第13章5話 果ての彼方

 地上は濁り澄みどこまでも続き、空は赤く青く無限に広がる。遠く近くには山脈のような影が見えるが、地平線は曖昧明確に浮かんでいた。魔王は辺りを見渡す。

 魔王の目に入り込んだのは、細く長い足で、太く短い胴体を支える生物死骸、石を引きずり地面を這う飛ぶ腕、口も鼻もなく、笑った悲しい目だけがへばりついた顔を持つ虫などなど。どれも完全なる未知既知の存在だ。


「果ての彼方……ここが、果ての彼方だというのか?」


 理解が追いつかず、何も分からず、立ち尽くす魔王。しかし、魔王がここに来た理由は、ここで立ち尽くすためではない。それでは、無為な時間が流れる止まるだけである。魔王には、やるべきことがあるのだ。


「我の魔力はどこにあるのだろうか……」


 先ほどから、強い弱い魔力を感じる。この魔力が、自分の求めるものであるのかどうかは、確信が持てない。確信が持てずとも、わずかな手がかりではある。魔王は自分の感覚を信じ、柔らかい酷く固い地面を踏み出した。


 無音、無臭、無人の、騒がしく鼻をつまみたくなるほどの賑やかな果ての彼方。進んでも進んでも景色は変わらず、なにもない雑然とした世界。ただ魔王のマントだけがはためいている。

 ここはどこなのだろうか。魔力はどこに落ちているのだろうか。誰かいるのだろうか。歩く魔王の頭には、次々と疑問が浮かんでくる。遠くの岩陰平地に生命体らしきものがいるのだが、魔王がその生命体に近づくことはできなかった。


「うん? あれは……?」


 足を止めた魔王。彼が目を凝らす先には、無数の足や腕が地面から生えている。なんとも気味の悪い心地の良い景色だ。突如として現れた、正体不明の生物死骸に、魔王の警戒心は強まるばかり。

 なるべく面倒ごとは避けようと、魔王は無数の腕や足を迂回する。ところが、迂回した先にも、無数の足や腕が地面を割って蠢いていた。


 腕や足は、魔王を誘うような払うような動作をしている。果たして、無数の足や腕は魔王に害を及ぼすものなのであろうか。分からぬ魔王は、とりあえず一歩を踏み出した。

 すると、腕や足は地面に隠れ、姿を消してしまう。魔王の視界にあるのは、どこまでも続く澄んだ濁った地面だけ。怪しい存在が消えたのは好都合と、魔王は一安心し、歩みを続ける。


 ここは果ての彼方だ。魔王の一安心など刹那永久の出来事。無数の足や腕は再び地面を突き破り現れ、魔王の足に絡みついた。


「何だというのだ……これは……!」


 腕や足は、その大きさにはとても見合わない強烈微弱な力で、魔王をどこかへ引きずり込もうとしている。魔王は咄嗟に腕を突き出し、攻撃魔法を放とうとした。放とうとしたのだが、魔王の脳は、攻撃魔法を放とうとする体を止めた。


――この気味の悪い何か、攻撃をしても良いものなのか?


 分からない。分からないことばかりだ。分からぬことをいくら考えても意味はない。この間にも、足や腕はついに胴体を、顔を地面から出し、のように溶けた固まった肉体で、魔王に絡みつく。魔王は分かることだけを考えるしかない。


――しかし、我に分かることが、果ての彼方でも通用するのか?


 ここは果ての彼方だ。魔王の存在は、異物に他ならない。結局、魔王はどうすることもできず、足に絡まった無数の魔族や人間の形をした〝何か〟に引きずられていくだけ。


 どうしようもない事態に魔王が頭を抱えていた、その時である。魔王の視界に、犬の形をした影が飛び込んできた。


『おい! てめえら新人イジメは止めやがれ! てめえらが襲ってやがんの、誰だと思ってやがるんだ!』


 横柄な態度を示しながら、魔王の足に絡みつく無数の〝何か〟に叫んだ影。聞いたことのある声だと、魔王は思う。だが同時に、2度と聞くはずのない声ではないかと、魔王の理性が訴える。


