第1章7話 魔界の玉座に座る者

 東方大陸、またの名を魔界。西方大陸人間界とは違い、魔界の土地は魔力が染み込み赤黒く変色、場所によっては、禍々しく尖った地形を形成している。草木もまた暗く、空は厚い雲に覆われ、光は少ない。魔族にとっては見慣れた、ごく普通の景色だ。


 音速の数倍の速度で空を飛ぶ魔王は、そんな魔界の景色を眺めている暇などない。勇者が魔力の使い方を知り尽くし、今よりも強くなる前に、彼女を倒さねばならない。そのためには、急ぎ戦闘の準備を終えなければならないのだ。

 海を越え、山を越え、数時間の飛行の末にようやく見えてきたのは、尖った険しい山々に囲われる、黒レンガの建物に覆い尽くされた盆地。魔界魔都、ディスティールである。


 ディスティールの中心に建つのは、黒レンガで組み立てられた、重く暗い雰囲気の、天を貫く巨大な3つの塔。それこそが魔王城である。ただし、城は増改築を繰り返し、いつしか城下町をも飲み込み、今ではディスティール全体が魔王城と呼べる状態だ。

 魔王は速度を緩め、高度を下げ、3つの塔の根元に位置する、城の入り口に着陸した。彼の後方には、広場にまで下る長大な階段が構え、前方には、高い天井と浩々たる空間に、数え切れぬほどの柱が立つ、城の玄関が広がる。


 突然の魔王の帰還。あらゆる魔族によって構成される魔族軍の兵士たちは、魔王の姿を見るなり色めき立ち、どこか緊張と恐怖に怯えた様子で、姿勢を正した。そんな彼らを横目に、魔王は城の奥へと進む。


 巨大な扉を魔王自らが開けると、そこは玉座の間だ。3つのうちの1つの塔を背後に、微かな光が差し込むだけの、暗く広い空間。壁には、ドラゴンを模る、魔王一族の紋章を描いた旗が垂れており、部屋の最奥には玉座が置かれていた。

 久方ぶりとはいえ、魔王がこの部屋にいた時間は長い。今更になって玉座の間に対する感情は何も起こらない。

 だが、今日の玉座の間では、おかしな・・・・ことが起きていた。本来は魔王が座るべき玉座に、魔王ではない男が座っているのである。


「これはぁこれはぁ、ルドラ様ではありませんかぁ。ご帰還なさるとお伝えしていただければぁ、盛大な歓迎を準備させましたのになぁ」


 陰湿な粘り気のある口調に、他者を嘲笑するような曲がった口、嫌味が漏れ出す細い目つき。人化をしながらも鱗の残る首と、青白い肌、固められた青い髪が特徴的な壮年の男。魔族四天王の1人でありサーペント族の長である、ヴァダル・セルペンだ。

 ヴァダルは魔王の父の代から四天王を務める有力者。一方で権力欲が旺盛で、自らに好都合な伝統への執着が強く、自惚れな性格。そのため魔王は彼が苦手である。苦手がゆえに、魔王はヴァダルのわざとらしい言葉を冷たくあしらった。


「歓迎など期待しておらん。さっさと玉座からどけ」


 そう言って玉座の前に描かれた複雑な魔方陣の中心に立った魔王。この魔方陣は、魔王の魔力を回復させるためのものだ。

 勇者との戦いとディスティールまでの飛行で失われた魔力を取り戻すため、魔王は魔方陣を起動させる。魔方陣は青色に淡く輝き、その光は魔王を包み込んだ。


 この間、なおもヴァダルは玉座から動こうとしない。むしろ彼は、今まで以上にニタリとした笑みを浮かべ、魔王に嫌味な視線をぶつけている。そんなヴァダルの態度に苛立った魔王は、今度こそ怒りを込めた、低く響き渡る声で言った。


「聞こえぬのか? さっさとどけ。そこは我が座るべき場所だ」


 青の光に包まれながら、紫の瞳でヴァダルを睨みつける魔王。それでもヴァダルは玉座に居座り、粘り気のある口調によって魔王を嘲笑する。


「お労しいルドラ。自分がすでに玉座に座るべき者でないことを、まだ自覚していないのですなぁ」

「……お主、何を言っているのだ?」


 ヴァダルの言葉が理解できぬ魔王に対し、ヴァダルをケラケラと笑いだした。玉座の間に響く不快な笑い声。同時に、魔王を守るはずの衛兵たちが、その手に持った武器を魔王に向けはじめる。

