第13章3話 航海

 東方大陸のさらなる東の海。月光に照らされながらも、無限に広がる暗闇と化した大海原に、1隻の帆船が浮かんでいる。暗闇と同化した真っ黒な帆船、その甲板には、スタリオンが静かに機体を休めていた。

 魔王、ラミー、ベンの3人は、スタリオンから降り立っている。3人を迎えたのは、人型の体に翼を生やし、硬い鱗に覆われた肌をコートで包み込んだ、獣人化したドラゴン族の者たちだ。彼らの族長に、魔王とラミーは挨拶する。


「ヴュール・ラゴン、ご苦労」

「お久しぶりでお久しぶりです!」

「敬愛する魔王様、ラミー様、お待ちしておりました」


 片手を掲げる魔王、笑顔で手を振るラミー。ヴュールは、コートを揺らしながら深々と頭を下げた。一魔族の族長でしかないヴュールにとって、魔族のトップとその側近主席は、話をするだけでも緊張する相手なのである。

 ただし、ベンほど下っ端になると、もはや何でもありだ。彼は目上の者たちがひしめき合う船の上で、帆が畳まれ満天の空に突き上げられたマスト見上げ、魔王たちの挨拶を横目にのんきなことを言っていた。


「船への着陸ははじめてじゃったが、意外と面白いのう。海運ギルドと協力すれば、そこそこ儲かるかもしれん」


 運び屋らしい意見ではあるが、今はどうでも良いこと。ベンのことは無視して、魔王とラミーは、魔王の最後の魔力の在り処について、ヴュールと話をはじめた。最初に質問したのは、ラミーである。


「ヴュールさんヴュールさん、魔王様の魔力の在り処、詳細は分かりましたか?」


 おっとりとしながらも、夜であるために元気なラミーの質問。ヴュールはラミーの質問を魔王本人の質問であると解釈したようだ。彼女はラミーではなく魔王に対し、体が直角になるまで深く頭を下げ、声を震わせた。


「も、申し訳ございません。敬愛する魔王様の強大な魔法、恥ずかしながら、私では見つけ出すことができませんでした」


 ドラゴン族が掴んだ情報は、魔王の最後の魔力が世界の果てに落とされたということだけ。これ以外は何も分からないに等しい。

 自分が魔王の役に立てなかったことを恥じ、謝罪をしたヴュール。魔王は一切気にせず、ラミーはヴュールに頭を上げさせ、フォローを入れた。


「まあまあ、仕方ないですよ。世界の果てに落ちたものなんて、普通は見つけ出せませんから」


 世界の果てと言っても、そこに続く滝の長さは南北約6000キロ、世界の北端から南端まで続いているのだ。また、滝の先は深い暗闇。魔力の在り処を特定することは不可能に近い。


