第4章4話 静寂

 クレーターの縁である急な斜面を下り、深さ100メートル以上のクレーター内部に到着した魔王とダート。2人は月の光だけを頼りに、クレーターの中心部を凝視した。


「……何か、ある。魔王様、あれ、勇者の、魔力?」

「もう少し近づかなければ分からぬが、魔力障壁に包まれた箱、のように見えるな。勇者の魔力を封印する箱と見て、間違いないであろう」


 中心部までの距離はまだあるが、青みがかった魔力障壁に守られる、小さな箱が、魔王とダートの目にも、かろうじて確認できた。それがヤクモの封印された魔力であるのかは不明だ。しかし、中心部に〝何か〟があるのは確実である。


「おいら、勇者とマット、合図、出す?」

「うむ、2人を呼べ」


 ヤクモの魔力が封印された箱と思わしき物は目の前。このまま魔王とダートが箱を回収し、ヤクモのもとまで運んでも良いのだが、魔王はそれを望まない。魔王は魔王として、そこまで勇者の支援をするつもりはないのだ。

 ダートは足を止め、独り言を呟くようにヤクモに合図を出す。彼の独り言は魔力に乗せられ、ヤクモの耳に届いたはず。魔王もダートと同じく足を止め、ヤクモとマットの到着を待った。


「合図、出した」

「よし」


 クレーターの縁の頂上からここまで、魔王とダートが進んだ道のりは長い。それでも、ガルム族のマットが獣人化を解き、ヤクモを乗せて走れば、数分程度の距離だ。

 月明かりと満天の星の輝き以外に光はなく、クレーター内部は静けさに包まれている。魔王は思った。虫の声すら聞こえぬのは、2万人の共和国軍兵士が一瞬にして消え去った場所であるからなのか、それとも別の要因か。


「でも、魔王様、良かったです」

「何がだ?」

「敵、いない。クレーター、静か。これなら、魔力、取り戻すの、簡単」


 少なくとも、ダートは静けさに喜んでいる様子だ。たしかに彼の言う通り、このまま共和国の妨害もなく、魔力を回収し、帰れるのならば、それほど楽なことはない。

 一方で、静けさの中で抱いた魔王の思いは、ダートの楽観論とは真逆であった。むしろ、楽観などしている場合ではないとすら思う。


「我はむしろ、怪しく感じるがな。勇者の魔力を封印しているというに、いや、それ以前に、ここは共和国の腫れ物だ。にもかかわらず、警備の1人もいないなどというのは、異常であるぞ」


 ヤクモの魔力が隠されていようがなかろうが、ルーアイは共和国軍がいないはずのない土地だ。そのくらいは、考えずとも分かることである。問題は、なぜルーアイは静寂に包まれているのかだった。

 事前の会議で、魔王たちはすでに静寂の答えを導き出している。いくらぼうっとしたダートでも、魔王の言いたいことは分かった。


「罠?」

「その可能性は十分に高い。敵襲に備えろ」


 魔王たちが共和国軍の罠にはまっているのは、生物が死を迎えるのと同等の、確然たること。そもそも、罠と知って、魔王たちはここにやってきたのだ。罠にはまったからといって、魔王たちが焦ることはない。それ相応の準備は済ませている。

 魔力を失った魔王だが、彼のベルトに括り付けられたケースには、アイギスから譲り受けた魔具が収納されている。魔王はまったく魔法を使えない、という訳ではないのだ。


 戦いの準備を整える魔王たちだが、魔王とダート以外に、世界から命は失われたのかと錯覚するほど、クレーターは静けさを維持したままだ。唯一、空を飛ぶスタリオンの光が視界を稀に横切るのだけが、この世から命が消え去っていないことの証明である。


 しばらくして、ヤクモとマットがどこまで近づいたかを確認するため、辺りを見渡す魔王。ところがここで、魔王は疑問を抱いた。星空を遮る影、クレーターの縁の形が、歪さを増したように感じられたのだ。何かがおかしい。

 魔王は目を凝らし、影をよく観察する。すると、先ほどまではのっぺりとしていた、クレーターの縁の影は、今では無数の小さな柱が立っているかのように変貌。しかも、その柱全てが微かに動いていた。魔王たちを囲むように、クレーターの外周全てがだ。


