第15章5話 ヤカモトの野望

 魔界軍約100万による人間界への侵攻が開始されて24日。魔王城の玉座の間にて、魔王は玉座に腰掛け、ラミー以外には誰もいない、毎日と同じ玉座の間の景色を眺め続けている。

 側近たちのほとんどは戦場、あるいは各魔族に派遣され、魔王城にいる魔王の側近はラミーだけだ。ラミーは大量の資料を抱え、戦地からの長い報告を魔王に聞かせながら、しかしおかげで魔王と共にいる時間が増えると喜んでいた。


「順調です順調です! グレイプニルは北部派閥を襲撃、人間界の戦意喪失におおきく貢献しました。これにより、ダートさん率いる第1軍と第2軍は、共和国軍を破り南部地峡を突破、西方大陸にまで到達しています」


 ただ報告をしているだけだというのに、眠気も忘れ、随分と楽しそうなラミー。彼女の報告は続く。


「ヴュールさん率いる第4軍とドレイク部隊も、共和国軍後方支援部隊を攻撃、共和国軍の戦力を削ることに成功しました。エルギアさん率いる第3軍が西方大陸に到達するのも、時間の問題でしょう」


 グレイプニルの特殊作戦、ダート率いる第1軍と第2軍の電撃戦は功を奏し、魔界軍は南部地峡に展開していた共和国軍を押し返し、西方大陸に到達したのだ。早くも魔界軍は、ヴァダルの敗戦の影響を打ち消し、さらなる戦果を積み上げることに成功したのである。

 報告を聞いて、今のところは計画通りに事が運んでいると、魔王は不敵に笑う。西方大陸への到達により、第1次作戦はほぼ完了したのだ。


「トラフーラ王国への総攻撃も間近、ということか。南部派閥さえ崩せば、共和国軍は崩壊をはじめるだろうな」


 共和国会議の事実上の支配者がヤカモトになった今でも、共和国軍の主力部隊は南部派閥出身者で埋められている。このまま南部派閥を破れば、共和国軍は瓦解の道を歩むしかない。

 だが、そう簡単に戦争に勝てるはずもない。魔王はそう思っている。ラミーも思いは同じようで、魔王に対し、自分の考えを素直に告げた。


「だけどだけど、心配事もあります」

「なんだ?」

「もしもヤクモさんが――」


 ラミーの口から飛び出した、過去の魔王の部下・・の名前。ヤクモの名を挙げ、ラミーが何を言おうとしたのかは、魔王には分からない。ラミーの言葉は、玉座の間にやってきた衛兵の報告によって、遮られてしまったのだ。


「魔王様! グレイプニルが帰還しました!」


 北部派閥にて破壊工作任務を行っていたグレイプニル。カレオ王国やボマディカ王国に潜入した魔王の道具は、北部派閥に住まう人間たちに魔王への恐怖を植え付け、任務の完了を魔王に告げるため、ディスティールに帰ってきたのである。

 グレイプニルを待たせる必要はない。魔王はすぐさま、衛兵に指示した。


「通せ」


 魔王がそう指示すると、衛兵は玉座の間を後にする。そして、衛兵と入れ替わるかのように、グレイプニルのメイとモーティーが玉座の間にやってきた。


「任務完了の報告に参りました。やはり魔王様の作り出す戦場は、芸術的で美しい」

「ご苦労であった」


 跪き、任務完了を告げたメイの表情は、妙に心地良さそうである。北部派閥に潜入しての破壊工作、よほど快感だったのであろうか。

 帰還したグレイプニルに労いの言葉をかけた魔王。彼はモーティーに視線をやり、彼(彼女?)の右腕がなくなっていることに気がつく。魔王はすぐさま聞いた。


「モーティーよ、右腕はどうしたのだ?」

「それがね、凄く良い匂いのする敵がいたのよ。その敵の反撃で、ちょっとやられちゃったの。ま、大したことないわ」


 モーティーは右腕をなくしたことなど気にしていない。むしろ彼女(彼?)は、自分の右腕を奪った人物にまた会いたい――また匂いを嗅ぎたいとでも言わんばかりだ。一体誰に右腕を奪われたのかは、モーティーの言葉を聞けば、魔王にも想像がつく。


 つい可笑しげに笑ってしまった魔王。メイは、魔王とモーティーの会話が終わったと判断すると、誇らしげな表情で言った。


「魔王様、戦利品がございます。本当に上質で下品なものですよ」


 メイの言葉と共に、先ほどの衛兵が、今度は縄に縛られた1人の人間を連れて玉座の間に戻ってくる。戦利品の人間を見て、魔王とラミーは驚き、ラミーは思わず挨拶してしまった。


