第2章2話 自己紹介

 ダイスの街角で、魔王がふと出会った1人の女性浮浪者。ローブに隠され顔は見えぬが、やる気のなさと不思議な迫力を併せ持つ、長身の女性。なんとも言えぬ魅力を感じ取った魔王は、彼女との話を続けた。


「対処法を知るほど襲われ慣れるとは、また不幸な人生だな。歳はいくつだ?」

「19歳」

「その若さでそれか。ますます不幸な人生であるな」

「ただ不幸なだけなら良かったんだけどね」

「フン、その口ぶりだと、それ相応の事があったのであろう。お主、何度襲われ何人殺してきた?」


 女性浮浪者が並々ならぬ者であるのを、魔王はこの短い会話ですぐに理解した。今でこそダイスに転がる浮浪者の1人である魔王だが、それでも彼は魔王だ。平凡な人生を送ってきた者と、特別な人生を歩んできた者の違いぐらいは分かるのである。

 少し踏み込んだ魔王の質問に、女性浮浪者は一瞬だけ固まるものの、魔王の隣に座り込み、あっさり答えた。


「いちいち数えてないから、分かんない。この1年半ずっと、共和国軍に追われ続けてたから」

 

 あっさりとした口調には不釣り合いな、なんとも凄まじい答え。魔王は面白がり、大笑いしながら、さらに質問を重ねる。


「一体何をしでかした? どうすれば、共和国軍に1年半も追われることになるのだ?」

「知らない。こっちは言われた通りのことしただけだし」

「言われた通りのことをしただけで、共和国軍に追われることはなかろう」

「まぁ、思い当たる節はありすぎるぐらいなんだけど……っていうか、あんた誰なの?」


 ここにきて、ついに女性浮浪者が当然の質問を魔王に投げかけた。未だに2人は、互いの名前すらも知らぬ通りすがり同士でしかない。他人の過去を詮索できるような間柄ではないのだ。

 魔王は女性浮浪者の質問に答えるように、少々大げさな口調で自己紹介をする。


「我こそが魔王! 魔王ルドラである!」


 浮浪者風情が大声で魔王を名乗るという事態に、街の人々は魔王に白い目を向けながら、すぐに目をそらした。

 一方で女性浮浪者は、きょとんとした様子。


「は? あんたが魔王? ねえ、大丈夫?」

「我は正気だ」

「いやいや、正気じゃないって。そもそも魔王はもう死んでるし。……まさか、魔王の生まれ変わりだとか言わないでよね」

「そんなことは言わぬ。我は魔王であるからな。魔王は死ぬことなく、ここにいる」


 魔王は本当のことを言っているのだが、なおも女性浮浪者は魔王の言葉を信じない。いや、これこそが普通の反応だ。ダイスの街角で転がる浮浪者が、魔王を名乗ったところで、信じる者の方がどうかしている。

 女性浮浪者はついにふき出し、そのまま腹を抱えて笑い出した。まるで、腹の中に溜め込んでいた鬱憤を全て吹き飛ばすかのように、楽しそうに笑う。笑いながら、彼女は自らの名を名乗った。


「私は棚倉八雲タナクラ・ヤクモ。あんたの名前は?」

「魔王であると言ったはずだ」

「分かった分かった。で、名前は?」

「魔王だ」

「あんた、やっぱりおかしいんじゃない?」


 なおもヤクモと名乗った女性浮浪者の笑いは止まりそうにない。どうにもからかわれているような気がした魔王は、口を尖がらせ言い返す。


「貴様、なぜそこまでして我が魔王であることを否定する。この身なりか? このような身なりの者が、魔王であるはずがないと?」

「それもそうだけど……私、魔王の顔をすぐ近くで見たことあるから」

「我の顔を?」

「魔王の顔をね。少なくとも、ヒゲもじゃじゃなかった」


 ヤクモの言葉が事実とすれば、魔王はヤクモを知っている可能性がある。なぜなら、顔は見えぬがヤクモが人間であるのは間違いなく、そして魔王の顔を近くで見た人物など、ラミネイ城でも数えるほどしかいないからだ。

 もちろん、ヤクモがいい加減なことを言っている可能性も排除できない。彼女の言葉が事実なのかどうかは、これはもう確認するしかない。

 

「魔王の顔を見たことがあるというのならば、我の顔をよく見るがいい」


 そう言って魔王は、顔を隠していたフードに手をかけ、勢いよく取り払った。自分で無理やりに整えた、不揃いなシルバーの短髪と、魔王の頃から変わらぬ、何かもを見通したような紫色の瞳が、曇天の空のもとにさらされる。