 加えて、魔王の後ろから甲高い笑い声が近づいてきた。魔王が振り返ると、そこには黒い長髪に尖った耳、つり上がった目つき、露出が多くきわどい黒の服装、小麦色の肌を持つ女性が立っていた。彼女もまた四天王の1人であり、ダークエルフ族の長、アイレー・エルフィンである。


「あなたはもう魔王じゃないということ。そのくらいのことも分からない脳みそで、自分は魔王だなんて名乗っていたの? なんて恥ずかしく、愚かなオトコ」


 四天王の紅一点であるアイレー。しかし彼女は、誰よりも出世することを欲の頂点に置いた女性。性格は破綻しており、魔王は彼女が苦手だ。苦手がゆえに、魔王はアイレーに対し悪態をつく。


「アイレーよ、お主が出世のために自らを安売りしていることは知っていたが、ついにヴァダルに買われるほど値が落ちたのか?」


 この言葉に、アイレーは分かりやすく怒りに顔を歪め、唾を飛ばしながら叫んだ。


「没落者の分際で、何を上から目線で偉そうに……! 絶対に許さない!」


 高ぶった感情を加工することなく、そのままの形でぶつけられた魔王。彼は迷わずアイレーの処刑を決意し、左手を突き出しダークネスレイを放とうとした。

 ところが、突き出した左手からは何も打ち出されることはなかった。ダークネスレイも、ファイアも、アクアも、何もかも。魔法というものがほとんど使えない。魔王はただ、痛快に笑うアイレーの屈辱的な笑い声を聞くことしかできない。


 なぜ魔法が使えないのか。心当たりはある。魔王は自らを包み込む青い光を放つ、足元の魔方陣に目を向けた。


「やっと気づきましたかぁ、今の自分が置かれた状況を」


 ヴァダルもまた、嘲笑の意味合いを強めた嫌味な笑みを魔王に向けている。

 

 魔力を回復させる魔方陣、ということは、ベクトルを逆さにすれば、魔力を吸い取る魔方陣に組み替えられる。魔方陣はヴァダルらによって、魔王の魔力を吸い取る魔方陣に改造されていたのである。

 それを知らず、魔王は自ら魔方陣を起動させ、自ら己の魔力を魔方陣に吸い取らせてしまったのだ。あまりに不覚。ヴァダルらへの強い怒りと、この程度の罠に嵌められてしまった自分への怒りで、魔王は全身を震わせた。


「ヴァダルよ、つまりはなんだ? これは我への反逆であるのだな?」

 

 再びヴァダルを睨みつけ、叫びをなんとか抑えた口調でそう吐き捨てた魔王。これに対しヴァダルは、玉座の背もたれに深く寄り掛かり、やはり嫌味に満ちた口を開く。


「その通り。我輩こそがぁ、この魔界を統治するに、ふさわしい存在である」

 

 ついに魔王への反逆と、魔王の座を奪ったという宣言をしたヴァダル。魔王は振り返り、アイレーに対しても質問を投げかけた。


「お主は、ヴァダルに味方するのだな?」

「没落者に味方して、私になんの得があるというの? ねえ、教えてくださる? 没落者さん」


 アイレーもまた反逆者であるのは、これで確実に。それでは、魔王に剣を向ける衛兵たちはどうなのか。


「衛兵たちよ、お主らが仕えるのは誰だ?」

「わ、我々は……」

「おやおやぁ、ルドラはもはや魔王ではなく、我輩こそが魔界の支配者だというに、諸君らは何を迷っているのかねぇ?」

「……我々は、ヴァダル陛下の忠実なる僕であります!」


 衛兵たちはヴァダルへの恐怖心から、魔王のもとを離れ、ヴァダルに忠誠を誓ってしまう。これについては致し方ない側面があるとはいえ、魔王が許せる答えではない。反逆者たちを許す道理は、どこにもありはしない。

 しかし、反逆者を処罰し魔王の座を取り戻すための力も、ありはしないのだ。魔力を失い、魔方陣に半ば拘束された魔王は、魔王の座を奪い取られるという前代未聞の事態に、どうすることもできなかった。

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