第16章 決戦

第16章1話 4ヶ月

 勇者ヤクモの登場により、トラフーラ王都を目前に敗北した魔界軍。これ以降、魔界軍は勇者の強大すぎる力に歯が立たず、勇者に鼓舞された共和国軍の反撃にも耐え切れず、占領地を次々と手放すことになった。

 あれから4ヶ月。魔王城で玉座に腰掛ける魔王の前には、ダートとメイが跪いている。魔王の隣には、いつもの通りラミーが資料を抱えて立っていた。魔王は部下たちに、淡々とした口調で質問する。


「戦況はどうなっている?」


 この質問に対し、最初に口を開いたのはラミーだ。彼女は魔王の横顔を眺めながら、笑顔に苦々しさを混ぜ込んだような表情をして、報告をはじめた。


「魔界軍と共和国軍は一進一退、勝ったり負けたりを繰り返しています。だけどだけど、ヤクモさんがいる戦場では、魔界軍が勝ったことはありません」

「ヤクモさん、強い。魔界軍、旗色、悪い」


 ラミーに続き、ダートも短く前線の状況を魔王に伝える。魔界軍が苦戦中という、決して喜ばしくはない報告であるが、2人は正直に答えているのだ。


「前線は徐々に押し返され、トラフーラ王都での敗北から4ヶ月で、東方大陸南部のほとんどが、共和国軍に占領されてしまいました。少しも少しも、油断はできません」


 西方大陸での敗北だけに留まらず、南部地峡までも失い、共和国軍の東方大陸到達を許してしまった魔界軍。たった1人の勇者とその仲間たちによって、戦争の行方は流動的なものになっている。

 だが、悲観的になる必要もない。ラミーは笑顔から苦々しさを取り払い、人差し指を立てて、明るい声色で言った。


「でもでも、共和国軍の行軍速度は明らかに落ちています。さすがの人間たちも、慣れない魔界の土地には困惑しているようですね。補給の問題もあって、しばらくは楽になるかもしれません」


 魔族が西方大陸――人間界に足を踏み入れるのは、厳しい環境からの脱出を意味する。しかし、人間が東方大陸――魔界に足を踏み入れるということは、厳しい環境に飛び込むということだ。魔界の土地を行軍するだけでも、人間には精一杯なのである。

 魔界に深入りすればするほど、いくら勇者がいようと、戦いの優位性は魔界軍に傾くのだ。ダートはゆっくりと、報告の続きを口にした。


「各地の、魔界軍、頑張ってる。小さい、勝利、重ねてる。反撃、するなら、今」


 分散した魔界軍は、各地で共和国軍を破っている。これはまさしく、魔界軍が優位性を取り戻しはじめた証拠。今こそ反撃の狼煙を上げるべきだと、魔界軍を率いる将軍ダートは判断したのだ。

 ラミーとダートの報告を聞いて、魔王も現状を把握した。魔王はすでに、ダートと同じ結論に至っている。


「なるほど、分かった。魔界軍にとって、魔界を戦地とするは地の利を得たということ。ダートの言う通り、ここで反撃に打って出れば、共和国軍を押し返せよう」


 もしここで手をこまねいていれば、東方大陸南部は完全に、人間界の占領地と化してしまう。共和国軍の補給網が完成していない今こそが、共和国軍を叩き潰す最後のチャンスなのだ。

 人間たちに、これ以上の好き勝手をさせるわけにはいかない。人間たちに、これ以上、魔界の土地を我が物顔で踏ませるわけにはいかない。魔界の王として、それだけは許せない。

 

 魔王の言葉を聞いて、ダートは魔王の顔をじっと見る。そしてゆっくりと、岩の口を動かし、魔王への確認を行う。


「反撃、する?」

「すぐにでも作戦を練るのだ」


 ダートへの命令は、魔界軍全体への命令に等しい。『望みの物を得るのに躊躇は不要。遅れをとることが何よりもの不幸』。勝利を得るためには、魔王は一切の躊躇をしない。

 ただし、魔王の命令を聞いたラミーは、魔王の前に出た。彼女には、どうしても魔王に言いたいことがあったのだ。


「魔王様魔王様、反撃するにしても、ヤクモさんはどうします? ヤクモさんがいる限り、きっとどんなに頑張っても、魔界軍は勝てないかもしれませんよ?」


 相手が共和国軍のみであれば、心配はない。ところが、戦場にヤクモがいた時点で、100万の兵を差し向けようと、魔界軍に勝ち目はないのである。そもそも、ヤクモがいたからこそ、魔界軍はここまで後退してしまった。

