるの?」

「好きに受け取れ」


 地面に横たわる魔王はニタリと笑い、ヤクモも白い歯をのぞかせる。そしてヤクモは、宝剣を魔王の胸に当て、別れの挨拶を口にした。


「バイバイ、魔王ルドラ」

「96代勇者ヤクモ、さらばだ」


 魔王は絶望などしていない。いつかは封印が解かれ、再び目を醒ます時が来るであろう。その時、魔界と人間界は次の戦争に足を踏み入れるのだ。魔王は、97代勇者との戦いに身を投じるだけなのだ。


 互いに別れの挨拶を済ませた魔王とヤクモ。次の瞬間、ヤクモの握った宝剣は魔王の胸を貫き、魔王の視界は暗闇に支配され、魔王は長い眠りについた。

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