第6章6話 美学

 どうにもメイが申し訳なさそうなはずだ。美しくない声とは、ヴァダルこのことだったのだ。メイは水晶を使って、ヴァダルの言葉を魔王に伝えなければならなかったのだ。

 実際、魔王は青筋を立てて、感情的になるのを抑えた反動か、冷徹な口調でヴァダルに言い返す。


「奇遇だな。我もヴァダルの声を聞くと、怒りが湧いてくる」

《ああぁ……やはりお労しい。ルドラはお労しいですねぇ。あなたの強がりを聞いていると、怒りを通り越し、だんだんと悲しくなってきましたぁ》

「今のうちに様々な感情を楽しんでおくのだな。お前はこれから、焦りの感情だけに支配されるのだ」


 魔王はマントをひるがえし、堂々とそう言う。魔王にはヴァダルを苦しめる絶対的な自信があった。なぜなら彼は、『魔王たるべき者、生まれた時から、死する時まで魔王でなくてはならない』という教えを守る、魔王だからだ。


《どこまでも傲慢ですなぁ、あなたは。さすがはドラゴンの血を引く男。気に入らん!》


 紫色の瞳に睨まれ、脅されたヴァダル。魔界の王を自称する彼は、追放された身である魔王に、自分が格下に扱われたことを不満に思い、水晶の向こうで唾を飛ばしながら憤怒してしまった。そんな彼に、魔王は呆れてしまう。


――我とヴァダル、果たしてどちらが労しいのか? 


 怒るヴァダルにそんな視線を魔王が向けた。するとヴァダルは、いよいよ青白い顔を真っ赤にし、グレイプニルに命令する。

 

《グレイプニル! なぁにをぼおっとしておるのかねぇ?! さっさとルドラを殺せ!》


 命令なのかただの叫びなのか分からぬヴァダルの言葉。命令だとしても、あまりに内容がなさすぎる。メイは微笑んだまま、ヴァダルに聞いた。


「ヴァダル様。ルドラ様の隣にいる、年若き人間の女性は、96代勇者です。本物ですよ、本物。どうします?」


 実のところ、メイとモーティーは魔王よりも、ヤクモを危険視していた。当然である。魔王は未だ魔力を取り戻していないため、ただの魔族でしかないが、ヤクモは勇者の魔力を取り戻しているのだ。メイとモーティーが、この事実に気づかぬはずがない。

 ある程度の戦場を経験した者ならば、ヤクモが魔力の一部を取り戻したことを知らずとも、彼女から漏れ出す魔力でそれを知ることができる。しかし、ここにいないヴァダルは、それを知ることができない。


《勇者? 人間界を追放されたとかいうアレかぁ?》

「はい、アレです。本物です。魔力も一部は取り戻したように見えます」

《勇者は放っておけ。今はぁ、ルドラを殺すことに集中するのだぁ》

「仰る通りに」


 魔王もメイもモーティーも、ルファールも、ヴァダルの命令には半ば呆れた様子。それでもメイとモーティーはヴァダルの命令に従うことを約束し、ヴァダルは満足げな表情で、魔王に言った。


《それではぁ、また会いましょう、ルドラ。次は首だけになったあなたと会えるのがぁ、楽しみです》


 魔王を殺すよう命令し、満足したヴァダルは、魔王を嘲笑し水晶から消えた。メイの持つ水晶は光を失い、役目を終えた水晶は灰と化す。

 1年半前までは、ヴァダルも魔王を殺す気はなく、追放しただけであった。今のヴァダルは、魔王を殺せと命令した。ヴァダルはついに、魔王の死を望むようになったのだ。魔王とヴァダルは今、殺し合う関係となったのだ。魔王はそれを歓迎している。

 

 ここでやっと、ヤクモが口を開いた。ヤクモはずっと蚊帳の外に置かれており、だからと言って魔王やグレイプニルに質問できる雰囲気でもなく、彼女は黙ることしかできなかったのだ。