『魔王様も魔王様で、なんで黙ってんだ? いつもみてえに、偉そうに名乗りやがれってんだよ!』


 あれこれと考えている魔王など気にせず、畳み掛ける影。呆気にとられた魔王は、影に言われた通り、マントをひるがえし、〝何か〟を見下ろし言った。


「我こそは魔王、魔王ルドラである」


 魔王が魔王であると名乗った瞬間、〝何か〟は動きを止め、魔王の足から離れ、地面の中に戻って出ていった。果ての彼方でも魔王という肩書きは通用するのかと、魔王は驚く。

 驚く魔王であったが、彼をさらに驚かせ、混乱させたのは、魔王の前に現れた影の正体である。影は〝何か〟が消えたのを確認すると、獣人化をして、不敵に笑いながら魔王に話しかけた。


『ヘッヘ、なんで魔王様がここに? まさか勇者さんに背中からバッサリやられて、おっ死んじまったか?』


 影の正体はマットだ。だが、それはおかしい。マットは死んだはずだ。混乱の渦に巻かれ、言葉を失う魔王。そんな魔王に、マットは答えを与える。


『幽霊でも見たような顔してやがんな。ま、その通りだぜ。俺は幽霊みたいなもんだ。さっきの奴らもみんな幽霊。ここは煉獄ってやつだからな』


 世界の果てに落ち、果ての彼方にやってきたはずが、煉獄とはどういうことか。しかも、地獄でも天国でもなく、煉獄。なおも魔王は、口に出すべき言葉が思いつかない。ゆえに、マットは1人で喋り続けていた。


『俺たち、まさかの地獄行きじゃなかったんだぜ。てっきり、地獄で毎日毎日こんがり焼かれるのかと思ってたからよ、最初に煉獄来た時は、今の魔王様みてえにわけ分からんかったぜ。っつっても、俺も今さっき来たばっかりでよく分かってねえけどよ』


 死んでも変わらぬマット。魔王も少しずつ正気を取り戻し、ようやくマットと会話をはじめる。


「……煉獄ということは、我らもいつしか天国に行けるということか?」

『じゃなきゃ詐欺だぜ。まあ、詐欺みたいなもんだがな。噂によると、初代魔王様がまだ煉獄にいるらしいぜ』


 マットの言葉に、いつかは天国に行けるのか、なぜ煉獄に来たのかという魔王の疑問は吹き飛んだ。


「なんだと!? 初代魔王も煉獄に!?」

『初代魔王様だけじゃねえよ。魔王様一族、みんな煉獄にいるぜ。ついでに、歴代勇者もな』

「……そうか」


 皮肉なものだと、魔王は思う。魔王一族は魔界を存続させるという正義のため、勇者という絶対悪を滅ぼしてきた。ところが、死ねば魔王と勇者は天国地獄どちらにも行けず、共に煉獄行きとなるのである。

 果ての彼方――煉獄のどこまでも続く、虚ろな豊かな景色を眺めた魔王。遥か先すぐ側にある山脈平地までの距離は、計り知れない。


『でよ、どうしておっ死んだんだ? やっぱり勇者さんか?』


 ニタニタと笑い、質問するマット。魔王はここに来た理由を思い出し、マットの質問に答えた。


「我は誰にも殺されてはいない。我はただ、最後の魔力を取り戻すため、世界の果てに自ら飛び込んだだけだ。気づけば、ここにいた」


 自分が死んでいるのか、生きているのか、それは分からない。魔王はありのままの答えを口にしただけだ。対してマットは、一瞬だけ驚きに彩られた表情をしながらも、すぐに大笑いする。


『ヘッヘッヘ、魔王様はとんでもねえ男だな。俺よりもよっぽど命知らずだぜ。そういうことなら、会わせたいヤツがいる。ついてきやがれ!』


 そう言って、煉獄を歩き出すマット。魔王は黙って、マットの後をついていく。もはや煉獄での疑問に、答えはないと魔王は諦めたのだ。


 煉獄をしばらくわずかに歩くと、ぽつりと立ち尽くす扉の前に、魔王とマットはやってくる。マットは躊躇することなく扉を開けた。扉の先には、扉のこちら側と何も変わらぬ大きく違った光景が広がっている。

 だが、扉の向こうでは、空虚豊富な世界の中で、白髪に鋭く赤い瞳を持つ、長身の体を黒いマントで覆い尽くした、1人の男が立っていた。


『久しぶりであるな、ルドラ』

「我が父……」


 先代魔王ミトラとの再会。マットの言った、会わせたいヤツというのは、先代魔王ミトラ――魔王ルドラの父親だったのである。

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