第12章9話 因縁の終わり

 魔王が重力魔法を止めれば、ストレングは約8000メートルの高さから地面に叩きつけられる。そして魔王は、重力魔法を止めるつもりだ。もはやストレングの死は、決定づけられたのである。

 だが、魔王はストレングをすぐには殺さない。なぜならば、左腕をなくし、穴の空いた腹からは血を流し、武器を握る力も残されていないというのに、ストレングは笑みを浮かべているのだ。この笑みが消えるまで、魔王はストレングを殺す気にならない。


「丈夫な男だ。我が父を殺した罪から逃げ延びただけある」


 鋭く尖った氷柱に腹を貫かれ、おそらくヤクモの光属性魔法メディカを使っても回復不能な傷を負ったストレング。そんな男が、まだ笑みを浮かべているのだ。65代勇者とその妻が死んだ戦いを、唯一生き残っただけあると、魔王は感心すらしていた。


 消えそうな命を奮い起こし、強い眼差しを魔王に向けるストレング。ふと、彼の視線は魔王から外され、魔王の背後に向けられた。魔王も振り返ると、いつの間に追ってきたのか、そこにはヤクモの姿が。ヤクモを見たストレングは、笑ってヤクモに話しかける。


「よう……お嬢ちゃん、まだ勇者になる決意ができないか?」


 そう言われて、なおもヤクモは黙ったまま。ヤクモはストレングの言うように、勇者になる決意ができていないわけではなかった。魔王を殺そうと思えば、ヤクモは情け容赦なく、魔王を殺せた。

 それでも戦闘にヤクモが参加しなかった時点で、ヤクモは判断を下していたのである。彼女はストレングではなく、魔王の言葉を採用し、判断を下したのである。黙ったままのヤクモを見て、魔王は勝利を宣言した。


「残念であったな。ヤクモはケーレスを守ると決めたようだ。お主の命運もここまで」


 今回の勝負は、単なる殺し合いなどではない。力を取り戻した96代勇者ヤクモが、魔王に味方するか共和国に味方するか、という戦いであったのだ。

 ヤクモが魔王の側についたことで、勝負は決している。魔王はいよいよストレングを大地に叩きつけるため、重力魔法を止めようとした。だが、死を直前にストレングは大笑いし、希望に燃えたまなこを魔王に向ける。


「魔王、勝ったつもりか?」

「……この状況で、何を言い出す」

「お前が魔王である限り、お嬢ちゃんは必ず勇者になる。俺様を殺したところで、お前は必ず勇者に倒されるんだ」


 強い信念に基づいた、戦士ストレングの言葉。諦めの悪いストレングに、魔王も嘲笑を浮かべてストレングに尋ねた。


「ヤクモを信じているのか?」

「当たり前だ! あんな可愛らしくて強いお嬢ちゃんが、魔王の部下なんかで終わるはずがない。お嬢ちゃんは必ず、勇者になって世界を救う!」


 非論理的で何の確証もない、ならず者ストレングの言葉。うるさい口調とあまりに楽観的なストレングに、魔王は呆れ果ててしまった。このいい加減な男は、今まさに死のうとしている。楽観的に他人を信じるような良い奴は――。


「その顔……良い奴は早く死ぬって顔だな」


 腹の底から真っ直ぐと飛び出したストレングの低い声に、辺りは静まり返る。魔王は眉をひそめ、ストレングを睨みつけたが、ストレングの低い声は止まらない。


「ガキの頃にお袋が死んだ時。シュウタに親父を殺された時。きっとお前、同じ顔していたろ」


 何を知ったような口を叩いているのか。不敵な笑いを浮かべ上から物を言うストレングに、魔王の不快感は増幅するばかり。だがストレングは、挑発的な物言いを続けた。


「両親の死に傷ついて、強迫観念を抱いて、暴力的になった男か。魔王、お前もなかなか哀しい奴じゃないか」


 冷ややかな目をして、魔王を哀れんでみせたストレング。魔王は鼻で笑って、たしなめるように反論する。


「……お主は誤解をしている。我は両親の死から、魔王たるべき者の生き方を学んだのだ。人間という脅威と戦い、魔界を守り、魔王として君臨するための生き方をな」

「魔王学ってヤツか。面白くない、厄介な教えだこと」


 父を殺した65代勇者の仲間であり、魔王を嘲笑い、ついには魔王学まで否定したストレングに、魔王の堪忍袋の緒が切れた。これ以上、死ぬ直前の老人が口にする、醜い悪あがきなど聞いてはいられない。


