第15章6話 人間界侵攻

 魔界軍最前線へと向かう魔王は、途中までは空を飛び移動したものの、南部地峡から先の移動には、陸路を使っている。そのため最前線への到着までに8日を要し、この間にも魔界軍は共和国軍に勝利を重ね、最前線は徐々に北上していった。

 共和国南部派閥に所属していた2つの国が、魔界軍に占領されている。ミュールンやルーアイも、魔界軍の占領下だ。魔界軍の最前線は、トラフーラ王国の北部にある、トラフーラ王都にまで達している。


 魔王たちが今いるのは、トラフーラ王国中部のとある街だ。魔界軍の攻撃を受け、火を放たれ、日常を全て燃やされた街からは、曇天に覆われた空に煙が立ち上っている。それなりの規模を有していたであろう街も、もはや廃墟と化していた。

 街への攻撃を指示したのはダートである。ダートは魔王とラミーを迎え、2人を街に案内した。


 焼け焦げた街を歩く魔王とラミー、ダート。3人とも、街の惨状に興味を持つことはない。人間に同情する魔族など、どこにもいない。ラミーは街を見渡し、魔王に話しかける。


「ついについに、トラフーラ王国中部の街も、魔界軍の占領地ですね。魔界軍の本隊も、現在トラフーラ王国王都に侵攻中です。西方大陸南部の完全制圧も近いですよ」

「このまま共和国軍を瓦解させれば、我らの勝利だ」


 人間界侵攻を開始して1ヶ月。凄まじい勢いで前線を押し上げる魔界軍が、トラフーラ王国王都を攻め落とせば、共和国南部派閥は終わりだ。南部派閥が白旗を上げれば、共和国軍は瓦解し、共和国そのものも危機に陥るだろう。

 ただし、全てが自分の思惑通りになる、などと魔王は思っていない。西方大陸に押し入れば押し入るほど、人間たちは必死になるはず。これからは、魔界軍の快進撃も長くは続かないのだ。


 何より、魔界軍に反抗し、魔界軍と戦うことを決意した人間たちは、最後まで抗い続ける。街を歩く魔王たちの視界に入った、魔界軍兵士に囲まれる街の住人たちがその証拠だ。


「俺たちは屈しないぞ!」

「私たちの街から出て行け!」


 武器も持たず、魔界軍に囲まれ、風前の灯である街の住人たち。しかし彼らは、闘志を燃やし魔族の支配を受け入れまいと反抗している。性別や年齢、職業など関係ない。こうした者たちを黙らせる方法は、ひとつしかなかった。


「構え! 放て!」


 街の住人を囲んだ魔界軍兵士の命令。魔界軍兵士たちは躊躇なく、手に持った槍や弓を使い、街の住人たちを殺した。先ほどまで勇しく怒鳴り散らしていた住人たちは、全身から血を流し、息をする者はいない。


