第2章 集結

第2章1話 街角にて

 東方大陸魔界と西方大陸人間界を分け隔てる大洋。そこに『ケーレス』と呼ばれる島がある。西方大陸から約450キロ、東方大陸からは約3000キロも離れたこの島は、それでも赤道以北では最も魔界に近い、人間界施政下の島だ。

 ただし厳密には、人間界施政下は言い過ぎである。ケーレス島は、島全体がケーレス自治領として、実質的に共和国から独立しているからだ。そしてそのケーレス自治領を支配するのは、人間と魔族が混在した〝組織〟なのである。


 ケーレスの歴史は数百年前まで遡る。

 266年前、共和国は赤道以北における人間界最前線となるこの島を、共和国軍による直接統治下に置こうとした。ところが、共和国の『各国の独立を尊重する』という方針が邪魔をし、直接統治の代わりとして、共和国会議の傀儡に近い自治領が作られる。

 自治領領主は共和国軍の高官が選ばれ、ケーレス島には『ダイス』と名付けられた要塞都市が、魔界との表面的な和平が続く50年余りの間に築かれた。


 そして205年前、大魔王の死去と同時に人魔戦争が再び本格化、ついにケーレスの防衛力が試されることとなる。ところが、広大な大洋を超えての魔界軍の侵攻は少なく、共和国兵士の休憩場以外に、要塞の使い道はなかった。

 共和国はケーレスの戦略的価値が薄いと判断。約140年前あたりから、要塞は西方大陸の罪人や厄介者を押し込む牢獄として扱われるようになる。さらに約120年前、ケーレスに封じ込められた者たちが反乱を起こし、ケーレス自治領は彼らに支配された。


 ケーレスでの反乱が成功して以降、共和国はケーレスを事実上放棄、反乱を起こした集団に統治を任せ、ケーレスは人間界の追放先として名を馳せることになる。以降、自治領では犯罪集団同士の、血で血を洗う抗争が頻発。領主は短期間で次々と変わっていった。

 いつしか魔界の罪人や厄介者もケーレスに流れ着き、ケーレス島は人間と魔族が混在する、世界的に珍しい島となった。人口は急増し、ダイスは無計画に拡張され、今では巨大都市として、ケーレス島の平野のほぼ全てを埋め尽くしている。


 かような、乱雑で多様な価値観に溢れかえった、自由かつ治安の悪い、ともかく危険な、ケーレス自治領ダイスの街角。ここに、魔王はいた。

 魔界を追放されて18ヶ月。異臭を放つ薄汚いローブに身を包み、顔の半分をフードで隠しながら、シルバーの長いひげを蓄える、ゴミだらけの地面に座り込んだ、背丈だけは立派な、みすぼらしい男。それが今の魔王だ。


「お恵みを~、お恵みを~」


 街行く柄の悪い者たちにすら、金をせびる魔王。だがやはり、魔王に金を渡すような者はいない。そもそも、小遣い稼ぎとして強盗事件が10秒に1度はどこかで起きるような街だ。浮浪者に金を渡そうなどという変わり者・・・・がいるはずがない。

 仮に金を渡すような変わり者・・・・がいたとしても、その者はすぐに破産するであろう。浮浪者は魔王だけでなく、ダイスのあらゆる街角に転がっているのだから。


 ケーレスに追放され、18ヶ月もの間、魔王はろくな仕事にありつけず、家すら持っていない。理由は簡単で、魔王は自らを魔王と名乗るからだ。魔力を失った今の彼が、いくら魔王を名乗ったところで、異常者としか思われない。ゆえに、誰からも相手されない。

 運が良かったのは、魔力を奪われても、優れた身体能力が多少は残ったことぐらいだ。彼はその力を使って、日雇いのせこい仕事で端金を稼ぎ、せめてその日を生きる。18ヶ月間、彼はそうして過ごしてきた。


 今日はお恵みはなく、日雇いの仕事すらない。気温も下がり、魔王は寒さに震える。地面で小さくなる魔王は、ふと曇天の空を見上げた。

 わざわざ東方大陸から来たのであろうか。空にはドレイクが飛んでいた。ドレイクの首にくくりつけられた水晶からは、ヴァダルの言葉が拡散されている。


《蛮族たる人間の魔王殺害をぉ、我々は決して許しはしない。我々は暴風のごとく人間界を攻め立てぇ、魔界軍は怒涛の進撃により共和国を蹂躙している。魔族は今こそ立ち上がりぃ、魔王への反動分子を殲滅するのだぁ。人間よぉ、今こそがぁ、降伏の時ぞ》


