第1章6話 ラミネイの戦い III
雨に打たれながら、魔王は空を見上げ考えた。
魔王は闇属性を持つ者だ。闇属性は全ての属性魔法を利用できるなど、光属性との共通点は多い。また闇属性は魔王の血筋の者だけが、光属性は転移者である勇者にしか宿らぬ特別な力でもある。
一方で、闇属性と光属性の両方を手にすることはできず、どちらも力の源は違う。
闇属性は、暗闇と2つの月『アルテ』と『ヘカテ』が力の源だ。現在は613年前の『アルテ』崩壊によって闇属性の力は衰えているものの、強力な属性であるのは変わらない。特に雨の日や夜の暗闇の中では、大きな力を発揮する。
光属性の力の源は、明るさと太陽だ。ロウソクのようなわずかな光ですらも力の源となり、晴天の昼間などは闇属性を凌ぐほどの強大な力となる。
今日の天気は雨。空は雨雲に支配され、太陽の光は遮断され、街の光も少ない。本来ならば、闇属性が有利となる環境のはず。しかしどうだ。光属性の勇者は、魔王と同等な力を発揮している。つまり、勇者は魔王を超えた力の持ち主である可能性があるのだ。
「戦うべきか、撤退するべきか……」
――悪天候の今ならば、勇者との力の差は互角。それならば今、勇者を倒してしまえ。
――いや、万が一の可能性もある。ここは一度撤退し、準備万端整え、自らに有利な魔界で、勇者と相見えるべきだろう。
ふたつの選択肢に悩む魔王。いつ再び勇者が襲ってくるかは分からない。いつまた戦闘が再開されるのかは分からない。時間はない。
――すぐにでも勇者の魔力はなくなる。明らかな脅威は今こそ排除すべきだ。
――魔王たる者、確実に勇者を倒せる状況以外で戦うべきではない。準備を整えるべき。
「城が……我らのラミネイ城が……」
「国王陛下は?! 国王陛下はご無事なのか!?」
「魔王も勇者も悪魔だ……悪魔どもだ!」
「少し黙っておれ」
魔王はそれだけ言って、炎魔法ファイアを使い兵士たちを焼き払った。おかげで辺りは静まり返り、雨の降る音だけがこの場を支配する。
――やはり魔界に帰り、準備を整え、勇者を打ち倒すべきか。
ついに魔王は決断した。彼は己の不利を悟り、魔界に撤退することを選んだ。脅威の排除を後回しにしてでも、万全の体制で戦いに挑むという、
いざ方針が決まれば、行動は急ぐべし。すぐさま魔王は翼を広げ、魔界がある東へと向かって、空を飛んだ。
しかし、撤退もまたそう簡単なものではないようだ。突如として現れた眩い光線が、魔王の進路を妨害したのである。光線の正体が、勇者の放つライトスパークであるのは間違いない。
「しつこい奴め……」
いくら魔王が光線を避けようと、ライトスパークは魔王を追って空を貫き、是が非でも魔王をラミネイから逃がそうとはしない。しかも、勇者は着々と魔王との距離を詰めているのである。舌打ちを交えて魔王がぼやくのも、無理はない。
せめてライトスパークの当たらぬ場所を飛ぼう。そう考えた魔王は、ラミネイの市街地を低空飛行した。この辺りはまだ被害は少なく、街道は街から逃げようとする人々で溢れている。
ここならば勇者のライトスパークは来ないであろう。そんな魔王の考えは、どうやら甘かったようだ。勇者の執念は、勇者と魔王の間に広がる街並みなど、関係なかったようである。
低空飛行をする魔王の後方を、建物を豪快に薙ぎ払うライトスパークの光線が通り過ぎた。さらに前方、再び後方、魔王の直上、はるか後方と、ライトスパークは無作為かつ無差別に現れ、その度に街を破壊し、稀に魔王の進路を妨害する。
「ライトスパークの乱れ打ちか。あの勇者、相当な馬鹿であるな」
さすがの魔王も、これには呆れ返ってしまう。だが、勇者はただライトスパークを乱れ打ちしているわけではなかった。彼女は魔王の思っている以上に、馬鹿なのである。
魔界へと急ぐ魔王の目の前に、原型を残したままの建物が、まるごと空から落ちてきて、街道を塞いでしまった。行く手を遮られた魔王は空中に静止し、建物が飛んできた方向に目を向ける。
