第14章 魔都帰還

第14章1話 オルバイド

 ケーレスが炎上したのは、もう10日も前。魔王はケーレスを捨て、ドラゴン族が支配する魔界の都市オルバイドを拠点に選び、魔界の玉座に座るための準備を進めていた。

 昼間だというのに空は暗く、分厚く重みのある雲に覆われたオルバイド。魔王とラミー、ダートの3人は、ドラゴン族が獣人化せずとも歩けるよう広く作られた、歴代族長の胸像を飾るオルバイド宮殿の廊下を歩いている。


「ヤクモたちは、もはや我らに手を貸す気はないようだな」


 煉瓦造りの建物をくりぬくかのような大きな窓。そこから空を見上げ、西の方角を眺めながら、魔王はそう呟く。

 ケーレスの戦いに勝利した夜のこと。魔王はラミーに対し、ヤクモたちをオルバイドに連れてくるよう指示、魔王はすぐさまオルバイドに向かった。だが、オルバイドにやってきたのは、ラミーとダートだけであったのだ。


 魔王と同じ思いは、ラミーとダートも抱いている。ダートは魔王と共に遠くを眺め、ラミーは俯きながら口を開いた。


「たぶんたぶん、そうだと思います……ヤクモさんたちを迎えに行ったベンさんも、帰ってこなかったですし……」


 ラミーとダートをオルバイトに連れてきたのは、スタリオンを操縦するベンだ。ベンはもう一度、ヤクモたちを説得すると言ってケーレスに戻った。以来、スタリオンごと、ベンがオルバイドに戻ってくることはなかったのである。

 ヤクモ、ルファール、ベン、パンプキンは、もはや味方ではないと、魔王は判断した。4人分の戦力・・を一挙に失った魔王に、ダートは提案する。


「おいら、ヤクモさんたち、探す?」

「いや、その必要はない。彼奴らはもはや、我らには不要な人材だ」


 全ての魔力を取り戻し、魔界に拠点を作り上げた魔王にとって、勇者の力は不要。ルファールやパンプキンの力も意味をなさず、ベンとスタリオンも存在意義はない。ヤクモたちが魔王のもとを去ったところで、魔王にとっては問題ないのだ。

 ただし、はっきりとダートの提案を断った魔王に、ラミーは苦笑いをしている。なぜ彼女が苦笑いを浮かべたのかは、魔王には理解できなかった。


 廊下を進み、巨大な石の扉を開き、オルバイド宮殿の会議室に到着した魔王たち。会議室にずらりと並んだ、獣人化したドラゴン族の重鎮たちは、魔王の姿を確認するなり立ち上がり、背筋を伸ばし、頭を下げた。


「お待ちしておりました、敬愛する魔王様!」


 族長ヴュールの挨拶。魔王は挨拶に応えず、黙って会議室の席に座った。だが、ドラゴン族の重鎮たちが席に座る様子はない。


「我らドラゴン族一同、完全なる魔力を散り戻した――」

「世辞はいらん。会議をはじめるぞ」

「も……申し訳ありません……」


 時間の無駄、という表情を浮かべた魔王。ドラゴン族の重鎮たちは背筋を凍らせ、ヴュールが震えた声で謝罪し、ようやく皆が席に着いた。

 ドラゴン族全員が席に着いたのを確認すると、魔王の隣に立つラミーは、会議室全体を見渡す。そして、あくびをしながら、明るくおっとりとした口調で言った。


「ヴュールさん、報告をお願いします」

「はっ! かしこまりました!」


 勢いよく立ち上がり、魔王側近主席の言葉に従うヴュール。彼女は魔王に体を向け、魔界の現状を伝える。


「敬愛する魔王様の、空も落涙するほどの目覚ましいご活躍により、ケーレスにおける10万の魔界軍とメギドは、この世から完全に排除されました。この情報は、すでに魔界全体に知れ渡り、多くの魔族が、敬愛する魔王様への忠誠心を取り戻しつつあります」


 どこか芝居がかった口調で、大げさに魔王を賛美してみせるヴュールだが、魔王が聞いているのは、話の要点だけだ。それでもヴュールは、芝居がかった口調を続けた。


「ケーレスにおいて大きな被害を受けたゴブリン族やコボルド族、ガーゴイル族の族長は、敬愛する魔王様に恭順する方針を固めたようです。また、ケンタウロス族やガルム族、フェアリー族など7つの魔族も、花が散るかのようにヴァダルのもとを離れました」