 魔界を支配してから、ヴァダルは常にこの調子でプロパガンダを行っている。魔王は人間に殺されたことになり、魔界と人間界の戦争は再発、南部地峡では、ヴァダルの表現は誇張であるが、魔界軍と共和国軍の激戦が繰り広げられているのだ。


 ケーレスの住民にとっては、なんてことはない。空飛ぶドレイクから大音量で聞こえてくるプロパガンダなど、魔族人間双方ともに、相手する者はいない。彼らはこの街に住む限り、魔界と人間界の戦争以前に、今日の生活ですらも命の危険に晒されているのだ。


「おい! 金を出せ! 全部だ!」

「え? ちょっと……今……」

「つべこべ言わずに出せ! ぶっ殺すぞこのヤロー!」

「ち、ちょっと待ってくれ!」


 お恵みを待つ魔王の目の前で、ナイフを手にしたチンピラ風情の人間の男が、近くにいた商人らしきホビットから金を盗もうとしている。ダイスでは見慣れた光景。

 運の悪いホビットは、チンピラ風情の男に金を渡し、せめて命だけは守りきる。チンピラは小遣い稼ぎが成功したことに、笑みを隠せない。だがどうやら、本当に運が悪かったのは、チンピラの方であったようだ。


「兄ちゃん、ずいぶんと金を巻き上げてやがんな、おい」


 チンピラにそう声をかけたのは、鷲のような頭に獅子のような体つきをした大男。獣人化したグリフォン族であろう。彼はまさに、獲物を捉えた目つきでチンピラを睨み、言葉を続けた。


「この辺はな、俺たちメイテュン・ファミリーのシマなんだよ。っつうことは、ここで盗みを働くためには、それ相応の代価が必要ってことだ。分かるな?」

「…………」

「黙ってちゃ分からねえよ。分かってんだろうな!」

「は……はい!」


 せっかくチンピラが稼いだ・・・金は、メイテュン・ファミリーの一員であるグリフォン族の男に取られてしまった。マフィアが跋扈するこの街では、やはり見慣れた光景である。


「今日はケーレス領主ウォレス・ファミリーのボスがこの辺りをうろついてやがる。あんまり調子に乗るなよ」


 それだけ言って、チンピラから譲られた金を持って去って行くグリフォン族の男。

 魔王は、金を盗まれたホビットと、小遣い稼ぎに失敗したチンピラに哀れみの目を向ける。魔王自身が、哀れみの目を向けられる立場でもあるのだが。


 しかし一方で、グリフォン族の男の言葉に魔王は喜んだ。メイテュン・ファミリーの領地にウォレス・ファミリーのボスがうろつくという物騒な状況は、今の魔王にとって、お恵みになりえることなのである。

 時間からして、ウォレス・ファミリーのボスは昼食の時間。ならばボスは近くのレストランにいると魔王は想像し、近場にあるレストランを思い浮かべた。

 

 そんな魔王の目に、とある浮浪者の姿が飛び込む。


「お恵みを~、お恵みを~」


 乾きながらも凛とした、鈴のような声。ところどころが破けた穴だらけのローブに長身の体を包み込み、顔はフードに隠され、そこから腰まで伸びた栗毛色の長い髪がのぞく浮浪者。スタイルの良さから、女性であるのは間違いなさそうだ。

 彼女がいくら哀願したところで、お恵みなどあるはずがない。それでもお恵みを望まねばならぬほどに、浮浪者は困窮している。まるで今の魔王と同じ。少し上機嫌なのもあってか、魔王は地べたに座ったまま彼女に話しかけた。

 

「お主、ここは風俗街も近い。あまりウロウロしていると、悪い男が寄ってくるぞ」


 ローブ越しでも分かる女性のスタイルの良さも合わせて、ケーレスの先輩浮浪者としての、ちょっとした忠告。女性浮浪者は足を止め、そっと口を開く。


「襲われるのは慣れてる。対処法も知ってる」


 わざわざ腰にぶら下げた剣に手をかけての、にべもない返答。口調のわりに、ただの浮浪者にしては不思議な迫力があった。いよいよ魔王は、彼女に対し興味を持ち始める。

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