「どう、いたしましょうか?」


 申し訳なさそうに、遠慮がちに、魔王の顔色を伺い、ヴュールは問いかけた。ラミーはスタリオンを眺め、ため息をつく。


「スタリオンが使えれば、楽だったんですけど……」

「世界の果ては魔力が不安定すぎる。あそこを飛ぶのは無理じゃよ」

「ですよねですよね」


 スタリオンでは向かえないからこそ、こうしてヴュールたちに船を準備させたのだ。選択肢は限られているのである。


「魔力を落とした場所は、見当がついているのか?」


 ついに、魔王自身がヴュールに質問した。ヴュールはかしこまり、身を縮ませ、今すぐに海に飛び込んでしまいそうな雰囲気で答えた。


「……申し訳ございません。どうか、お許しを」


 あまりに弱々しいヴュールの小声に対し、魔王は小さく笑う。小さく笑って、東の海の先に目をやった。


「まあ良い。こうなれば、我らにできることはひとつだけだ」

「何か、お考えがあるのですか?」


 お咎めがないことに安心し、体を乗り出し魔王に聞いたヴュール。魔王は一拍置いて、東の海の彼方に手を掲げる。


「世界の果てをなぞるように、船を航行させろ。いくら世界の果てに落ちたとはいえ、我の魔力だ。我自身を探し出すことはできよう」

「さすがは敬愛する魔王様、我らの主君様でございます!」


 ヴュールは目を見開き、大きく手を広げて魔王を称賛した。大したことは言っていないと思う魔王であったが、ヴュールは振り返り部下たちに指示を下す。


「敬愛する魔王様のお言葉は聞こえたわね?」

「はっ! 至急進路を東に、世界の果て到着後は南に向かいます!」


 魔王の考えに従いヴュールが指示を下すと、ドラゴン族は船の帆を張る。船はすぐさま、東に向かって航行を開始した。


     *


 西の空に太陽は沈み、黄昏を反射してオレンジに輝く海。そこに、南に針路をとった帆船から、吐瀉物が撒き散らされる。


「船酔い、ひどいですね」

「もう1週間この調子じゃ……すぐにマットと会うことになるかもしれんのう……」


 ラミーに背中をさすられながら、げっそりとした顔で虚空を見つめるベン。ただでさえ年寄り顔のベンは、さらに年老いたかのようだ。

 苦しむベンを背後に、魔王は東の海、世界の果てに落ちる滝を眺め続けている。世界の果てからわずかに発せられる、自分の魔力を感じ取るため、魔王は1週間、こうして東の海を眺め続けていた。


「敬愛する魔王様、世界の果てを沿って約1200キロを航行いたしました」


 魔王の隣にやってきて、報告をするヴュール。マントをはためかせる魔王は、目線は東に向けたまま、ふと呟く。


「フン、毎日毎日同じ景色で飽きてきたものだ」

「申し訳ございません。私が魔力の在り処の目処をつけていなかったばっかりに……」


 ヴュールが深く頭を下げ、声を震わし謝罪するのは、これで何度目だろうか。景色だけでなくヴュールの謝罪にも飽きた魔王は、本音を吐き出す。


「ヴュールよ、お主は少し謝りすぎだ。将来の四天王の1人として、それではあまりに頼りない」

「も、申し訳ありません!」

「お主、我の話を聞いていたか?」


 呆れ返った魔王は、思わずヴュールに視線を向けた。魔王の目の前には、頭を下げたヴュールの、震えた後頭部。しかしすぐにヴュールは頭を上げ、声を張り上げ言った。


「敬愛する魔王様のため、私も魔力をお探しします!」


 なんとか魔王の役に立とうと必死なヴュールは、望遠鏡を目に当て東の空を眺める。そこに、ヴュールに魔王を独り占めさせんとラミーがやってきた。ラミーは望遠鏡を覗くヴュールを見て、指摘する。


「望遠鏡、逆ですよ逆ですよ」

「あっ……申し訳ありません!」


 また頭を下げ謝罪するヴュール。いよいよ魔王はヴュールを放っておくことにした。代わりに魔王に話しかけたのはラミーである。


「1週間が経ちましたね。たぶんたぶん、魔界軍はケーレスに到着しているはずです」


 拷問したヴァダルの側近が口にした情報。魔界軍が予定通りに進軍したのであれば、もうすでに、ケーレスの戦いははじまっているはず。ラミーは心配そうだ。


「ヤクモさんや、シンシアさん、ダートさん、大丈夫でしょうか……」

「彼奴らに心配は無用だ。彼奴らとケーレスの連中であれば、2ヶ月以上は持ちこたえる。我はむしろ、10万の魔界軍がヴァダルのくだらない命令によって壊滅することこそ、心配であるぞ」


 10万もの兵士を失えば、魔界にとって大打撃。人間界との戦争に大きく影響するであろう。魔王は魔王として、魔界の未来を考えているのだ。一方でラミーは、そんな魔王に微笑み口を開く。


「魔王様って、意外とヤクモさんのことを――」


 ラミーが言いかけた時、魔王は何かを感じ取り、再び東の海を眺める。この感覚は、間違いない。


「見つけた。ついに見つけたぞ」


 ニタリと笑った魔王。目的地は決まった。魔王は未だ頭を下げるヴュールに命令する。


「ヴュールよ、船は港に戻せ」

「承知致しました、敬愛する魔王様」


 ドラゴン族はヴュール1人に命令すればそれで良い。続いて魔王は、まばたきが止まらぬラミーと、甲板にぐったりと倒れるベンに指示を下した。


「ラミーとベンは港で我の帰りを待つのだ」

「分かりました分かりました! 最強の魔力を完全に取り戻した、最強の魔王様の帰り、待ってます!」

「ああ……ようやく船酔いから解放されるんじゃな……」


 歓喜するラミー、安堵するベン。下すべき指示は全て下した。魔王は最後の魔力の在り処へ向かうため、船から体を乗り出し、背中に翼を生やす。


「我が魔力、必ずや取り戻してみせよう」


 世界の果てへと続く滝に飛び降り、暗闇の先に落ちた魔力を取り戻すだけ。それだけで、魔王は全ての魔力を取り戻すことがきる。

 日が沈み、アルテリングが輝く星空に覆われた東の海に向かって、魔王は翼をはためかせ空を飛ぶ。魔王の完全復活までは、もうあと少しだ。

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