そこには、勇者が立っていた。彼女は両腕を広げ、その両腕の先には、先ほどと同じように原型を残した建物がまるごと宙を浮いている。それを見て魔王は、勇者が土属性魔法『グラビティコントロール』を覚えたことを知った。
「魔王、あんたどこ行くの!? 私はここにいるんだけど!」
整った顔つきにはとても似合わぬ、猛獣のような荒々しい語気で、不満の言葉を魔王に浴びせかける勇者。魔王は勇者を見下ろしながら、無理やりに言葉をひねり出し、冷たく答える。
「どうにも戦う気が失せてな」
「はあ? 勇者の力を見せつけろって言ったのはあんたでしょ!」
「貴様との戦いは、またの機会に持ち越そう」
「まさか、逃げる気じゃないでしょうね!」
ただでさえ癖っ毛の髪を逆だたせる勇者。彼女は容赦なく、手当たり次第に魔王へ向けて建物を投げつける。魔王は先を急ぎ、建物を避ける、あるいは突き抜け、勇者に構わず魔界へと向かった。
勇者に投げつけられた建物は30軒ほど。それほどの数の建物が空を舞い、地上へと落とされたのである。加えて、ライトスパークが混じるのだ。さすがの魔王も表情が強張る。
それでもついに市街地を抜けた魔王の眼前には、広大かつ整った庭園と、金色に装飾された煌びやかな宮殿が広がった。パリミル王国の王家一族が住まう、セリアス宮殿だ。パリミル王国の国力をそのまま表したような、目を見張るほどに豪華な宮殿。
今日はパリミル王家の行事があるらしく、パリミル国王子(すでに国王か)を始め王位継承権を持つ者が勢揃いしていると、魔王は聞いていた。実際、派手な装飾で輝く数台の馬車と、屈強な騎士たちが宮殿を囲んでいる。
「なんと不幸な連中よ」
魔王はセリアス宮殿と、そこに集うパリミル王家の人間に哀れみの目を向けた。勇者に追われた魔王が宮殿の上空を飛べば、宮殿がどうなるのか。容易に想像ができる。
全くもって魔王の想像通り、勇者はセリアス宮殿の存在など気にしてはいなかった。彼女は宮殿の上空を飛ぶ魔王に対し、構わずライトスパークを放ち続けたのだ。そしてそれは、魔王が宮殿を盾にしても変わらない。
宮殿よりも低く飛ぶ魔王に向かって、勇者のライトスパークは放たれる。当然、魔王と勇者の間に立ちふさがる宮殿は、眩い光によって貫かれた。しかもあろうことか、勇者はライトスパークを地面に平行に滑らせ、宮殿をなぞるように破壊していってしまう。
ところが、セリアス宮殿の半分を崩し去ったところで、ライトスパークの眩い光は急激に弱まり、ついにはライトスパークそのものが消えてしまった。その理由を、魔王は一瞬で見抜く。
「一時的な魔力切れか。あれだけライトスパークを放てば当然の結果であるな」
あまりに雑であった勇者の行動に、魔王は呆れることしかできない。一方で、自らと対等な存在の登場に対する歓喜も、魔王は未だ抱いており、勇者を素直に褒めたい気持ちが、呆れた感情と同居していた。
「96代勇者よ、貴様は間違いなく馬鹿者である。ゆえに、次に会う時が楽しみだ」
この言葉が、今の魔王の率直な気持ちであった。魔王はこの言葉を魔力に乗せ、すでに遠く離れた勇者に送り届ける。
果たして魔王の言葉は勇者に届いたらしい。勇者も言葉を魔力に乗せ遠く離れた者に届ける術を知ったのか、それとも無意識か、魔王に勇者からの返事が届いた。
《次は逃げないでよ》
力と不満がこめられた、勇者の言葉。彼女の不機嫌そうな顔つきが、手に取るように分かる、素直な返事であった。
廃城と化したラミネイ城、瓦礫となり果てたセリアス宮殿、そして、雨に降られながらも炎に焼かれ、黒煙に包まれるラミネイの街並みに、魔王が振り返ることはない。彼は先を急いでいる。魔界にて準備を整え、勇者と再戦し、勝利を飾り、世界を手にするために。
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