第13章7話 ケーレスの戦い I
日が暮れたダイスの街。いつもは人々が集まり、酔っ払いが増え、犯罪者が紛れ込み、楽しげな声と怒号が響き渡っていた4番街。魔界軍との戦いがはじまって1ヶ月、街に人影はなく、数少ない篝火が散らかった街を照らすだけだ。
現在、街を歩くのは魔界軍兵士だけ。鎧を着たゴブリンやコボルド、オークら8人の小隊は、武器を握りしめ冷や汗をかきながら、無人の建物をひとつひとつ確認している。
「ここの住民はみんな狂ってやがる! 気をつけろ!」
「隠れてる住民がいないか探せ!」
「あいつら……皆殺しにしてやる!」
上陸前には、海賊と見分けがつかぬ漁師たちに襲われ、やっと上陸すれば、5番街でケーレスの住人たちによる待ち伏せに遭い、その隙に食料補給船は沈められてしまう。魔界軍兵士は散々な状態だ。
子供だろうが年寄りだろうが、男も女も関係なく襲いかかってくるケーレスの住人たち。彼らを前に、もはや魔界軍兵士は恐慌状態に陥っているのである。
住人は避難を終えたのか、どこの建物ももぬけの殻であった。しかしそれでも、逃げ遅れた者はいる。時計台の近く、とある民家を覗き込んだ魔界軍兵士が叫んだ。
「いたぞ! 人間だ!」
「殺せ殺せ!」
民家の中には、父親と母親、1人の男の子という構成の家族が、息を殺して隠れていた。この家族も豹変し、いつか彼らに殺されるのではないかと気が気でない魔界軍兵士たちは、鼻息が荒い。
実際、敵が少なければ家族も武器を持ち戦ったことだろう。だが、さすがに8人は多すぎる。父親と母親は、1人息子を抱いて覚悟する。
「逃げ場がない……味方の兵士もいない……」
「あなた……」
家族全員で死ねるなら、まだマシか。民家から路上に引きずり出された家族はあきらめムード。それでも男の子は、希望を捨てていなかった。
「お父さんお母さん、大丈夫だよ。勇者のおばさんが助けてくれる」
子供らしく無邪気で、儚い希望。魔界軍兵士の1人であるゴブリンは構わず、剣を振り上げた。
「死ね人間!」
恐怖と憎しみを糧にした殺意が、家族に降りかかる。ところが、ゴブリンの殺意はついに家族に届くことはなかった。ゴブリンの心臓は、背後から突き刺された剣によって、貫かれたのである。
「お……お前らは……!」
ゴブリンを死骸へと変えた、癖っ毛気味の女性に対し、魔界軍兵士たちは怒りと恐れの感情を向けた。癖っ毛気味の女性の隣には、冷たい表情をした女性も立っている。ヤクモとルファールの登場だ。
「勇者と女騎士だ! 気を――」
2人の
この間に、ヤクモは2人目3人目と魔族を切り刻む。たった数秒後には、8人の魔族は全滅してしまう。
「魔力使うほどの相手じゃなかったね」
「ああ、剣の無駄だ」
余裕の表情を浮かべ、息も切らさぬヤクモとルファール。この1ヶ月、彼女らに殺された魔族は数知れない。
「ありがとうございます!」
「お礼は良いから、早く逃げて」
「はい!」
魔界軍兵士に殺されかけていた家族は、ヤクモの指示に従い、ダイス城の方角へと逃げていく。逃げていく傍ら、男の子はヤクモに感謝の言葉を述べた。
「勇者のおばさん、また助けてくれてありがとう!」
それだけ言って去って行く男の子。彼の背中を眺めながら、ルファールは言う。
「あの少年、覚えているか?」
ルファールの言葉に、ヤクモは自らの記憶の棚を荒らし回り、首を傾げた。
「私をおばさん呼ばわりした子供がいたのは覚えてるんだけど……」
「盗まれた懐中時計を返してやった少年だ」
「あ! あの子か!」
いつぞや、シンシアに頼まれダイスの街を警備した時、盗まれた懐中時計を返してあげた男の子。彼を思い出したヤクモは、だからと言って何を言うわけでもない。
「敵の索敵攻撃部隊はこれで全部、かな」
「だろうな。私たちも城に帰ろう」
2人はすでに、50人近い魔界軍兵士を撃破しているのだ。休憩も兼ねて、2人は城へと向かって歩きはじめた。
*
大洋を超えてくる魔界軍を迎撃するため作られた要塞。そんな本来の使われ方をするダイス城は、数千の兵士を収容し、人でごった返している。この状況でも、人々の表情は明るい。
松明と魔鉱石に照らされた城の会議室には、鎧に身を包み武装した人々が、地図を前に試行錯誤していた。そこに、ヤクモとルファールはやってくる。
「おかえりニャ! ご苦労様だったニャ!」
「スラスラ~勇者の力はすごいよ~イムイム~」
多くの人々に囲まれながら、軽鎧を着込みながらも尻尾をゆらゆらと揺らすシンシアと、その彼女に抱かれたスーダーエは、ヤクモを見つけるなりそう言って微笑む。ヤクモは地図に目をやり、質問した。
「なんか進展あった?」
「何もない。5番街は占拠されたが、4番城壁はよく耐えている」
ケーレスの現状を説明するカウザ。彼に続き、ムーニャやダート、キリアンが口を開く。