「ルッチャイさん! お久しぶりですお久しぶりです!」


 ボマディカ王国国王のルッチャイ。北部派閥との話し合いで何度か顔を合わせた彼は、グレイプニルに捕まり、魔王の前に引きずり出されたのである。


「ボマディカ王国国王が戦利品か。グレイプニル、でかした」

「魔王様の道具として、当然のことをしたまで」


 素直にグレイプニルを褒め称えた魔王。グレイプニルは誇りを胸に、静かに応えた。魔王は玉座に腰掛けたまま、ルッチャイを見下ろし吐き捨てる。


「1国の王ともあろう者が、随分と惨めな姿をさらしたものだ」


 王族にとって、最大限の屈辱と言っても過言ではないこの状況。魔王はルッチャイを嗤ったが、ルッチャイはこれといった反応を示さず、口をへの字に曲げ、魔王を睨みつけるだけ。


「何か、言うことはないのか?」


 一応は元盟友のルッチャイ。発言の許可を与えた魔王だが、ルッチャイは厳しい表情をして黙っている。魔王は退屈し、口を開いた。


「まあよい。話をしたくないというのならば――」

「私はお前と交渉するつもりはないぞ!」


 同じだ。コヨトやケーレスでの会談の際、魔王に敵愾心を向けていたあの時のルッチャイと、魔王の目の前で縄に縛られたルッチャイは、同じだ。魔王は小さく笑って言う。


「分かっておる。北部派閥の盟約交渉の時点から、お主はそうであったからな」

「分かっているのなら、煮るなり焼くなり、好きにしろ!」

「ほお、威勢が良いではないか」


 あれだけ戦争を恐れながら、いざ戦争となれば覚悟を決めたのだろう。さすがのルッチャイも、やはり王の1人なのだ。ルッチャイは人間界の王として、最大の敵である魔王に凄んでみせた。


「覚悟しておけ魔王。ヤカモト殿は本気だ。北部派閥とお前の盟約、当時の私には理解できなかったが、あれこそがヤカモト殿の本気だったのだ。お前は敵を魔界に絞ることができたと、盟約を喜んでいたのだろうが、ヤカモト殿は、共和国を牛耳れると喜んでいた」


 北部派閥とケーレスの盟約は、共和国会議の事実上の支配者となるため、ヤカモトが後顧の憂いを断つ目的で結ばれたもの。


「共和国の事実上の支配者となったヤカモト殿は、政敵を次々に従えさせ、共和国の結束を強めた。そして何より、勇者を取り戻した。これは全て、北部派閥とお前の盟約のおかげだぞ。ヤカモト殿は、本気でお前を倒すつもりだぞ」


 全ては、魔界との戦争に勝つというヤカモトの野望を叶えるためにあったということ。今更になってルッチャイにそれを言われたところで、魔王はなんとも思わない。


「フン、その程度のこと、我が知らなかったとでも思っているのか?」


 おぼろげながら、ヤカモトの野望は魔王も見抜いていた。だが、魔王はそれを知って、ヤカモトの野望を利用したのである。魔王はヤカモトの野望を、ヤカモトは魔王の野望を利用したのである。


「あの盟約、我とヤカモト双方に益をもたらした。ヤカモトは共和国の害悪を退け、我は魔界の害悪を排除した。どちらがより有利になった、ということはない。結局は、戦争の勝敗が全てなのだ」

「ならば人間界は、必ずお前に勝つ」


 魔界軍と共和国軍、どちらが戦争に勝つかは分からない。ただ少なくとも、魔界も人間界も、自分たちが勝つと自信を持って口にしているのだ。


 話は終わった。魔王は手を掲げ、ルッチャイの処遇を伝える。


「こやつを殺せ。死体はバラバラにして、人間界の王たちに分け与えよ」


 せっかくの戦利品は、利用しなければもったいない。ルッチャイには是非とも、死体となって18の国の王を震え上がらせ、多少なりとも人間の戦意をくじいてもらいたいものである。


 ルッチャイは黙ったまま、衛兵に連れられ玉座の間から消えていった。魔王はしばし考える。しばし考え、立ち上がり、グレイプニルに指示を下した。


「グレイプニルには、我の護衛を任せる」

「承知しました」


 愉悦の海に心を飛び込ませ、早速魔王の護衛を開始したグレイプニル。続けて魔王は、ラミーにも指示を与える。


「ラミー、前線へ向かうぞ。準備せよ」

「はい! お任せをお任せを!」


 姿勢を整え、小さな牙をのぞかせながら、無邪気に笑ったラミー。魔王も出発の準備をするため、玉座を後にし、自室へと戻っていった。

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