「うん? あれは……」


 クレーターの縁が変異し動き出した、などということでないのは、魔王も理解している。現実的に考えれば、縁に立つ無数の柱の正体は、見当がつく。


《大変です大変です! どうやら共和国軍は、クレーター周辺に穴を掘って潜んでいたみたいなんです! 魔王様、すでに共和国軍に囲まれていますよ!》


 魔王の鼓膜を響かせた、魔力に乗せられ届けられるラミーの警告。これに魔王が驚くということはない。ラミーの警告は、魔王の推測を確信に変えただけなのだ。彼は小さく笑って、どこか自嘲気味に呟く。


「フン……やはり罠か。しかし、この我が、穴に隠れていた共和国軍に気づかぬとはな。魔力がないのは恐ろしい」

 

 以前の魔王ならば、このようなことは起き得なかった。穴を掘り、そこに隠れ、機を見て包囲する、などという共和国軍の単純・・な罠を、見過ごすはずがなかった。

 以前の魔王ならば、クレーターの上空を飛んでいる時点で、地下から漏れ出す共和国軍兵士の吐息と魔力を察知していた。そして今頃、共和国軍兵士は穴の中で丸焦げになっていた。

 

 今の魔王は、クレーターの外周を囲うほどの共和国軍兵士を察知することはできない。包囲されてはじめて、彼らの存在を知る。そのあまりの弱体ぶりに、魔王は自分を笑うしかない。

 とはいえ、自分を笑っている場合でもない。魔王たちは共和国軍に包囲されてしまったのだ。


「魔王様、おいら、守る」


 魔王の忠実な僕は、自分の命よりも先に、魔王の命を守ると宣言した。ダートはすでに、魔王を守り、共和国軍兵士を攻撃できるよう構えている。


 時を同じくして、1匹の巨大な犬の姿をしたガルム族と、その上にまたがる1人の女性が、闇の中から魔王とダートのもとに近づく。マットとヤクモだ。


「ねえ! 私たち、共和国軍に囲まれてるみたいだけど、作戦とかあるの?」

「そうだ! これからどうするってんだ?」


 闇と静寂に似合わぬ、荒々しい様子の2人。ヤクモはマットから降り、魔王の隣で剣を握る。マットは獣人化をしてダートの隣に立つ。

 共和国軍兵士の魔法によって、空には6つの火の玉が打ち上がり、クレーター内部が明るく照らし出された。まるで、ここで命を落とした2万の兵士の魂のように、悠々と地上へ落ちる火の玉を眺めながら、魔王は2人の質問に対し、焦ることなく答えようとする。


「今は――」


 相手の動きを見極め、魔力を取り戻す――というところまで、魔王が口にすることはできなかった。彼の言葉は、一瞬にしてクレーターの静寂を切り裂く、妙に快活な女性の声に遮られたのだ。

 女性の声は、まるで魔王のすぐ目の前から聞こえてくるかのようである。だが、魔王たちの目の前に誰かがいる訳ではない。この声は、魔王たちを包囲する共和国軍兵士の1人から、魔力によって届けられた声なのだ。


《クレーター中心部にいる魔王と勇者一行に告ぐ! 君たちはあたしら共和国軍に完全に包囲されている! 1分以内に降伏して、処刑を受け入れなければ、このクレーターが魔王と勇者一行の墓になるよ! はい、59~、58~――》


 軽い口調によって告げられた、共和国軍兵士による魔王たちへの通告。気の抜けたカウントダウンが進む中、ヤクモは魔王に掴みかかる勢いで叫んだ。


「処刑を受け入れるか死ぬかって、どっちみち死ぬじゃん! どうすんの!?」

「やることは変わらん。貴様の魔力を取りに行く。魔具の準備を」


 魔王は当たり前のようにそう答え、ベルトのケースから魔具――球状の小さな物で、魔力障壁を作り出す魔具――を手に取った。カウントが終わるまで、あと50秒。


《50~、49~……面倒だからあと3秒にするね! 2~》

「はあ!?」

「もう時間ねえぞ、ちくしょー!」


 共和国軍は魔王たちの準備など待ってはくれない。カウントダウンに意味などなかったのだ。


《はい、時間切れ。総攻撃、開始!》


 クレーターの外周を囲む共和国軍兵士たちが、一斉に構えたのだろう。重々しい音が響き渡る。敵は多数。


「行くぞ!」


 魔王たちはひたすらに、ヤクモの魔力が封印されているであろう箱に向かって駆け出した。

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