「敵、マジ弱いんですけど~」
「魔界軍、海、超えて、きた。みんな、疲れてる」
「住民たちの戦いぶりも、魔界軍兵士の士気を削ってくれています」
厳しい戦いではあるものの、人々の戦意は衰えていない。パンプキンに至っては、油断しているとも思えることを言い放った。
「もう1ヶ月ッスけど、なんかあれッスね。魔王さんがいなくても勝てそうッスね」
「なんでフラグ立てるようなこと言うの?」
思わず叫んでしまったヤクモ。また怒られると構えたパンプキンだが、会議室に武器屋の夫婦がやってきたことで、パンプキンはそれ以上は怒られずに済む。
「新しい武器、出来上がりました!」
出来上がったばかりの武器を、カウザに手渡す武器屋の男。彼に同行していた彼の妻は、ヤクモの側に歩み寄り親しげにヤクモに話しかける。
「ヤクモちゃん、久しぶりだね」
「久しぶりです」
「いや~レストランに建て替えようとした途端にこの騒ぎ。いつになったら武器屋を畳めるか分からないよ」
マフィアの抗争にヤクモが巻き込まれた際に出会った、レストラン経営を夢見る武器屋の肝っ玉母ちゃんとの会話。肝っ玉母ちゃんは、自分の作った剣をカウザに自慢する夫を見て、小さく笑った。
「ま、あの人が楽しそうだから良いけどね」
肝っ玉母ちゃんが笑った直後、会議室に2人の男が飛び込んでくる。
「シンシア様! 俺たちにできることはありませんか!?」
「俺たち、シンシア様のためなら5番街も取り返してきます!」
酒場街でシンシア論争を繰り広げていた2人の男も、今はシンシアのために手を取り合い戦っているのだ。ただ、2人に対するルファールの返答は冷たい。
「街の奪還よりも、城壁の防衛を考えろ。私たちに、攻める余裕はない」
氷柱のような言葉に、2人の男は凍りついた。2人を溶かしたのは、ほんわかと笑うシンシアである。
「ルファールさんの言う通りニャ。シンシアのために、防衛戦頑張ってニャ!」
「はい! シンシア様」
「お任せください! シンシア様!」
シンシアに言われてしまえば、その通りにするしかない。2人の男は満足そうに会議室から去っていった。
ケーレスの様々な住人が訪れる会議室にも、一瞬の静けさが訪れる。すると突然、窓の外にいた住人たちが騒ぎ出した。
「外が騒がしいな」
「なんスかね? って、あ、あれ……やばくないッスか……?」
何事かと、窓から外を眺めたカウザやパンプキン。外の景色を見たパンプキンは、みるみる顔を青くする。
城の窓から見えるダイスの港町。そこに、目を赤黒く輝かせる、山とも見間違えてしまいそうな巨大な岩の影が、海面から姿を現したのだ。
「ネメシスゴーレム、来た。メギド、攻撃、して、きた!」
「なんだと!? ケーレスのために、ネメシスゴーレムまで寄越してきたのか!?」
「ニャ~、ヴァダルは迷惑ニャのニャ~」
暗闇に光る目。メギドが歩くたび、轟音がケーレスに鳴り響き、大地は揺れる。破壊と殺戮の使者の出現に、カウザたちは唇を噛んでしまった。だが、ケーレスの住人たちの闘争心は、ネメシスゴーレムの出現で潰えるほど脆くはない。
「俺たちならネメシスゴーレムも敵じゃない!」
「そうよ、私たちならメギドも倒せるわ!」
「この街は俺たちの街だ! 俺たちで守る!」
勇ましく血気盛んなケーレスの住人たち。ルファールやシンシアは、彼らを頼もしく思いながらも、今度ばかりは無事では済まされないと思っている。
ネメシスゴレームを相手できるのは、ヤクモと魔王だけだ。そして今、魔王は不在。ヤクモも住民の安全を考えて戦わなければならない。メギドに勝利しケーレスの街を守るのは、至難の業だ。
当のヤクモは何を思っているのか。彼女は、メギドのことなど眼中になかった。彼女は
「……逃げたほうが良い。みんな! 今すぐ逃げて!」
焦りすらも隠さぬヤクモの叫びに、会議室にいる者たちは呆気にとられた。
「どうしたんッスか?」
「ニャんかあったのかニャ?」
「良いから早く! 街から逃げて!」
あのヤクモが口にした『逃げろ』という言葉に、ルファールやダート、シンシア、カウザたちも、ただ事では済まされない事態が迫っていることを悟る。対して、住人たちは気勢を上げた。
「ネメシスゴーレムなんか怖くない! 俺たちは――」
威勢の良いケーレスの住人の雄叫びは、恐怖に引きつったヤクモの叫びに遮られてしまう。
「違う! ネメシスゴーレムなんかどうでもいい! もっと……もっと怖くて、最悪なのが来てる……!」
ケーレスに襲いかかろうとしているのは、メギドだけではない。ヤクモが恐怖する対象は、ネメシスゴーレムなどではない。彼女が恐怖するのは、闇に紛れ、真っ黒なマントをはためかせこちらに向かう、魔王なのだ。
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