 邪魔な人間の片付け・・・を横目に、歩き続ける魔王たち。ダートはぼうっとしながらも、魔界軍の現状を魔王に伝えた。


「魔王様の、命令、通り、街、焼き払った。敵対する、人間、皆殺し」


 魔界への敵対を宣言した人間は、誰であろうと殺せ。街や畑は燃やせ。これが魔王の命令だ。魔界軍は魔王の命令にただ従っているだけ。それに魔王は満足した。


「うむ、容赦はするな。我らに1度でも敵対した人間は、必ず殺せ。我らに敵対することがどういうことなのか、人間共に教えてやれ」


 敵の戦意をくじき降伏させ、戦わずして勝つ。それを成し遂げるには、恐怖ほど便利なものはないのである。


 灰燼に帰した街には、未だ数多くの人間たちが残っていた。魔界との敵対を選んだ、哀れな人間たちだ。


「街が……私たちの家が……」

「パパもママもいなくなっちゃった……」

「クソッ! 絶対に許さねえ!」

「魔族の奴ら! 魔王! 血も涙もない人殺しめ!」


 家を失った者、家族を失った子供――魔界と敵対すれば不幸が訪れる。怒りに駆られた者、憎しみを抱く者――さらに魔界に反抗するようなら、命を落とす。


「黙れ黙れ! 全ては自業自得だ!」


 街に残った人間に対し、魔界軍は次々と武器を振り下ろす。街の至る所で、魔界軍が人間たちを殺害し、街は死体に埋もれていく。


「女だろうが子供だろうが……関係ないのか……!」

「恐ろしい……」


 1度は魔界との敵対を選んだ人間の心にも、恐怖は宿っている。人が殺されるたび、1人、また1人と、人間たちは魔界への反抗心を捨てていった。


 阿鼻叫喚する街に、一切の感情を見せない魔王。彼の前に、1人の魔界軍兵が跪き、報告する。


「魔王様、隣町の長が、魔王様への面会を望んでいます!」

「連れてこい」


 面会の許可が与えられると、兵士は老人の男を魔王の前に突き出した。老人は声を震わせ、魔王の顔を見上げる。


「あ、あなた様が、魔王様……」

「いかにも。我こそが魔王、魔王ルドラである」


 マントをひるがえした魔王。すると老人は、慌ててひれ伏し、恐怖心からか黙り切ってしまった。


「私は側近主席の、ラミー・ストラーテです。今日はどうして、魔王様に面会を?」


 魔王とは対照的に、おっとりとした口調でラミーは老人に話しかける。これに老人は安心したのだろう。老人が顔を上げることはなったが、ようやく口を開く。


「実は……その……」


 一瞬の戸惑い。だが老人は意を決し、とても老人とは思えぬ大声で、宣言した。


「我らは魔王様に降伏いたします! だからどうか、町の人々の命は奪わないでいただきたい!」


 街の惨状を目の当たりにし、戦意を失い、己が命を守るために魔界に降伏する。まさしく魔王の狙い通りだ。


「よくぞ申した。お主の降伏、受け入れよう」

「ありがとうございます……!」


 屈辱に甘んじ、頭を地面に擦り付ける老人。魔王は彼を見て思う。義憤に駆られ人間界を守ろうと戦うような、良い奴は死んでしまうのだと。


「お主らはこれから、魔界軍のために働くのだ。武器は捨てよ。食料は全て魔界軍に渡すのだ。お主らが生きるのに必要な分の食料は、配給してやる」

「寛大な処置……ありがたき幸せ……」


 降伏した人間までも殺すようなことは、魔王はしない。むしろ、降伏した人間は利用しなければ損である。卑屈な態度に徹する老人に、魔王は命令・・した。


「それから、他の町に知らせよ。我に降伏すれば、命だけは救ってやる。我に敵対すれば、赤子から病に伏せる老人まで、根こそぎ殺してやる、とな」


 魔王は人間たちに2つの選択肢を提示しているのだ。魔界と敵対し皆殺しにされるか、魔界に降伏し魔族の奴隷として生きるか、という2つの選択肢を。だからこそ、魔王は魔界と敵対する道を選んだ人間を惨たらしく殺し、降伏を選ぶよう促しているのだ。


「死にたくなければ……降伏するしかないのか……」

「なんて恐ろしい方だ。魔王様がいれば、人間も敵じゃないな」


 冷酷に、躊躇せず命の選択をする魔王。人間だけでなく魔族までもが、そんな魔王を恐れている。街を歩く魔王に近づこうとする者は、任務遂行の報告と命乞いをする者だけであった。

 誰からも畏怖され、誰からも距離を置かれる魔王を見て、ダートは思わず呟いてしまう。


「みんな、魔王様、怖がってる」

「正しい姿だ。恐怖こそが、我らに勝利を呼び込む」


 恐れられてこその魔王。魔王を恐れてこその魔族。そうして魔界は、5000年のもの間、秩序を保ってきた。


「だけど、それだと、魔王様、孤独。魔王様、寂しく、ない?」


 ダートのこの言葉に、魔王は首を傾げる。寂しい、という単語がなぜダートの口から飛び出したのか、魔王には分からなかったのだ。


「我は魔王ぞ。『魔王たるべき者、生まれた時から、死する時まで魔王でなくてはならない』のだ。魔王は恐怖の対象であって然るべき。それが我の宿命だ。寂しさなど微塵も感じぬ」


 この世に生まれた時から、魔王は魔王なのである。恐れられ、孤独であることが、魔王にとっての普通なのである。

 ダートはもう、魔王に何も言わない。魔王の本心ぐらい、ダートは理解している。それはラミーも同じこと。


「魔王様も私も、孤独には慣れていますしね」


 同胞の少ないヴァンパイア族であり、幼き頃に両親を亡くし、物心ついた頃には側近として魔王に仕えたラミーは、魔王と同じく孤独であった。


「それでもそれでも、私は孤独じゃありません。私には魔王様がいます。つまりつまり、魔王様には私がいます。何があっても、私は魔王様に側にいますよ。側近主席ですから」


 側近として、1人の魔族として、魔王に甘え、魔王に仕え、魔界でただ1人、魔王を恐れないラミー。おっとりとした笑みを向ける彼女に、魔王は小さく笑うだけ。

 不可思議な関係の魔王とラミーの間には、和やかな雰囲気が頼っていた。しかしそれも、ほんの一瞬のことである。


「ああ……一大事です! 本当に残念で、芸術的なことが起きました。起きてしまいました!」


 突如として現れた、深刻さと歓喜の表情が入り乱れるメイの言葉。魔王は嫌な予感を抱き、早速聞き返した。


「メイか。何があったというのだ?」

「先ほど届いたばかりの情報です。トラフーラ王都侵攻中の魔界軍部隊、敗北いたしました」


 魔界軍の連勝が、魔界軍の猛攻が、止まったのである。トラフーラ王都を前にして、魔界軍はついに立ち止まったのである。

 一体どうして、魔界軍は敗北したのか。魔王はとある人物の顔を頭に思い浮かべ、メイの口からは、その人物の名が飛び出した。


「どうやら、勇者ヤクモが戦いに参加したようです」


 ラミーとはまた違った、魔王を恐れぬ数少ない女性。唯一、魔王と対等な存在。ヤクモの名を聞いたその瞬間から、魔王の表情は感情を取り戻し、愉悦に彩られていく。

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