 長いひげが蓄えられ、やせ細ったとはいえ、骨格から顔のパーツの位置、形は変わりはしない。魔王の顔は、18ヶ月の月日が経った今でも、魔王の顔のままだ。


「どれどれ……」


 何の戸惑いもなく魔王の顔を覗き込んだヤクモ。最初は冗談だと思い半笑いであった彼女だが、数秒と魔王の顔を見ているうちに、笑みは消え去った。代わりに、ヤクモの顔は驚愕の表情に塗り替えられていく。そして


「あああぁぁぁあああ!!」


 とても女性のもの、それどころか人間のものとは思えぬ叫び声。ヤクモは腰を抜かしたかのように地面に尻をつき、そのまま後方へと下がっていった。

 ようやく魔王であることを信じた様子のヤクモに、魔王扱いされたのも相まって、つい魔王は勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。次は魔王が驚かされる番であるとは、露ほども知らずに。


「ま、魔王!? だからいきなり私に話しかけてきて……何が狙い!?」

「どうした? 何を言っているのだ、貴様は」

「私よ私! 顔見ても忘れたなんて言わせないからね!」


 魔王に続いて、顔を隠すフードを勢いよく取り払ったヤクモ。そうして現れたのは、腰まで伸びた、癖っ毛気味で乱雑な栗毛色の髪を持つ、げっそりとしながらも凛とした視線を魔王に向けた女性。

 美しい顔つきと粗雑な雰囲気は、あの日と変わらない。この強い意志が眠る瞳は間違いない。ならば不思議な迫力にも得心がいく。18ヶ月前のラミネイ以来の再会だ。


「96代勇者!?」


 121年の人生ではじめて出会った対等な存在を、魔王が忘れるはずがない。あのバカな暴れん坊勇者を、忘れる方が難しいぐらいだ。


「なんでこんなとこに……魔王が……」

「それはこちらのセリフだ。なぜ勇者が、そんな姿でここにいる」


 このような場所で、この2人がこうして再会するなどと、どこの誰が想像できただろうか。当然、魔王もヤクモも、あまりに想定外の再会に、困惑すらしている。

 2人が顔を合わせたのは、ラミネイでの戦い以来のことだ。2人の間柄は、通りすがりどころではなく、敵味方の関係。ヤクモは咄嗟に剣を抜こうと構え、相も変わらず地べたに座る魔王を睨みつけた。


「今度こそ逃さない!」


 これはラミネイの続きだと言わんばかりに叫ぶヤクモ。それでも魔王は地べたに腰を据えたまま、ヤクモの高ぶった感情を手で振り払うような動作をする。彼はヤクモに対し、よどみなく語りかけた。


「いや、勇者の噂は聞いておる。ラミネイの戦いにおいて、勇者は街の6割を破壊し、5万の民を死に至らしめ、パリミル国王及びパリミルの王位継承権第4位まで全員、そして共和国会議に参加していた3人の国王と各国政府高官を殺害したとか」

「そ……それは違う! いや、違わないけど……でも、私は――」

「分かっておる。貴様はこの我と互角に戦っていたのだ。副産物としての膨大な犠牲は、ラミネイにあって然るべき。貴様もそう思っておろう」

「……まぁ」

「噂には続きがある。共和国は勇者の魔力を奪い、追放したそうだ。どうやら今の貴様を見る限り、その噂は本当のようだ。貴様、もはや魔力は持っていないのであろう」


 噂が事実かどうか、ヤクモは答えない。それでも彼女の強張った表情は、噂が事実であることを魔王に伝えていた。

 自分の置かれた立場を見抜かれ、返答に困ってしまったヤクモは、投げやりな言葉を魔王に投げつける。


「だから何よ」


 今すぐにでも剣を抜こうとするヤクモ。魔王は彼女を諭すように言った。


「我は死んだことになっておるが、実際は部下に裏切られ、権力と魔力を奪われ、ここに追放された身だ。我は貴様と同じ、ただの浮浪者。そんな我を殺したところで、何の意味もないぞ。貴様は追われ続ける哀れな罪人でしかない」


 これもまたヤクモの現状を見抜いた言葉であり、ヤクモも理解していることであった。仮にここで魔王を殺しても、それは浮浪者同士の殺人事件でしかないのである。


「じゃあ……私はどうすればいいの?」


 激情を抑え込んだ、悔しさに溢れるヤクモの呟き。対照的に、魔王はおもむろに立ち上がって、ゆっくりと口を開いた。


「ともかく、飯でも食おう。良いレストランを知っている」

「……お金なんかないけど」

「安心しろ。タダ飯が食える店だ」


 タダ飯のためにレストランへ向かう魔王とヤクモ。ラミネイでの壮絶な戦闘以来の再会は、なんとも侘しいものであった。

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