 報告を聞きながら、なかなか順調だ、予想通りの動きだと、魔王は不敵に笑う。無意味な戦いで10万の兵を失った偽りの王など、見捨てられて当然だ。


「さらに、ケーレスの戦いでの敗北を受け、アイレーがヴァダルを公然と非難。アイレーは左遷されたようです。アイレーの姉であるメイも、度重なる任務失敗により、グレイプニルごと旧魔都ディスティールに左遷されております」


 多くの者が離反していく中、自ら部下を捨てるヴァダル。末期症状を起こしたヴァダルに魔王は呆れ果て、同時に、その程度の男に魔界を追い出された自分を戒める。


「しかし魔界軍では未だ、ヴァダルの指揮に縛られ、敬愛すべき魔王様を偽物と断じる、哀れな輩が数多くいるのも事実です」


 どこにでも正しい判断を下せぬ者はいるのだ。むしろ、正しい判断を下せぬ者が普通だ。だからこそ、魔王という選ばれた者が、魔界を統治しなければならないのである。


 ヴュールは報告を終え、深々と頭を下げると、再び席に座った。ドラゴン族の重鎮たちは、緊張感に表情を強張らせ、黙り切り、張り詰めた空気が会議室を覆う。


「なるほどなるほど。ということは、魔王様が魔王様であること、なんとかして魔界軍に伝える必要がありますね」


 誰1人として発言をしようとしない会議室に、ラミーが言葉を投げ込んだ。しかし、それでも会議室は黙ったまま。仕方なく、魔王が質問した。


「今、魔界軍はどこで何をしているのだ?」

「ケーレスでの敗北に慌てふためいたヴァダルは、せめて南部地峡で勝利を飾ろうとしているようです」

「魔界軍は南部地峡で共和国と戦っている、ということか」


 しばらく考え込む魔王。ドラゴン族の重鎮たちは、魔王の答えを待ち続けた。誰もが魔王の思考を邪魔せぬよう口を閉ざす中、魔王の考えを聞きたくてしようがないのは、ラミーである。


「魔王様魔王様、何か思いつきましたか?」


 魔王の顔を覗き込んでまで、ラミーは魔王の答えを聞きたがっている。魔王はニタリと笑い、会議室に低い声を響かせた。


「うむ。話の通じそうな魔界軍の司令官に、我が直接会いに行く。そして、我が魔界軍を勝利へと導く」

「素晴らしいお考えです! 敬愛する魔王様!」


 難しいことではない。動揺している魔界軍に、魔王自身が活を入れに行くだけだ。ヴュールは魔王を褒め称えてみせたが、ラミーは、魔王の答えに頷くだけである。

 一方、会議がはじまっても、ぼうっとするだけであったダートは、魔王の顔を見ておもむろに口を開く。


「誰と、一緒に?」


 自分も魔王と共に行くべきか、とダートは問うている。魔王は短く、はっきりと返答した。


「我1人で十分であろう」

「そう、ですか……」

「どうしたのだダート? 何か気になることでもあるのか?」


 何か言葉が喉に突っかかったようなダート。そんな彼の言葉を魔王が引き出そうとすると、ダートは少しだけ間を置いて、一度は腹に戻した言葉を吐き出す。


「ヤクモさん、いない。ルファールさん、いない。ベンさん、いない。パンプキン、いない。スタリオン、ない。仲間、少ない」


 心配だと言わんばかりのダートの言葉に、ヴュールが立ち上がった。


「敬愛すべき魔王様には、我々ドラゴン族がついております。これからも続々と、魔族が集ってくるでしょう。いえ、集ってくるべきなのです。ですからダート様、ご安心を」


 魔王の味方は、魔界に数多くいる。状況は以前とは違う。だからこそ、魔王はダートに対し言い放った。


「もはやヤクモたちの手助けは、我には不要。この程度の戦力低下は、問題にはならぬ」


 心の底から、魔王はそう思っている。むしろ、勇者を側に置いておくことこそ危険だ。『人間は魔族の脅威であり続け、勇者は魔界の最大の敵』なのであるから。


 会議で話すべきことは終わった。魔王は立ち上がり、マントをひるがえし、右手で拳を握り、宣言する。


「これより魔界軍の一部を、我に従えさせる。ラミーは各魔族と交渉を、ダートはオルバイドを守り、ヴュールたちドラゴン族は、ディスティールへの帰還の準備を進めるのだ。魔界に、我の帰還を知らせようぞ」


 ヴァダルなどという偽の王から、魔界軍というおもちゃを取り上げ、誰が魔界の王であるのかを、魔族に再確認させる時が来たのだ。

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