「あれが、あんたを裏切ったヴァダルってヤツ? 話し方的にはクソ野郎っぽかったけど」

「そうだ。奴が魔界の病理である、ヴァダルだ。我は魔王として、なんとしてでも奴を殺さねばなるまい」

「へ~」


 そもそもヴァダルがヴァダルであるということすら確信が持てなかったヤクモ。彼女は魔王の答えを聞いて、魔王とヴァダルの話の内容をようやく理解する。


 さて、ヴァダルは魔王を殺すようグレイプニルに命令した。グレイプニルは命令に従う気だ。となれば、魔王はグレイプニルからの攻撃に備えなければならない。

 元はグレイプニルに命令する側であった魔王。彼は、グレイプニルがどれだけ厄介な部隊であるかを熟知している。


「ヤクモ、ルファール、油断は禁物だ。メイとモーティーは、魔界で我に次いで最も命を奪った者たち。隙を見せれば、彼奴らは貴様らの命でさえも奪おう」

「はいはい、分かった」

「心得た」


 おそらく今のヤクモとルファールであれば、グレイプニルに負けることはない。だが、勝てもしないであろう。唯一勝てる方法は、自身が魔力の一部を取り戻すことだけ。魔王はそう考えていた。

 対してメイとモーティーは、武器を手に取らず、戦う素振りも見せずに、互いに顔を合わせて会話をしていた。


「モーティさん、やりましょう。本物のルドラ様と本物の勇者との戦いですよ? ドゥームの芸術的な破壊よりも、よっぽど美しい戦いになりそうです」

「楽しみだわぁ。あちき、戦う前に死んじゃいそう」


 魔王と勇者との勝負を前に興奮気味の2人だが、やはり戦う素振りは見せない。少しでも2人との戦いを避けたい魔王は、無駄と分かりながら、2人を揺さぶろうと口を開いた。


「グレイプニル、メイ・エルフィン、モーティ・ヤッチス。お主らも我を裏切るか? お主らもヴァダルの臣下となり果てたか?」


 あの程度の男に、お前らは従うのか。そう、相手のプライドに語りかけた魔王。ところがメイは、微笑み顔のまま、世間話でもするかように返答した。


「いいえ。私はヴァダルが嫌いで嫌いで。下品な命令ばかりに、毎日を鬱々と過ごしています。このままヴァダルが玉座に座っていたら、魔界は本当に滅んでしまいます、本当に。ルドラ様の美しい命令に、また従いたい」


 多少の気遣いもなく、はっきりと、ヴァダルを拒絶してみせたメイ。彼女の返答に、ヤクモはメイが味方になることを期待した。魔王はそのような期待を抱かない。メイの次の言葉を、魔王は容易に想像できる。


「けれども、私はグレイプニルの長。今の上官はヴァダル。誰の命令であろうと、どんな命令であろうと、上官に従うのが私の美学」

「そして、そんなメイちゃんに従うのが、あちきの美学」

 

 メイやモーティーは、たしかにヴァダルを拒絶している。しかし、それと命令に従う従わないは、グレイプニルにとっては別問題。グレイプニルは魔王に従っていた頃と変わらない。

 これがグレイプニルなのだ。グレイプニルは上官が誰であろうと、どのような命令であろうと、どのような感情を抱いていようと、関係ない。どこまでも組織に忠実。それがグレイプニルなのだ。そんなことは、魔王も承知の上である。


「フン、お主らはまさしく道具であるな」

「ルドラ様、そのお言葉、本当に光栄です」


 道具と呼ばれて、メイは満面の笑みを浮かべた。魔界の道具として生み出されたグレイプニルは、道具であることこそが使命なのである。

 かようなグレイプニルを理解できない人物が1人。ルファールだ。彼女は表情から嫌悪感すら滲み出しながら、唾を吐くようにメイに言葉を投げつけた。


「つまり、お前らは自分が間違っていると思う命令に従い、殺すことも死ぬことも厭わないのか?」

「あなたは……どこのどなた?」

「元共和国騎士団ルファール・ノール。グレイプニル、質問に答えろ」


 いつも以上に冷たく、恐れ知らずなルファールの口調。メイは面食らいながら、すぐに微笑んで彼女の質問に答えた。


「私は組織の人間よ。組織が間違えて私が死んで、だから何? 私は組織の人間。組織が間違えて誰かが死ぬ。組織が間違えて私が死ぬ。全部組織の意思。ということは、全部私の意思」

「理解できない。なぜ自分の意思を捨て、組織の意思に染まれる?」

「ルファールさん、でしたっけ。あなた、本当に組織で生きていけないタイプね」

「メイちゃん、あの子さっき、元共和国騎士って名乗ったわよ。“元”って」


 メイとモーティーの指摘に魔王とヤクモは思わず頷いてしまったが、ルファールは気にしない。ルファールにとっての『組織で生きていけないタイプ』とは、それこそルファールの“美学”の結果なのであるから、彼女が気にするはずがない。

 短い会話であったが、ルファールとグレイプニルが互いに理解し合えないということだけは、どちらも十分に理解できた。これ以上、彼女らが会話をする理由はない。

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