一章 『エリュアンデュータ』

 時に時間は恐ろしく、そして儚くもある。

 自分の知らぬ内に通り過ぎる時や出来事はどうも恐ろしくて仕方がない。それは人でない、彼だからこそ受け持つ視点だった。


 夕暮れ時。

 窓から差す温かい夕日に包まれながらラウルは大きくため息をついていた。

「はあ……これからどうするべきか」

 再度大きなため息をつく。死から目覚めたとして、目覚めた先が自分の居た世界より遥か数百年過ぎた場所だとは到底驚きが隠せなかった。


 彼らが取った宿――というよりかは些か民家にほど近いのだが――には幸いなことに泊まり人たちが団欒する程度のささやかな食堂があった。

 その食堂で彼らはつい先程まで情報を得ていた。

 何も一月の間、この街を観光するつもりで聞いたのではない。この一月の間に何を得られるのか。彼にはそれだけが大事であった。

「エリュアンデュータ、祖にして始まりの土地……この世界における三大海域に収まらぬ未知の大陸……か」

 知り得た情報、つまりはこの島の全域であった。

 島、というにはあまりにも広大で雄々しいがそれはそれ。彼が居た時代にはささやかな島がぽつぽつと浮いているだけであったのだから。

 ”エリュアンデュータ” この世界の古き言葉で始まりを意味し、それと同時に終着の意味を持つ。

 そのような名を持つからにはおそらく、何か伝承があるのだろう。

 例えば勇者がこの街を出て魔王を討伐し、この街に再び戻ったとか。

 例えば命はすべてここで生まれここで死を迎えるのだとか。

 そういったものを持つことに確証はあった。

「俺らの時代にはまだ知られていなかった土地ってことだ、そりゃあ名前も知らんだろうよ。それに、だ。これほどの大きな大陸だ。本来ならば魔王の目にも入っているはずだったのでは?」

 魔王、それはこの国で最も位の高い、いわば世界を統べる王の名称だ。

 全てを見通しあらゆる場所のあらゆる出来事を記録する、世界の書記とでも言うべきだろう。

 その魔王がこのような広大な土地を知らぬはずはないはずだ。

「でも、今まで知り得なかった。聞けばこの大陸が世に知れたのはごく最近のことらしい。我が居た神代の時代から長き間も、王の目を欺けるものがあったはずだ。例えばそう……大陸全体を覆うほどの結界だとか」

 それを聞けばグウィルは馬鹿馬鹿しい、と悪態をついた。

「大陸を覆うほどの結界? バカも休み休み言え、島一つに収まらず、こんなでかい大陸だぞ? そこらの魔導士じゃあ十分の一も覆えやしない」

「そうだとも。張ったのがそんじょそこらの魔導士だったらね」

 頬杖をつきながらラウルは目を細めた。それに眉を潜めながら言葉を続ける。

「――なんか裏があるんだな?」

「おそらくは。そこらの魔導士でなし得ないのならそれ以上であればいい。しかもこれだけ大きな結界を長い間張り続けたんだ、それはもう人の業ではない、”神の業”だよ」

 細めた目に力が加わると周囲の色ががらりと変わった。温かい赤から、冷たい青に。

「なるほどな――ついに、待ちに待った世界大戦の始まりってわけだ! 虐殺と殺戮! 恨みと憎しみ! 悲鳴と嘆き! 長い間ずっと伝えられてきた伝説が! 今、伝承へと変わるわけだ!」

 赤い瞳を見開きながら叫ぶ、笑う。


 世界大戦――古くから彼らの世界にはそういう名の伝説があった。

 かんたんな話、神がやがて現れ我ら人類。第二の人類を滅ぼさんとする。そんなおとぎ話のような伝説。

 誰もが知り、誰もが信じようとしなかった古い過去のお話だ。

 これを語るにはこの世界の始まりをお話せねばならないが……それはまた今度にしよう。

 

 ともあれ、そんな相方を傍らに、ラウルは眉を潜めた。

 それがまるで、気に入らないといった顔だ。

「お前のそういうところが気に入らないよ。ああ、でもまぁ……そういうところも、我、なんだろうがな」

 そういって何処からともなく緑に光る液体の入った瓶を出す。そこに居た者が語るならばそう、突如空に魔法陣が浮かび彼の手の上に瓶が落ちたと言うだろう。

「なんであれ、ここの情報はまだまだ少ない。一月もあるんだ、久しぶりに情報収集にでも割り当てるとしよう」

 そう言いながら液体を机の上――掠れた黒い染みへと躊躇なく垂らした。

 液体は染みを覆い強く発光しながら小さな鳥へと変わった。

 その鳥は、黒く実に醜い、まるで呪いの具現そのもののようだ。彼はそれを外へと放った。

 赤く光る夕焼けに、黒い鳥は実に馴染んだ。

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