第13章4話 世界の果て

 ドラゴン族の操る帆船は遠ざかり、羽ばたく魔王の眼下に広がるのは、無限の暗闇に塗られた世界の果て。この果ての先、果ての彼方に、魔王の最後の魔力は落とされた。であれば、果てであろうと彼方であろうと、魔王はそこに向かうしかない。


 海の水が壮大な滝となって落ちていく世界の果ての先。滝がどこまで続いているのかは分からない。少なくとも、凄まじい水量の滝であるにもかかわらず、水が地面に落ちる音は聞こえないほどに、果ての彼方が遠いのは確かだ。

 空に静止し、マントをはためかせ、果てを見下ろす魔王。1度でもあの闇に呑み込まれてしまえば、2度と戻ることはできないのではないか。そうは思いながらも、魔王は意を決する。


「……さて、行くとするか」


 魔王は羽ばたく翼の動きを止めた。さすれば当然、魔王は落下をはじめる。もはや垂直に海が存在するかのような滝をかすめ、闇の中に落ちていく魔王。落下の速度は速まるばかりだ。


 足を下にして落ちる魔王は、もう下を見ようとはしない。下には何もない。魔王に見えるのは、滝の表面と、頭上に遠ざかる満天の空、そしてアルテリングだけである。


 マントが激しく揺れる音、服が風に揺られ擦れる音、顔に跳ねるわずかな水滴の音、自らの息遣い。魔王の鼓膜を震わせるのはそれだけ。


 途中、魔王は雲のような白いモヤに突入、身体中を水滴で濡らす。モヤの正体は滝だ。滝はきめ細やかな水滴となり拡散、白いモヤのように姿を変えたのである。魔王がモヤを突き抜けた後、いつしか気体と同化し滝は消え去った。

 

 滝は消えてしまった。星空も消えてしまった。アルテリングも消えてしまった。

 光はない。光がなければ、何も見えない。魔王は自分の姿すら確認できない。自分が落ちているのかどうかすら、分からない。

 

 風も感じない。だが炎魔法で作り出した炎は、一瞬で消えてしまう。

 宙に浮いているのか、静止しているのか、下に落ちているのか、上に向かっているのか、分からない。


「一体……どこまで続く」


 呟く魔王。おかしい。自分の声も上手く聞こえない。

 大気はあるのか。息はできる。大気はある。自分の声は聞こえづらい。

 何が起きている?


 暗闇。深い暗闇。

 今、魔王は目を瞑っているのか。瞑っていない。いや、瞑っている。やはり瞑っていない。何も分からない。


 いつしか、マントは力なく垂れている。そんな気がする。服が擦れる音もない。

 聞こえるのは、自らの鼓動と血潮。鼓動と血潮が、全ての音。


 暗闇。

 暗闇?

 暗闇に光はないはずだ。

 違う、ついさっきまで、光はなかった。ついさっきまで、暗闇だった・・・

 

 光だ。光が見える。それも無数に。

 黄色い光、赤い光、青い光、オレンジの光。

 明かりだ。明かりのおかげで、魔王は自分の体を視認できる。


 知っている。あの光は知っている。

 知っている光ならおかしい。あの光は、空にしかないはずだ。

 アルテリングは、空を貫いているはずだ。

 星は、頭上で輝いているはずだ。

 太陽は、西に沈んだはずだ。


 アルテリングは、魔王を包み込むように、円環状の形をしている。

 星は、前にも後ろにも右にも左にも上にも下にも斜めにもどこにでも見える。

 太陽は、魔王の背後で燦々としている。


――ここはどこだ?

――勇者の記憶で見たことがある。


――どの記憶だ?

――74代目勇者の図鑑。


――どんな図鑑だったか?

――字は読めない。だが74代勇者の脳に浮かんだ感想から、どのような図鑑であったかは分かる。


――どんな図鑑だった?

――たしか『宇宙』だったはずである。


「ここは……我らの世界の宇宙か?」


 違う。宇宙には大気が存在しない。生身の状態で、生きていけない。宇宙では。

 魔王は生身だ。宇宙にさらしている。素肌を。

 宇宙だというのなら、おかしい。息ができている。


――ではここはどこだ?

――世界の果てだ。


 ここが世界の果て。

 アルテリング、ヘカテ、ホシ、タイヨウ、全てが集まる果て。

 音、大気、光、闇、魔力、何もかもが存在し、存在しない、果て。

  上も下も前も後ろも存在しない、果て。


   魔王は落ちているのだろうか。まだ。

どれだけ時間が経っているのだろうか。今。

 随分と果てを漂っていた気がする。長く。

     ここまで来てしまった。一瞬で。


          果ての先が目的地だ。

             ここは果てだ。

              果ての彼方。

         彼方はどこにあるのか。


 光と闇に包まれ、熱気と冷気に包まれ、眩しさに目を閉じ暗闇に目を見開き、魔王は下を見る。


――近づいてきている。あれはなんだ?


 虹色に輝く美しい雲だ。放射状に飛び散る清らかな雲は、しかしその中心は深い深い暗闇を作り出している。穴と形容すべきか、目玉と形容すべきか、それとも細胞と形容すべきか。ただひとつ言えるのは、それ・・の正体が魔王には分からないということだけ。

 

 美しい雲は、魔王に微笑み魔王を相手しない。魔王の相手をするのは、中心の暗闇だ。魔王は未だに落ち続けていた。魔王は再び、暗闇に呑み込まれた。


 闇。暗闇。暗黒。

 それだけではない。

 青い光の粒が、魔王をかすめる。

 歪んだオレンジの光が、魔王を囲む。

 黄色い輝きが、点滅する。


           何かが突然現れた。

           何かは分からない。

           こちらを見ている。

           魔王を誘っている。

           何かは突然消えた。


 板状の紫の光。

 血飛沫のよう鮮やかな赤い光。

 暗闇に浮かぶ無数の光。

 魔王に当たることはない。

 魔王はずっと、暗闇の中にいる。


 何か聞こえる。

 何の音なのかは分からない。

 火山の噴火? 雨? 雷? 魔力? 自分の血液?

 音の正体は分からない。

 ただ、音は魔王の鼓膜を震わせる。

 


  ど落意答 何こここ存果ど 強闇全魔

  こち味え だののの在てこ くにて王

  まるはを と音視光すのま 輝沈のの

  でのな求 いは線はる彼で くみも視

  もでいめ う は の方落   の界

   あ た の   だはち   がに

   れ と か   ろ る    入

   ば こ     う の    る

     ろ     か か

     で

          


       魔全闇強 魔四青熱魔闇光 

       王てにく 王角くく力がが 

       のの沈輝 をく赤冷が   

       視もんく 包丸いた    

       界のだ  みい緑い    

       をが   無三の溶

       支    視角闇け

       配    を形がた

       す    すの 光

       る    る魔 が

             力

             が


 

 自分は正気なのか?

 まさかこれは夢なのか?

 自分はまだ生きているのか?

 自分はすでに死んでいるのか?


 闇に浮かび光をかすめる魔王は、まばたきをした。

 1度、2度、3度とまばたきをした。

 

 4度目のまばたきを終えると、魔王は酷く固い柔らかい地面に立っていた。

 魔王は、世界の果ての彼方に到着出発していた。

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