「やかましい老人だ。いい加減、死んでもらおう」


 殺意に溢れた魔王が放った、唸り声のような死の宣告。ストレングは面白そうに笑って、先ほどから何も言わないヤクモに話しかけた。


「お嬢ちゃん! 言い忘れてたことがある!」


 呼ばれたヤクモは、ストレングの顔を見ようとはしない。そっぽを向いたヤクモは、そのまま無愛想に答える。


「……なに?」

「金は返せそうにない! すまんな!」


 ストレングがそう言うと、ヤクモは思わず唇を震わせ、笑ったストレングの顔に視線を向けた。

 魔王からすれば、どうでもよい話だ。魔王は即刻、重力魔法を解く。この瞬間、ストレングは高度約8000メートルに浮かぶミュールンから地面へと落ちてゆき、雲の中に消えていった。


「65代勇者を守れず、仲間も全て失い、96代勇者に見捨てられ、無謀な戦いに敗れ死ぬ。ストレングよ、お主の方がよっぽど哀しい男だ」


 地上を見下ろす魔王の呟き。腹を刺され、放っておいても死んだであろうストレングに、魔王は引導を渡したのだ。たった今、魔王は65代勇者の残滓を全て葬り去ったのだ。ミュールンでの目的は全て、達せられたのだ。

 

 ストレングを排除してすぐ、ダートとルファール、パンプキン、リルが魔王とヤクモのもとにやってきた。パンプキンは、虚ろな目をして頭を抱えるヤクモを見て、彼女を心配する。


「ヤクモさん、大丈夫ッスか?」

「……金も返さないジジイが死んだだけ。なんてことない」


 私の判断は間違っていないのだと、自分に言い聞かせるようなヤクモの口調。何にも動じない普段とは違うヤクモの姿に、パンプキンは口を閉ざしてしまった。


 戦闘が終わったのを確認したからだろうか、スタリオンも魔王たちのもとにやってきて、広場に着陸。無邪気に笑ったラミーが、スタリオンから降りてくる。彼女は手を振りながら、魔王に話しかけた。


「魔王様魔王様! お怪我は大丈夫ですか!?」

「ただのかすり傷だ。引き換えに、ストレングを倒し、我が父の仇を討ったのだから、安いものだ」

「良かったです良かったです! やっぱり魔王様は強いですね!」


 満足そうに言う魔王を見て、胸をなでおろしたラミー。彼女はその無邪気な笑みを、ヤクモたちにも向ける。


「皆さんも、お怪我はなさそうで何よりです」

「私は戦ってもいない。怪我をするはずがない」

「おいらも、ルファールと、同じ」


 どこか冷めたように答えるダートとルファール。リルはヤクモに上目遣いをしながら、甘えたように質問した。


「ヤクモ姉は、もうケーレスに帰っちゃうの?」

「うん」

「そっか。あたしも一緒にケーレスに行きたいところだけど、しょうがないね。ヤクモ姉! ケーレスの防衛、頑張ってね! ヤクモ姉なら大丈夫! ヤクモ姉は綺麗で強くて綺麗なんだから!」


 どうやらリルは、ストレングを見捨て、魔王と共にケーレスを守るというヤクモの選択を尊重するつもりのようだ。リルをヤカモトの部下でしかないと思っていた魔王は、リルの言葉を意外に思う。

 だがすぐに、リルはヤクモに魅入られ、ヤクモの何もかもを肯定する体になっていることを思い出した。これは当然の成り行きかと、魔王は小さく笑う。


「じゃあね! また会うのを楽しみにしてるよ!」


 それだけ言って、リルは手を振りヤクモたちを見送った。ヤクモも小さく手を振り、リルの別れの挨拶に応える。


 スタリオンに乗り込む魔王、ラミー、ダートの3人。魔王がふと振り返ると、ルファールとパンプキンに囲まれたヤクモは、ストレングが消えていった地上を見下ろし、風に吹かれながら、何かを呟いている。

 一体、ヤクモは何を呟いたのだろうか。ヤクモの呟きは、スタリンのエンジン音と風に混ざり合ってしまい、魔王には聞こえなかった。


「何をしている。さっさと乗れ」

「はいはい」

「ケーレスを守るのだろう。ここでいつまでも――」

「うるさい」


 魔王が聞くことのできなかった呟きが、おそらくヤクモを吹っ切れさせたようである。ヤクモは魔王の言葉に、普段通りの調子で口を尖がらせていた。だからこそ、聞くことのできなかったヤクモの呟きを、魔王が気にすることはなかった。


 ヤクモとルファール、パンプキンを乗せたスタリオンは、空を駆けケーレスへと向かっていく。勇者の力を完全に取り戻したヤクモは、しばらくは魔王の味方であり続けるであろう。戦士ストレングも死んだ。魔王復活の時は、着々と近づいているのである。

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