 率直なラミーの忠告を聞いて、魔王は余裕の表情。当然、魔王もヤクモへの対策は考えている。


「心配は不要。今の共和国軍はヤクモに頼りきっている。つまり、我らが同時攻撃を仕掛ければ、必ずどちらかの戦いには勝てる」


 はっきりと言い切った魔王。ラミーは魔王の真意が読み取れず、首を傾げた。


「同時攻撃?」

「そうだ。同時攻撃だ」


 それだけ言って、魔王はメイに視線を向ける。メイは頭を下げ、魔王の言葉を待った。魔王は間髪入れずに、メイに言う。


「メイ、お主に命令する」


 この言葉を聞いて、メイはさぞ嬉しそうに頬を上げながら、しかし頭を上げることはしない。


「どのようなご命令でも、喜んで」

「ではグレイプニルよ、魔界軍の反撃に合わせ、コヨトに潜入しヤカモトを暗殺せよ。暗殺が無理と分かれば、コヨトの宮殿を破壊せよ。ただし、共和国には事前に、暗殺の情報を漏らしておけ」


 まさしく、魔王直属の特殊作戦遂行部隊グレイプニルにしか果たせぬ任務だ。非常に難しく危険な任務に、メイはやはり笑みを浮かべている。

 魔王の前で話を聞いていたラミーも、ようやく魔王の真意を理解し、魔王に憧れの視線を向けていた。


「ああ! その手がありましたね! さすがですさすがです! 共和国の事実上の支配者を失うか、東方大陸南部で大敗するか、どちらかを人間に選ばせるんですね。人間がどちらを選んでも、魔界軍にとっては嬉しいことばかりです!」


 いくら勇者であるヤクモでも、同時期に2つの場所に存在することはできない。グレイプニルがヤカモトの暗殺に向かうことで、ヤクモを前線から遠ざけよう、というのが魔王の狙いなのである。

 

 魔界軍を追い詰めているのは、共和国軍ではなく、勇者ヤクモだ。つまりヤクモがいない戦場ならば、魔界軍は勝てる。東方大陸からヤクモを遠ざければ、魔界軍の反撃は成功する。

 仮にヤクモが前線に留まったとすれば、魔界軍の反撃は失敗するだろう。だが、グレイプニルによってヤカモトは死ぬ。ヤカモトが死ねば、共和国は結束を失い、戦争どころではなくなるのだ。


 東方大陸南部での戦いに勝利、あるいはヤカモトの暗殺に成功することが前提の作戦。それでも、魔界軍が現状を打破するには最適な作戦。

 魔王の考え出したこの作戦を聞いて、ラミーは喜んでいた。一方で、メイを心配する心も生まれていた。


「ただ……ヤクモさんがヤカモトさんを守った場合、メイさんたちは……」

「ラミーさん、そのような顔をしないでください。私たちは魔王様のためなら、いくらでも命を投げ捨てます。むしろ、私は今、本当に喜ばしい気持ちでいっぱいです」

「メイさん……幸運を祈ります!」


 魔王の命令に、グレイプニルが感情を抱くことはない。魔王もラミーも、そんなグレイプニルを頼もしく思い、玉座の間を後にするメイを見送った。


「魔界軍は反撃の準備を。共和国軍を魔界から追い出せ」

「分かり、ました」


 メイに続き、命令に従い玉座の間を後にするダート。玉座の間に残ったのは、魔王とラミーだけだ。すると魔王は、おもむろにラミーに話しかける。


「ラミー、少し話がある」

「何でしょうか何でしょうか?」

「今後の魔界は、ここに書かれている通りに統治せよ」


 小首を傾げたラミーに、ポケットから取り出した冊子を手渡した魔王。ラミーは渡された冊子を読み、全てを頭に叩き込みながら、同時に表情を曇らせていった。


「魔王様魔王様、これ……」


 少し言いにくそうなラミー。それでもラミーは、ラミーだけは、魔王に遠慮などしない。


「これを見る限り、魔王様は象徴として魔界に君臨することになります。ただ、それ以外の役割が特にありません。もしかしてもしかして……」


 軍務はダートたちに、政務はラミーたちに任せきり。魔王は魔界の象徴とし偶像化され、魔族に恐怖と幸福を与えながら、魔族の結束を維持する存在に徹する、という統治体制。ラミーは魔王の顔を見つめ、寂しそうな表情をするが、魔王は気にせず言った。


「ドラゴン族に1人だけ、我のいとこがいたはずだ。我に何かあれば、そやつを魔王の後継者とする」


 子供のいない魔王が後継者の話をする。王として当然のことではあるのだが、ヤクモとの戦いについて話した直後のこの話題。ラミーにとっては、魔王を失う恐怖で心がいっぱいである。

 寂しそうな表情をするラミーに、魔王は小さく笑った。小さく笑って、ラミーへの信頼を口にした。


「任せたぞ、ラミー」

「……はい! 私にお任せをお任せを!」


 無理やりな笑みを浮かべ、明るく答えてみせたラミー。魔王は玉座の間の見慣れた光景を眺めながら、己と対等な者との戦いを待ち望んでいた。

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